戦史・歴史関係の執筆&ウォーゲームデザインを楽しんでいる 福田 誠 のWebサイトです。 シーパワーが決した箱館戦争 明治維新の最終章、明治元年〜二年(一八六八〜九)にかけて南蝦夷(北海道南部)を舞台にした箱館戦争は、五稜郭が大きく注目されたために陸戦が中心だったように思われがちだが、実のところ、彼我のシーパワーが戦局を決した日本最初の戦いだった。 旧幕府海軍副総裁榎本武揚は、旧幕府艦隊を率いて箱館に上陸、蝦夷共和国の樹立を図った。しかしそれは、軍艦「開陽」を中心とした新政府軍を凌駕するシーパワーあってのものだった。「開陽」の遭難とアメリカ軍艦「ストーンウォール=甲鉄」の新政府軍への売却により、彼我のシーパワーは逆転した。 明治二年三月二十五日、蝦夷海軍(旧幕府海軍)はこの再逆転を図るべく、宮古湾を襲撃して「甲鉄」を奪取しようとした。いわゆる「宮古湾海戦」であるが、数々のアクシデン
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