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Giacomettiに関するfunaki_naotoのブックマーク (7)

  • 本から本へ 人から人へ - ぶらぶら人生

    草花舎のTちゃんに、宇佐見英治著『迷路の奥』のことを尋ねられた。 私は、その著者の名も、勿論、についても知らなかった。 宇佐見英治(1918~2002)は、仏文学者、詩人である。 スーザンさんが、そのの題名や内容について関心を持っておらるのだという。 早速、パソコンで調べ、古を見つけて入手した。 Tちゃんと、そのについて話をした日、傍にAさんもおられたので、 「ご存知?」 と、私はAさんに尋ねた。 「どこかで聞いたことがあるような…」 と、Aさんはおっしゃっていた。 Aさんは、大学で仏文を専攻なさったと聞いている。どこかで、宇佐野英治の著作にご縁があったのかもしれない、と思った。 過日、ディディエ・ステファンさんのオープニングの集いがあった日、Aさんは一冊のを持ってこられた。 矢内原伊作著『アルバム ジャコメッティ』である。(写真 上) 矢内原伊作(1918~1989)とジャコメ

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  • 新聞書評欄 4 - 本はねころんで

    矢内原伊作さんといえば「ジャコメッティ」でありますが、ジャコメッティから見た ときは、どのような存在であったのでしょう。「ゲーテへの対話」を著したエッカー マンのように、「ジャコメッティとともに」で後世に名前が残るのでしょうか。 昨日のみすず書房「歩きながら考える」には、矢内原さんが「ジャコメッティ」に ついての短い文章が収録されています。 「 彫刻家アルベルト・ジャコメッティと親しくなったのは1955年、私がパリに留学 していたときだった。1956年秋のはじめ、二年間の留学を終えた私は、帰国の挨拶を するため彫刻家のアトリエを訪れた。そうか、それでは記念に君の顔を描こう、そこ に坐ってくれたまえ、彼はそういって私の顔を描きだした。彼は彫刻家として有名だ が、彫刻に劣らず絵画にも打ちこんでいたのである。彫刻においても絵画においても、 見えるものを見える通りに実現する、というのが彼の願望だっ

    新聞書評欄 4 - 本はねころんで
  • 【レビュー・書評】完本 ジャコメッティ手帖 I [著]矢内原伊作 - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)

  • ジャコメッティ 親指大の彫刻を通過して

    1942年から45年にかけ、スイス人の彫刻家アルベルト・ジャコメッティは戦火を逃れてパリからジュネーブに移り住み、ホテルの小さな一室で「埃の中に紛れ込んでしまうような」極小の彫刻を創作していた。 ジュネーブで開催中の「アルベルト・ジャコメッティ展」は、生涯の作品を網羅する回顧展でありながら、典型的な針金のような人物を制作する以前の、ジュネーブで過ごした「創作の危機の時代 ( 1942年から45年 ) 」に焦点を当てている。ジャコメッティにとって危機は次の創作へ移行する原動力と同義だった。 シュルレアリスムを経て 「ジュネーブはジャコメッティが故郷のグラウビュンデン州を去って初めて美術学校に通った街であり、『歩く人』などの細い彫刻を作り始める前の危機の時期を過ごした大切な場所。この時に出会ったもジュネーブ人。こうしたジュネーブだが、大規模なジャコメッティ回顧展は今まで一度も開催されなかった

    ジャコメッティ 親指大の彫刻を通過して
  • <キミハ夢ヲ語ル><ワレハソレヲ実現セム> - 余白から

    見る人 ジャコメッティと矢内原 作者: 宇佐見英治出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1999/09/11メディア: 単行 クリック: 7回この商品を含むブログ (6件) を見る夏前に神奈川近美のジャコメッティの展覧会を見に行ってから、読み返したいな、と思っていた。やっと読むことができました。 「見えるものを見えるとおりに描く」ことを希求した作家・ジャコメッティと、彼のモデルとして真正面からその希求と対峙した哲学者・矢内原伊作、そして二人を結びつけるきっかけを作ったと言ってもいい矢内原の旧制高校時代からの親友である宇佐見英治。この「見る人」は、その宇佐見さんのジャコメッティ評や矢内原への思い、そして矢内原との対談等、短文を中心に収載したです。読みやすいですが、改めて読んでも何度か鳥肌が立ちました。このをはじめて読んだ十代の頃の衝撃をまざまざと思い出します。出口を失った熱烈な

    <キミハ夢ヲ語ル><ワレハソレヲ実現セム> - 余白から
  • 『ジャコメッティ』 - And Then > M’s Memos

    ジャコメッティ 作者: 矢内原伊作,宇佐見英治,武田昭彦出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1996/04/20メディア: 単行購入: 3人 クリック: 39回この商品を含むブログ (16件) を見る 焦るヤナイハラ。 デカルトやパスカルについて学ぶことではなく、デカルトやパスカルのように人生から学ばなければならない、そう思ってぼくはソルボンヌの講義をきく代わりに街々をさまよい歩いたが、それは怠惰の口実ではなかったか。第一、街々をさまようことと生活することとは全く別のことではないか。パリにぼくの生活はない、生活のないところには仕事もないだろう。ぼくは日に帰って仕事をしなければならない。それ以外に自分自身を再び見いだす道はないのだ。そして仕事は、ジャコメッティがしているように、日夜全力を傾け、試作に試作を重ねるのでなければ何一つできはしないだろう。(「ジャコメッティとともに」p69)

    『ジャコメッティ』 - And Then > M’s Memos
  • 絵画的精神/石沢 玄

    絵画的精神    石沢 玄 注・石沢玄は平川克美くんの現代詩人時代のペンネーム 目次 序説 <原理> <美> <他者> 他なるものをめぐって <一九六九 ‐ 一九七二> <セザンヌ> <ジャコメッティ> <一九七八> 見えるもの・見させるもの I もの・ことがら II うち・そと III 生活の時間 IV 現在の回復 V 見る・見られる VI 結語 あとがき 序説 <原理> ひとが何を己の主題(テーマ)として選択したか(あるいは選択させられたか)、そしてそこにどんな問いを見い出したか(あるいはどのようにそれを語ったか)ということには、すでにその人間の置かれている境遇が影のようにへばり付いている。 どのようにもがいてみても、吾れ知らず己れの背丈に合わせて穴を掘っているという古訓は、だから修正されねばならない。ひとはある意味で己れの置かれている境遇に合わせて、己れの背丈を(つまり思考や感覚や嗜

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