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photographyに関するfunaki_naotoのブックマーク (397)

  • 濱田祐史“使うカメラは「直感」と「ご縁」” | ARTICLES | IMA ONLINE

    IMA Magazineの他、若手写真家の作品や作品集を販売中。会員登録で5%OFFでお買い求めいただけます。 IMA 2023 Autumn/Winter Vol.40 2023年10月29日発売 ホンマタカシの現在地 ホンマタカシの写真は、1990年代からずっと私たちの身近に存在している。スクラップ・アンド・ビルドを繰り返す東京のまち、押し寄せては引き返す海の波、森の中に生えるキノコ、どれも一見いつも変わらないようで、実は常に変化しているものに目を向ける。 彼は一回の撮影で、数回しかシャッターを押さない。彼は、自分の写真がメディアによって変わるのをよしとする。彼は平気で嘘をつく。写真の嘘が真実に見えることを楽しむ。ホンマの写真は常に流れているのだ。「回顧とか総括みたいなの、やなんだよね」。権威的な予定調和を厭う写真家のそんな言葉から始まったこの特集は、ここ数年の作品と日記と他者との対話

    濱田祐史“使うカメラは「直感」と「ご縁」” | ARTICLES | IMA ONLINE
  • 第05回 アフター『決闘写真論』|Re-think 現代写真論――「来るべき写真」への旅|後藤 繁雄|webちくま

    黙殺され続ける偉大な写真家・篠山紀信 日の写真史の中で、1冊の「写真論」が議論の俎上に載らず、ほぼ無視されてきたのは異様ですらある。 そのは、1976年に『アサヒカメラ』で1年に渡り連載され、翌年に単行化、1995年に文庫化され、今では台湾語版も出版されている篠山紀信と中平卓馬の共作『決闘写真論』である。 前章でも取り上げた、60年代末から70年代初頭の、最もラディカルな「論客」であった中平卓馬が、「流行写真家」である篠山紀信を、「意表をついて」評価したとして、今なお混乱を引き起こしている問題作である。 篠山紀信ほど有名な「写真家」はいないし、2012年からスタートし、今も全国大型美術館を巡回、間もなく100万人の入場者数を突破しようとしている『篠山紀信展 写真力』は金字塔にもかかわらず、篠山ほど語るのが難しく、今も写真評論家を沈黙させ続けている者はいない。 その意味でも中平卓馬の

    第05回 アフター『決闘写真論』|Re-think 現代写真論――「来るべき写真」への旅|後藤 繁雄|webちくま
  • 第08回 ホンマタカシとの対話|Re-think 現代写真論――「来るべき写真」への旅|後藤 繁雄|webちくま

    90年代写真をどのように評価するか? 後藤 今日は、ホンマくんの写真のことについて対話をしたいと思っています。ちゃんと話をするのは、90年代ぶりかもしれない。 90年代写真の特徴として、まずはニューカラー的な反映で、様々な写真が発生してきたと思います。多くの写真家たちは、そのスタイルの写真にとどまったけれど、ホンマくんは違った。今思い返すと展覧会「ニュー・ドキュメンタリー」はすごいことだったんだなと痛感しています。今日はそのことについて改めて対話し、それと以降の展開について聞きたいんです。 ホンマ ちょっと前に立ち話で、後藤さんが、90年代組は評価されるのを待っているみたいなことを言っていたよね。待つしかないって(笑)。 後藤 その人たちが待っているんじゃなくて、もう1回時代が周らないと、発見する力が世の中にないんだね。それは近づいてきていると思うけど。でも日におけるニューカラーの再評価

    第08回 ホンマタカシとの対話|Re-think 現代写真論――「来るべき写真」への旅|後藤 繁雄|webちくま
  • 第04回 写真のジレンマ|Re-think 現代写真論――「来るべき写真」への旅|後藤 繁雄|webちくま

    世界的に再評価がすすむ『PROVOKE』 ホンマタカシが中平卓馬についての映画『きわめてよいふうけい』を撮った機会に行われた森山大道との対談(『美術手帖』2004年7月号)にこんなやりとりがあった。 森山「今の若い写真家や写真志望の人たちが、中平とか『プロヴォーク』とか語るのをみていると、やめなさいよ、と思うよ。興味をもつのはいいけれど、反措定として違うところから出てきなさいよ、と」 ホンマ「ところが逆に盛り上がってきていますね、ヨーロッパもそうですし、海外ではいま、『プロヴォーク』の人気がすごいんです」 森山「海外はいいんですよ、あいつらが、やっとおいついてきたんだから。いや、べつに偉そうに言ってるわけではないですよ。彼らには60年代、70年代の日に対する総合的な興味があって、僕の知ってる範囲ですけど、当時の日のアンダーグラウンドを含めたいろいろなカルチャーが、アメリカでも見直されて

    第04回 写真のジレンマ|Re-think 現代写真論――「来るべき写真」への旅|後藤 繁雄|webちくま
  • 対談:ホンマタカシ× 大竹昭子(1999年3月9日 構成:佐々木直也 WIRED VISION)より抜粋&関連リンク - Übungsplatz〔練習場〕

    ホンマ ただ、かえって増えすぎちゃって、写真として意味のないところとか、身のまわりのものを撮る人ばっかりになっちゃったでしょ。そのへん、なにかぼくも誤解されてるんじゃないかなって思うんですよね。たとえば朝日新聞の書評で、藤原(新也)さんが、ぼくと佐内(正史)をひとくくりに書いたりするでしょ。 大竹 そうよね、あれには驚いたわよね! ホンマ 「新郊外写真」って名づけてるんだけど、ぜんぜんぼくと佐内のやり方ってちがうと思うんですよ。そういう意味では、藤原さんのコメントより、展覧会の会場にきた人がアンケートに書いてたんですけど、ホンマさんの写真はすごく冷たくて近寄りがたい感じがあるけど、佐内さんの写真には日曜日に布団を干したときの温かさのようなものを感じますって。まあ、こっちの方が質に近いですよね。 http://wiredvision.jp/archives/special/intervie

    対談:ホンマタカシ× 大竹昭子(1999年3月9日 構成:佐々木直也 WIRED VISION)より抜粋&関連リンク - Übungsplatz〔練習場〕
  • ホンマタカシ対談連載 写真について話そう vol.10「写真を語るための文脈を探して 」 | ARTICLES | IMA ONLINE

    IMA Magazineの他、若手写真家の作品や作品集を販売中。会員登録で5%OFFでお買い求めいただけます。 IMA 2023 Autumn/Winter Vol.40 2023年10月29日発売 ホンマタカシの現在地 ホンマタカシの写真は、1990年代からずっと私たちの身近に存在している。スクラップ・アンド・ビルドを繰り返す東京のまち、押し寄せては引き返す海の波、森の中に生えるキノコ、どれも一見いつも変わらないようで、実は常に変化しているものに目を向ける。 彼は一回の撮影で、数回しかシャッターを押さない。彼は、自分の写真がメディアによって変わるのをよしとする。彼は平気で嘘をつく。写真の嘘が真実に見えることを楽しむ。ホンマの写真は常に流れているのだ。「回顧とか総括みたいなの、やなんだよね」。権威的な予定調和を厭う写真家のそんな言葉から始まったこの特集は、ここ数年の作品と日記と他者との対話

    ホンマタカシ対談連載 写真について話そう vol.10「写真を語るための文脈を探して 」 | ARTICLES | IMA ONLINE
  • フェラーリス「新実在論」と写真 - シロナガス/星景写真と科学本のブログ

    ふむ、梅雨ですね。 雨が降らなくても、雲がちな夜が多く(というか、ほぼそうで)撮りにいけておりません。なので、とうとう、写真論を書いておかないといけないかなと、…。 そもそもからいうと、私は、私が、どういう形で写真を撮っているのか、あるいは、なぜ撮っているのかというようなことを、言語化しておきたいという欲求がかなりありまして、元々、読みなのもあり、写真を撮り始めてからというもの、古今東西の写真論を色々と読み続けています。 また、写真論といっても、写真論そのもののだけではなくて、社会学や哲学や、サイエンスノンフィクション、あるいはある種の小説なども、「写真とは何か」、という問いに、色々な形で示唆を与えてくれます。 なので、実は、ほとんど何を読んでも、写真論になるなというかなり無茶なことを思い始めています(笑) 基的には、ある一冊のをもとにしながら、そこに関わる形で、写真論として一

    フェラーリス「新実在論」と写真 - シロナガス/星景写真と科学本のブログ
  • 「日常星景」序論 - シロナガス/星景写真と科学本のブログ

    はい。 (※2/1改題 「日常的星景」→「日常星景」に変更。主に語感の問題…) 今日は、(例によって、需要については度外視した)写真論記事です。 私は、一枚撮りの星景写真を基に撮影を続けていますが、そのことにどういう意味があるのかというのを、常々、考えています。 今回、それを、「日常星景」という言葉でまとめてみたいと思います。 この時、「日常」というのは、思い通りにはならない日々のこと、と定義しておきましょう。 つまり、日常星景とは、「思い通りにならない」星景写真だということになります。 一枚撮りなので、そこには、飛行機や船、自動車などの光跡が写ることもあれば、雲が入り込むこともあります。あるいは、環境光の影響を受けることもあります。すべてをコントロールできた「完璧」な写真になることはまずありませんし、そこを目指してもいません。 けして「完璧」ではない、思い通りにならない写真を、撮り続け

    「日常星景」序論 - シロナガス/星景写真と科学本のブログ
  • 絶対非演出の絶対スナップ・土門拳/古寺巡礼・室生寺・平等院鳳凰堂・ヒロシマ・筑豊の子供たち|骨董品・美術品買取こたろう

    ●「拳」を名前に持つ男 ここに図録に書かれた署名がある。縦幅いっぱいに書かれた「土門拳」の文字。 「拳」。力強い名前だが、実際に生まれた子供につける名前としては勇気がいるのではないか?俳優に「緒形拳」がいる。しかし、名ではない。芸人では「鉄拳」がいる。もちろん、名ではない。 平成から令和となった現在では知る人も少なくなったが、昭和期の代表的な写真家が土門拳である。木村伊兵衛という先達がいて、日写真家の巨匠というとこの二名をあげる人も多い。今日でも、多数の写真家がさまざまな活動をしているが、この二名のほかには実績として評価される写真・撮影テーマを持つ写真家は少ない。というのは、今や写真の価値は撮影した写真家から、俳優・モデル・アイドル・歌手などといった被写体に移ってしまったからである。 今回は、自から課したテーマをひたすら追い続けた写真家・土門拳の生涯を振り返る。 ●写真家・土門拳 土

    絶対非演出の絶対スナップ・土門拳/古寺巡礼・室生寺・平等院鳳凰堂・ヒロシマ・筑豊の子供たち|骨董品・美術品買取こたろう
  • ティルマンスと「写真薄い」問題/文・村上由鶴 おとといまでのわたしのための写真論 | POPEYE Web | ポパイウェブ

    絵画、彫刻、映像、インスタレーション…など、アートにはさまざまな形態(メディア)があります。写真もそのひとつですが、写真の、ちょっと不利な特徴がその「薄さ」ではないかな、とわたしは常々思うのです。 薄いというのは、内容が薄いとか、メッセージが薄いとか、そういうことではありません。物理的な薄さのことです。 それを初めて強く実感したのは、美術系の大学の卒業制作展に行った時のことでした。 美術系の大学の卒展/修了展に行ったことがあるひとにはおわかりいただけるかもしれませんが、こうした展覧会というのは、たいてい学科ごとの展示になっていることがほとんどです。学科ごとというのはつまり、メディアごとに部屋が分かれているということであり、絵画や彫刻の部屋をまわったあとに、写真のコーナーに行くと、その薄さが際立って感じられることがあるのです。 もちろん、写真は二次元の平面ですから、薄いのは当たり前です。 最

    ティルマンスと「写真薄い」問題/文・村上由鶴 おとといまでのわたしのための写真論 | POPEYE Web | ポパイウェブ
  • 写真はわからない 小林紀晴 | 光文社新書 | 光文社

    シャシンハワカラナイ 2022年4月13日発売 定価:1,078円(税込み) ISBN 978-4-334-04601-9 光文社新書 判型:新書判ソフト 写真はわからない撮る・読む・伝える――「体験的」写真論小林紀晴/著 写真に携わるようになって30年以上の時間が経った。(中略) 書では、「撮る者」として、長く写真に関わってきた体験から生まれたことを中心により具体的に語っていきたい。さらに写真教育に携わるようになって感じたことについても触れたい。 これから写真を始めようとしている人、すでに趣味で写真を撮っている人、現在写真を勉強している人、さらにはプロを目指している人など、写真に興味を持ちながらも、写真が「わからない」と思っている人たちに何かしらのヒントを得るものだったり、手助けになるものであることを願っている。                        (「はじめに」より) 目次

  • Keita's talk 395 モノクロの話|佐々木啓太

    フィルムでモノクロ写真をやっているとだいたい段階がある。 初めはグレーの時代。黒(シャドー)の締まりがなく白(ハイライト)が立っていないユルユルな感じ。 次は黒の時代。黒の締まりをだすためにアンダー気味に撮るので全体的に暗い感じ。 最後はモノクロ時代。黒の締まりがあって、ハイライトが立っている。さらに黒の中には深いトーンが綺麗に残っている感じ。 オレは最後のモノクロ時代に来るまでに10年以上かかった。 デジタルではコンラストの調整もしやすいし、初めからメリハリも強いのでそんな時代を経験しなくても良いかと最近まで思っていた。 やっぱりそうではないみたいというのが今の思い。 それは単純に露出補正やコントラストの調整だけではモノクロ時代にならないから。 何が違うのかといえば、光の見極め。 必要なトーンが狙える角度で光を撮っていないとモノクロ時代にはならない。 撮影会などで一緒に回っているときは必

    Keita's talk 395 モノクロの話|佐々木啓太
  • 写真を編む人へ:Photo & Culture, Tokyo

  • 「運動史」としての写真史 若山満大評「「写真の都」物語 ―名古屋写真運動史:1911-1972―」

    「運動史」としての写真史 若山満大評「「写真の都」物語 ―名古屋写真運動史:1911-1972―」名古屋市美術館にて、2月〜3月に開催された展では、1920年代に日のピクトリアリズムをけん引した〈愛友写真倶楽部〉や写真家・東松照明を生んだ都市、名古屋の写真表現の展開に焦点をあてた。同地名古屋に根ざす美術館で、その物語はどのようにつむがれたのか? 東京ステーションギャラリー学芸員の若山満大がレビューする。 若山満大=文 東松照明 神奈川・横須賀 1959 1959 豊橋市美術館蔵 すべて終わった、だが写真だけが運動し続けている 名古屋市美術館で「「写真の都」物語 名古屋写真運動史 1911-1972」が開催された。展は、名古屋を中心に活動した写真家・写真団体を時系列に沿って紹介し、同地60年の写真史として総括する展覧会である。 展序文には「写真表現の変遷を個人の表現史として回顧するの

    「運動史」としての写真史 若山満大評「「写真の都」物語 ―名古屋写真運動史:1911-1972―」
  • 「現代写真」の系譜 圓井義典 | 光文社新書 | 光文社

    「ゲンダイシャシン」ノケイフ 2022年3月17日発売 定価:1,078円(税込み) ISBN 978-4-334-04597-5 光文社新書 判型:新書判ソフト 「現代写真」の系譜写真家たちの肉声から辿る圓井義典/著 今日目にすることのできる写真であれば、それらはすべて「現代写真」と呼んでかまわないようにも思えます。しかしそうではなくて、ある限られた写真だけを「現代写真」と呼ぶのであれば、いったいそれらは何によってそのほかの写真たちと分け隔てられることになるのでしょう。おそらくそれは、「写真のこれまでの歴史へのまなざし」をもっているかどうかということです。 「現代写真」と呼ばれる表現を生み出してきた写真家たちのことを知れば、彼らの姿勢には必ずこのニュアンスが含まれていることに気がつくはずです。 (「はじめに」より) 目次 【第一章】土門拳と植田正治 【第二章】東松照明と森山大道 【第三章

  • 最新の機材、最新の技術で 「真実を写す」ことに挑戦するから 写真は進化し続ける | + SIGMA | SEIN | SIGMA

    フィルム写真のデジタイズのパイオニアとして、また美術作品のデジタルアーカイブ化の第一人者として、 早くからSIGMAのデジタルカメラを用いた技法を確立し、独自の研究を重ねている写真家であり 製版のスペシャリストでもある、西川茂さん。そして「大曽根、語る。」でおなじみ、SIGMAの商品企画部長・大曽根康裕。 今回の企画は、西川さんの経験則にねざした「SIGMAのカメラでなければならない理由」を、 長年にわたり親交を深めてきた大曽根との対話を通して浮き彫りにする試みです。 10代で油絵を学んでいる際に写真家・東松照明の作品に出会い、ドキュメンタリーがアートになることに衝撃を受けたという西川茂さん。郷里富山から上京し、やがて「WORKSHOP写真学校」の東松照明教室出身者らが中心となって立ち上げられた「フォトギャラリー PUT」で個展を開催するなど、写真家として活動するようになります。 「写真は

    最新の機材、最新の技術で 「真実を写す」ことに挑戦するから 写真は進化し続ける | + SIGMA | SEIN | SIGMA
  • じゃない写真 現代アート化する写真表現

    渡部さとる 著 定価(体2400円+税) ISBN978-4-87262-710-7 ご注文はこちらから は じ め に コラム編 現代写真って何だ? 1 写真の役割は終わった 2 写真の真実性 3 写真の「自立」 4 コラージュとレイヤー 5 解像度が減っていく 6 アンドレアス・グルスキー 7 空問題と遠近感 8 ベッヒャー夫 9 ティルマンスの壁 10 パスの方向性が変わった 11 茶の湯とアート 12 新しい写真の形 13 コンセプトは利用するもの 14 「今日写真は死んだ」 15 盗用する作家 リチャード・プリンス 16 「オリジナル性」を手放す 17 報道写真から主観写真、そしてポストモダンへ 18 『プロヴォーク』 19 主体の解体と記号の排除 20 横田大輔 21 写真のマチエール 北井一夫 22 セルフポートレート 23 写真の地図 24 最近の写真はよくわからない

    じゃない写真 現代アート化する写真表現
  • 連続トーク「何故、写真なのか」 金川晋吾×川崎祐(聞き手 清水裕貴) “何故写真家が文章を書くのか”|清水裕貴

    金川「具体的に参考にしたというより、このはすごく変で妙な魅力があるよねという話をデザイナーの宮越さんとしていました。(デザイン:宮越里子)何がどう具体的に反映されているのかはわかりませんが、僕はこのを宮越さんにしばらく預けていました。不思議なですよね。例えば、この表紙のマークとかよくわかりませんよね。これはなんなんでしょうね」」 『光景』表1 清水「これなんなんだろうね」 川崎「これ、僕はまずデザイナーに寄藤文平さんを指名してお願いしました(デザイン:寄藤文平+岡田和奈佳)細かい仕事をしつつ、見え方を大胆にずらす仕事をする印象がありました。長島有里枝さんのSWISSとか」 川崎「微妙なずれを溜めていくところが『光景』という作品にはあって、それを見逃さない人だろうと思ったから頼みました。最初の打ち合わせで、「一旅終えた感がある」という感想を言われたんです。『光景』自体はどこにも行かない

    連続トーク「何故、写真なのか」 金川晋吾×川崎祐(聞き手 清水裕貴) “何故写真家が文章を書くのか”|清水裕貴
  • 連続トーク「何故、写真なのか」 うつゆみこ×Ryu Ika (聞き手 清水裕貴) ”母と血 後ろめたい夢” @さいとう読書室|清水裕貴

    「母と血 後ろめたい夢」(左)血の色のドレスを着てきてくれたうつゆみこさん (中)Ryu Ikaさん (右)清水 撮影:村松聡母娘の接近と別れ清水「Ikaさんが文學界の五月号に寄稿されたエッセイで「日に来るまでほとんど友達がいなかった」「母親が唯一、おしゃべりしたり遊んだり写真を撮らせてもらう相手だった」と書いてありまして、へーと思ったんですけど」 日に来るまで、ほとんど友達がいなかった。うちは両親共働きで大学と幼稚園の先生のため、教育はそこそこしっかりしていたが、交友関係などの人間としてのスキルを期待されたことも教わったこともあまりなかった。 (中略) そこで私の生まれつきのお友達––母親に話したら「いいよ」と快諾してくれた。一緒に何をどこで撮るかを話し合ったりして遊んで、旅立つような気持ちで撮り始めた。 文學界5月号 Ryu Ika 窓辺より「お別れだけの旅」Ika「友達がいないと

    連続トーク「何故、写真なのか」 うつゆみこ×Ryu Ika (聞き手 清水裕貴) ”母と血 後ろめたい夢” @さいとう読書室|清水裕貴
  • 日本写真史の目次と序文を眺める|清水裕貴

    ↑戦前、戦後の日写真の歴史を把握したくてこれを買いました。 「日写真史 写真雑誌1874-1985」(平凡社) 金子隆一 戸田昌子 アイヴァン・ヴァルタニアン リサーチのために分厚い歴史を手に取る時、大抵は図書館でさらーっと全体を見たあと目当ての項目を数十ページコピーして終わりなんですが、これはさすがに写真家としてじっくり通読しなくちゃいけない気がしたので、学生時代に気分を戻し(武蔵美では全然まじめに歴史の勉強しなかったけど)(重厚長大な専門書を読み解く授業より、素敵なエッセイみたいな語り口で四方山話をする授業を選びがちだった……)読んでいこうと思っています。 まずタイトル。英語版がGOLICAから先に出版されておりタイトルは「Japanese Photography Magazines, 1880s to 1980s」のみ。つまり日語版で二行めに小さく記載されている「写真雑誌1

    日本写真史の目次と序文を眺める|清水裕貴