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ブックマーク / www.webchikuma.jp (287)

  • 「働かざる者食うべからず」を問いなおす|ちくま新書|山下慎一|webちくま(1/4)

    複雑で、使いづらく、うしろめたい…… 日の社会保障はなぜこんなに使いづらいのか。複雑に分立した制度の歴史から、この国の根底に渦巻く「働かざる者うべからず」の精神を問い、誰もが等しく保障される社会のしくみを考える、山下慎一さんの新刊『社会保障のどこが問題か―「勤労の義務」という呪縛』より、「はじめに」を公開します。 †複雑で使いにくい社会保障 なぜ日の社会保障は、これほどまでに複雑でわかりにくく、使いにくいのか。読者各位も、一度はこのような思いを抱いたことがあるだろう。 社会保障とは、医療や老後の年金、介護、子育てなどに関わる公的な給付であり、日国憲法25条(生存権)にその法的な根拠をもつ。人々が日々の生活に不安を持つことなく、健康で文化的に生きていくための生活保障を目的とするものと言える。 ただし、日の現実はその理想のようになっているだろうか。そうではない、ということを示すために

    「働かざる者食うべからず」を問いなおす|ちくま新書|山下慎一|webちくま(1/4)
  • 〈11〉「ニュータイプ」とはなんだったか――戯作としての『機動戦士ガンダム』|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて論の一部を連載します。 今回はシリーズ「戯作としての『機動戦士ガンダム』」の第2回。なぜニュータイプにこだわったのか。「戯作」とはどういうことかを解き明かします。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「「ニュータイプ」が産んだ2つの顔」はこちら 「ニュータイプ」をゴールとして組み立てる ここで一度、初期設定書の段階から、ニュータイプの発明に至る足取りを確認してみよう。 初期企画案には、ニュータイプという具体的な言葉は書かれていない。しかし設定などを固めている1978年11月3日付のメモに「ラスト・メッセージに至るドラマとしてエスパーの導入あり得る」と記されてもいる。7ブロックに分かれたストーリーメモを見ても、敵役としてアステロイド・ララという1

    〈11〉「ニュータイプ」とはなんだったか――戯作としての『機動戦士ガンダム』|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
  • 浅くて研究に値しないのが「ファッション」?【東大ファッション論集中講義】|ちくまプリマー新書|平芳 裕子|webちくま

    ファッションとは何か? 衣服とは? 東京大学文学部史上初の講義が書籍化しました! 教養としてのファッションを知るための『東大ファッション論集中講義』より、イントロダクションを公開します。 それでもファッションを研究する──イントロダクション ファッションは浅い!? みなさん、こんにちは。今日からこの一番大教室で授業を行う平芳裕子です。普段は神戸大学の専任教員として国際人間科学部、大学院は人間発達環境学研究科で教えていますが、今回はこちら東京大学文学部の「美学芸術学特殊講義Ⅵ」、大学院の科目名「ファッションを考える/ファッションで考える」を集中講義で担当することになりました。美学芸術学の専任でいらっしゃる吉田寛先生にお声がけをいただきましたが、吉田先生とは学生時代からの友人であり、吉田先生がかつて立命館大学にいらっしゃった時に、ファッションをテーマとした映画上映会を企画され、対談に呼んでいた

    浅くて研究に値しないのが「ファッション」?【東大ファッション論集中講義】|ちくまプリマー新書|平芳 裕子|webちくま
  • 女ことばで翻訳されてきた小説の女たち【翻訳をジェンダーする】|ちくまプリマー新書|古川 弘子|webちくま

    翻訳で重要なのは技術だけではありません。翻訳と社会とわたし達の密接な関係を読みとき、性差別をなくすための翻訳、社会に抗する翻訳の可能性を探る一冊『翻訳をジェンダーする』より「はじめに」を全文公開します。 『プラダを着た悪魔』の主人公はどんな話し方をする? あなたが翻訳家だったとしたら、このせりふをどう翻訳しますか? That’s amazing, Lil. これは『The Devil Wears Prada』(Weisberger 2003 [2008]: 185)という小説の中で、主人公のアンドレアが親友のリルに言ったせりふです。日語訳『プラダを着た悪魔』(佐竹訳、2006)も出版されていますし、この小説をもとにアン・ハサウェイ主演のハリウッド映画も作られたので、知っている人もいるかもしれませんね。アンドレアは大学を卒業したばかりの女性です。ニューヨークの出版社でファッション誌の編集長

    女ことばで翻訳されてきた小説の女たち【翻訳をジェンダーする】|ちくまプリマー新書|古川 弘子|webちくま
  • ファッションを芸術として研究する可能性を切り拓く|ちくまプリマー新書|吉田 寛|webちくま

    ファッションとは何か? 衣服とは?——文化や芸術としてのファッションを考える話題の書『東大ファッション論集中講義』(平芳裕子著、ちくまプリマー新書)。元となった講義を招聘した東京大学の吉田寛さんに改めて書を読み解いていただきました。 書を手に取られた読者はお気づきのように、書の帯には「東京大学文学部史上初の講義を書籍化!」と書かれている。書は、著者の平芳裕子が、二〇二三年夏学期に東京大学文学部・大学院人文社会系研究科で行った集中講義の書籍化であり、評者は東京大学美学芸術学研究室の教員として、その世話役を務めた。「芸術」という語を冠する東京大学で唯一の研究室として、当研究室では、美術、音楽、建築、映画、写真、舞踊、俳句、茶道など、さまざまな芸術ジャンルの講義を毎年開講している。しかしなぜかこれまでファッションの講義は無かった。ファッションは学生の関心が高く、ファッション関連の卒業論文

    ファッションを芸術として研究する可能性を切り拓く|ちくまプリマー新書|吉田 寛|webちくま
  • そもそも、ゲームってなに?|ちくまQブックス|米光 一成|webちくま

    ゲームづくりの核は「場を楽しくするルール」を生み出すこと。それができれば、君の人生はもっとおもしろくなる――『ぷよぷよ』『はぁって言うゲーム』『あいうえバトル』などをつくった人気ゲーム作家が、ゲームのつくりかたをイチから伝授する『人生が変わるゲームのつくりかた』が刊行されました! 刊行を記念して、第一章を公開します。 『ぷよぷよ』をつくった人です ゲーム作家の米光一成です。ゲームづくりが職業です。 代表作は、落ちモノパズルゲーム『ぷよぷよ』。1991年にリリースした最初の『ぷよぷよ』を企画監督しました。大ヒットして、いろいろなゲーム機で遊べるようになり、シリーズ作品がたくさん出ました。累計販売数約2700万だそうです。たくさんの人が遊び、楽しんでもらえるゲームになりました。 その後、『バロック――歪んだ妄想』というゲームを出します。3DのRPGです。退廃的で暗い世界観のゲームで、三大歪み

    そもそも、ゲームってなに?|ちくまQブックス|米光 一成|webちくま
  • クリエイティブになりたければ、能動的に調えよ!|ちくま新書|郡司 ぺギオ 幸夫|webちくま

    何も閃かない、ネタ切れ、考えが浮かばない、アタマが硬い、センスに自信がない……。悩んでいても、いいアイデアは浮かんでこない。それはふいに降りてくるものだ。では、どうすれば? 従来の科学モデルでは説明できない人間の創造力の謎に、体を張って挑んだ郡司ペギオ幸夫さんの新刊『創造性はどこからやってくるか―天然表現の世界』より、「はじめに」を公開します。 書は、アートに基づく「創造入門」である。私はこれまで、生命や創造に関する理論的考察を行なってきたが、実際、私自身、この2年で初めて作品を制作し、インスタレーションによる展示を行った。書はその過程の記録でもある。そこでは創造の仕掛け(理論)を自らに課し、自らを「調えて」制作していった。その意味で、私の制作は、私が提案する創造理論の実践になっており、創造の瞬間、何が起こっているのか、それについても述べている。 アート作品を手がかりにしてはいるが、何

    クリエイティブになりたければ、能動的に調えよ!|ちくま新書|郡司 ぺギオ 幸夫|webちくま
  • 歴史家が手の内をさらしてみる|ちくま新書|松沢 裕作|webちくま

    史料とはなにか。それをどう読んでいるのか。そこからオリジナルな議論をいかに組み立てるのか。歴史学がやっていることを明らかにした『歴史学はこう考える』の「はじめに」を公開します。 私は歴史家です。「歴史家」という日語の単語の響きは、「歴史学者」よりも少し重々しく響くので、自称するのはちょっと気恥ずかしいという同業者もいるのですが、とりあえず書では、私や、私の同業者と言えそうな人たちを広く「歴史家」と呼ぶことにします。 そして、書は「ちくま新書」という新書シリーズの1冊です。歴史家が書いた新書というのは、それぞれの新書レーベルからそれなりの点数が出版されています。大規模書店の新書コーナーにいけば、そうしたを何十冊と見つけることができるはずです。あるいは、このを手に取っているみなさんも、そのうちの何冊かを手にしたり読んだりしたことがあるかもしれません。歴史家が書いた新書は、たいてい、過

    歴史家が手の内をさらしてみる|ちくま新書|松沢 裕作|webちくま
  • ヨーロッパ近世はなぜ中世でもなければ近代でもないのか|ちくま新書|岩井 淳|webちくま

    ヨーロッパにおいて近世とはどういう時代か、中世とも近代とも異なるその独自性とはどのようなものか。主権国家と複合国家の相克という観点から、近世という時代の多様で複雑なうねりを描き出すちくま新書8月刊『ヨーロッパ近世史』(岩井淳著)より、「はしがき」を公開します。 「ヨーロッパ近世」とは、どのような時代だろうか。近世とは、日史なら主として江戸時代をさすが、ヨーロッパ史では通常、15、16世紀の大航海時代や宗教改革に始まり、18世紀後半のイギリス産業革命とフランス革命までの時代を念頭に置くことが多い。しかし振り返ってみると、この「近世」(英語ではearly modern と言う)という時代区分は、それほど古くからあったわけではない。19世紀までの主要な歴史家は、ヨーロッパ史の時代区分として古代、中世、近代という三分法を用いており、そこでは、大航海時代や宗教改革から始まる時代は、中世とは区別され

    ヨーロッパ近世はなぜ中世でもなければ近代でもないのか|ちくま新書|岩井 淳|webちくま
  • 本物の表現と出会うこと|特集・鬼海弘雄|篠原 俊之|webちくま

    2020年10月19日、写真家・鬼海弘雄がこの世を去った。無数のイメージが現れては消える現代社会にあって、地に足のついた確固たる写真の表現を追求し続けた稀有な存在だった。特集では、さまざまな角度から、鬼海弘雄の作品と人となりとをたどる。 「一枚の写真」は、さまざまな方に鬼海作品との出会いをつづっていただくリレーエッセイです。今週は、画廊 Roonee 247 fine arts 代表の篠原俊之さんです。 1989年、高校3年生だったぼくは、あるきっかけで写真作家という訳のわからない生き方をする人たちのことを知りました。折しも写真術誕生150年の節目であり、世界中のあらゆる名作を見ることができた良い時代でした。できれば自分も写真を使って自分の性にあったやり方というものを探してみたいと思っていました。 ある時書店に並べられた雑誌の中に10人くらいの日の写真家の自画像の特集が組まれていたのに

    本物の表現と出会うこと|特集・鬼海弘雄|篠原 俊之|webちくま
  • 「好きを仕事にする」を俯瞰する|ちくま新書|有賀 薫|webちくま

    料理仕事だけでなく、どんな仕事をやるうえでもグッとくるところがある、稲田俊輔『料理人という仕事』。こちらの書評スープ作家の有賀薫さんにご寄稿いただきました。ぜひご覧くださいませ。 好きを仕事にする。 耳ざわりのいい言葉である一方、それは自分の道を探そうとする人たちにとって縛りをかける言葉にもなりうる。好きを仕事にしたらいいと気軽に言う人は多くても、好きを仕事にしていく方法をきちんと教えられる人は滅多にいない。 四十年前、料理が好きで暇さえあればお菓子ばかり作っていた高校生の私は、菓子職人になろうとしていた。大阪の調理師学校からパンフレットを取り寄せ、夏休みを利用して体験入学も参加した。しかし親や教師の反対もあり、結局は専門学校をあきらめて大学に進学。漠然とした「好き」を仕事にするためのはっきりとしたイメージが持てなかった。その後新卒でメーカーに就職し、辞めた後はフリーのライターとなって

    「好きを仕事にする」を俯瞰する|ちくま新書|有賀 薫|webちくま
  • 『百年の孤独』の余滴として生まれた異色短篇集|ちくま文庫|木村 榮一|webちくま(1/5)

    『百年の孤独』の文庫化で注目が集まるガルシア=マルケス。この短篇集『エレンディラ』は、『百年の孤独』と『族長の秋』というふたつの大作にはさまれて生まれました。「大人のための残酷な童話」として書かれた6つの短編と中編「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」を収録。難解な『百年の孤独』に挫折してしまった人にも、ガルシア=マルケス入門にもぴったりの1冊で、知る人ぞ知る傑作です。その奇想あふれる魅力の源についてや、『百年の孤独』との関わりについても触れている「訳者あとがき」(書き手:木村榮一さん)を全文公開いたします。 日小説家がアマゾン河で釣りをしようとブラジルに渡った。むこうで日系人の人たちと雑談していると、こちらにはニメートルの大ミミズがおりますという話を聞かされる。ある人がそのミミズをせっせと掘りまくり、釣り人に売った金でブロックの小屋を建てたというのである。それまで、

    『百年の孤独』の余滴として生まれた異色短篇集|ちくま文庫|木村 榮一|webちくま(1/5)
  • マルケスの中心的文体を味わえるのは絶対に『百年の孤独』と『エレンディラ』|ちくま文庫|松本 健二|webちくま

    『百年の孤独』の文庫化で注目が集まるガルシア=マルケス。短篇集『エレンディラ』は、『百年の孤独』と『族長の秋』というふたつの大作にはさまれて生まれました。「大人のための残酷な童話」として書かれた6つの短篇と中篇「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」を収録。難解な『百年の孤独』に挫折してしまった人にも、『百年の孤独』の次の一冊にも、ガルシア=マルケス入門にもぴったりの一冊で、知る人ぞ知る傑作です。ご自身のブログでも『百年の孤独』について詳細に考察されているラテンアメリカ文学研究者の松健二さんに、『エレンディラ』の魅力についてご寄稿いただきました。 21世紀のいまなお世界におけるラテンアメリカ文学の代名詞はガブリエル・ガルシア=マルケス(以下マルケス)であり、その看板は長篇小説『百年の孤独』(1967)だ。翻訳を介して世界化したように見えるラテンアメリカの作家もいるにはいる

    マルケスの中心的文体を味わえるのは絶対に『百年の孤独』と『エレンディラ』|ちくま文庫|松本 健二|webちくま
  • 一風変わった、ヘンテコな、つまりはクィアな『ジェンダー・トラブル』入門|ちくま新書|藤高 和輝|webちくま(1/3)

    ジュディス・バトラーといえば『ジェンダー・トラブル』。でもこの、すっごく難しいんでしょ……? そんなふうに気後れしている方にも、一度(何度も)挫折した方にもおすすめの、とびきりファンキーな入門書が登場しました。 『ジェンダー・トラブル』が書かれた社会的、歴史的、思想的な文脈を知ることで、バトラーを時代ごと理解する! ジュディス・バトラーが1990年に『ジェンダー・トラブル ―― フェミニズムとアイデンティティの攪乱(Gender Trouble: Feminism and the Subversion of Identity)』を世に問うてから、もう30年以上もの月日が流れた。バトラーは現代を代表するアメリカ合衆国の哲学者であり、フェミニスト・クィア理論家として有名である。『ジェンダー・トラブル』出版から現在にいたるまでバトラーは多数の著作を出版しつづけているが、それでもなお、私たち読者

    一風変わった、ヘンテコな、つまりはクィアな『ジェンダー・トラブル』入門|ちくま新書|藤高 和輝|webちくま(1/3)
  • 批判的な性の歴史(学)の魅力|ちくま学芸文庫|武内 今日子|webちくま

    「セクシュアリティの歴史」はいかにして書かれ、何について語ってきたか。19世紀から現在までの展開を簡潔に記した、第一人者による画期的概説書『セクシュアリティの歴史』(ジェフリー・ウィークス著)が、ちくま学芸文庫(文庫オリジナル翻訳)として刊行されました。刊行を記念して、書の訳者の一人である武内今日子さんが評を寄せてくださいました。(PR誌『ちくま』より転載) 人々が性の歴史を語る実践との関連のもとで、性の歴史学の幅広い理論や方法論の展開を領域横断的に描き出し、批判的な性の歴史(学)の重要性を示そうとする刺激的な入門書である。ウィークスが批判的な性の歴史と呼ぶのは、セクシュアリティを根的に社会的・歴史的な構造としてとらえ、単一の閉鎖的なナラティヴではなく多数のナラティヴを描き出し、感情を伴った過去とのつながりを見出してゆくような歴史だ。 まず描かれるのは、十九世紀以降、性の歴史が科学的ア

    批判的な性の歴史(学)の魅力|ちくま学芸文庫|武内 今日子|webちくま
  • 「よい」も「悪い」も状況次第|ちくま新書|小塩 真司|webちくま

    7月刊行の『「性格が悪い」とはどういうことか』は、おかげさまであっという間に新刊重版となりました! 「マキャベリアニズム」「サイコパシー」「ナルシシズム」「サディズム」という典型的なダークな性格を分析し、どんな問題に結びつきやすいかを解説しています。ただ、仕事によっては「悪い」と言われる性格が有利に働くこともあり、またそういう性格が残っていることにも理由がある、などなど単純に悪いとは言えないこともわかり、深く納得できます。このタイトルを見てどっきりしたあなた、誰にでもダークな面はありますから、どうぞ安心して読んでみてください。「序章」の一部を公開します。 序 章 †ダークな性格は外在化問題に結びつきやすい 心理学で行動面・心理面の問題を論じるとき、大きく二種類に分けることがあります。一つは内在化問題、もう一は外在化問題と呼ばれます。これは、幼児期から青年期くらいの若い世代に見られるさまざま

    「よい」も「悪い」も状況次第|ちくま新書|小塩 真司|webちくま
  • 「文化の普遍理論書」が遂に邦訳! 人間がもつ「ステイタス」への根源的な欲望を探求し、文化の発生過程を描き出す|単行本|デーヴィッド・マークス|webちくま

    文化の普遍理論書」が遂に邦訳! 人間がもつ「ステイタス」への根源的な欲望を探求し、文化の発生過程を描き出す 『AMETORA――日アメリカンスタイルを救った物語』が大きな話題となったデーヴィッド・マークス氏の新著『STATUS AND CULTURE――文化をかたちづくる〈ステイタス〉の力学』が遂に刊行! 人はなぜ集団で特定の習慣を好み、やがて別の流行に移行するのだろうか。なぜあるものが 「クール」になるのか? スタイルの革新はいかにして生まれるのか? 〈文化の謎〉に迫る書が書かれた背景をより深く理解するべく、邦訳版のために書き下ろされた序文を一挙お届けする。(訳:黒木章人) 二〇一五年、わたしは『AMETORA――日アメリカンスタイルを救った物語』を上梓した。このでは、一九六〇年代にアメリカのカジュアルウェアが日で受け容れられ、その日版が世界中から高い評価を得るまでに至

    「文化の普遍理論書」が遂に邦訳! 人間がもつ「ステイタス」への根源的な欲望を探求し、文化の発生過程を描き出す|単行本|デーヴィッド・マークス|webちくま
  • いくら憧れていても素人のカフェ経営は無謀!?|ちくまプリマー新書|稲田 俊輔|webちくま

    料理人・飲店プロデューサーの稲田俊輔氏が、料理人として生きていく方法と心構えを伝授。多くの人が憧れ、そして去っていく飲業界において「幸せな料理人」になるには何が大切なのか? 『料理人という仕事』より文の一部を後悔します! カフェを開業したいのですが…… 「自分でカフェを始めてみたいんですけどどう思いますか?」 という相談を受けることがあります。それがどのくらい気の相談なのかはともかく、私はとりあえずこう聞きます。 「カフェ以外には何ができますか?」 レストラン、居酒屋、ラーメン、何でもいいのですが、カフェ以外の飲店のノウハウはありますか、という質問です。これまでの経験上、「特にありません」という返答が返ってくることがほとんどです。私は、 「カフェしかできない人がカフェをやるほど無謀なことはありません」 と、はっきり宣告します。 もし「他には〇〇ができます!」という答えが返ってきた

    いくら憧れていても素人のカフェ経営は無謀!?|ちくまプリマー新書|稲田 俊輔|webちくま
  • 自由という重荷に耐え「開かれた社会」に向かって|ちくま学芸文庫|志村 昌司|webちくま

    哲学者ポパーの信頼できる伝記として、また最新研究に基づくポパー哲学全体を俯瞰できる最良の入門としても広く読まれてきた定番書、小河原誠著『ポパー』が改訂のうえ、待望の第2版としてちくま学芸文庫になりました。文筆家で、アトリエシムラ代表の志村昌司さんが、書の評を寄せてくださいました。ぜひご一読ください。 20世紀最大の哲学者の一人であるカール・ポパー(Karl Popper 1902-1994)が改めて注目されている。戦後、東西冷戦下において、ポパーは左右の全体主義の批判者、西洋自由主義を擁護する知識人として知られていたが、冷戦終結後、特に日ではポパーの思想はその歴史的使命を終えたとして、忘れられる傾向にあった。しかし2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにして、独裁主義、全体主義の脅威は決して過去のものではない、ということを私たちは痛感させられた。報道によると、世界でいま

    自由という重荷に耐え「開かれた社会」に向かって|ちくま学芸文庫|志村 昌司|webちくま
  • 第05回 アフター『決闘写真論』|Re-think 現代写真論――「来るべき写真」への旅|後藤 繁雄|webちくま

    黙殺され続ける偉大な写真家・篠山紀信 日の写真史の中で、1冊の「写真論」が議論の俎上に載らず、ほぼ無視されてきたのは異様ですらある。 そのは、1976年に『アサヒカメラ』で1年に渡り連載され、翌年に単行化、1995年に文庫化され、今では台湾語版も出版されている篠山紀信と中平卓馬の共作『決闘写真論』である。 前章でも取り上げた、60年代末から70年代初頭の、最もラディカルな「論客」であった中平卓馬が、「流行写真家」である篠山紀信を、「意表をついて」評価したとして、今なお混乱を引き起こしている問題作である。 篠山紀信ほど有名な「写真家」はいないし、2012年からスタートし、今も全国大型美術館を巡回、間もなく100万人の入場者数を突破しようとしている『篠山紀信展 写真力』は金字塔にもかかわらず、篠山ほど語るのが難しく、今も写真評論家を沈黙させ続けている者はいない。 その意味でも中平卓馬の

    第05回 アフター『決闘写真論』|Re-think 現代写真論――「来るべき写真」への旅|後藤 繁雄|webちくま