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言論に関するgastaroのブックマーク (19)

  • トマセロの家 共在感覚 2

    共在感覚 1の続きである。 ボンガンドでは、「投擲摘発話」という発話の形態がある。この形態のひとつが、ボナンゴと呼ばれるものである。おもに中年から老年の男性、時には女性や若者も行うのであるが、一人で誰もいない広場に向かって演説をするのだ。2〜30分続くような、壮大な独り言である。木村先生のページで動画が見られるのでぜひ見てほしい。面白すぎる。こんな人が日にいたらちょっと危ない人だと思われるだろう。(先日、百万遍交差点のダイコクドラッグの前から交差点の中心に向かって演説している議員がいたけど、とてもボナンゴに似ていた。) そのボナンゴの内容だが、「明日みんなで橋を修理しよう」とか「村の男が森で迷って帰ってこない」など、ある程度中身のある話もあるものの、「孫が学校にいかない」とか「今日は暑い」とか、どうでもいいことも喋っている。 このボナンゴに対し村の人々は完全に無関心である。儀礼的無関心と

  • インターネット連続講座

    3. 投擲的発話 私は彼らの発話の形式を,「普通の大きさの声」か「大きな声」か,そして「相手を特定している」か「特定していない」か,という二つの基準によって,四つに分類した。 「普通の大きさの,相手を特定している」発話 = 通常の対面的会話 「普通の大きさの,相手を特定していない」発話 = ひとりごと,赤ん坊の泣き声など 「大きな声の,相手を特定している」発話 = 「遠距離会話」 「大きな声の,相手を特定していない」発話 = 「投擲的発話」(後述) 彼らの発話形式がこれら四つの象限を,自在にふらふらと浮動している。 たとえば日人であれば,遠くの人を呼ぶ必要が出てくると,「気持ちを切り替えて」呼ぶということをする。 しかしボンガンドの人々は,小声の発話から大声の発話まで,そして相手を特定した発話から特定しない発話までを,連続して変化させているのである。 村の長老Baohandaがボナンゴを

    gastaro
    gastaro 2010/02/22
    「ボナンゴの内容は情報伝達的な内容であることもあるが以下に示すような日本人の常識からすると村中に聞こえる大声で喋らなくてもいいように思えるものも多かった。「自分の孫が学校に行きたがらない」「暑くてたま
  • 梅田望夫「ウェブ上での人体実験を、今日にて終了する」 - ネタフル

    先ごろ、インタビューで「日のネットは残念」と語り、いろいろな人がいろいろな意見を述べたのですが、結局、梅田望夫氏の中では何も変わらなかったということなのでしょうか。 それにしても「ウェブ上での人体実験」というのは、何を指しているのでしょうか。ブログ「My Life Between Silicon Valley and Japan」を見ても、それ以前からのエントリーがあります。 と思ったら、すぐに「ウェブ上での人体実験=すべてのウェブ上での反応・感想を読むこと。これはもう終わりにしてもいいだろう。30,000以上、読んだから」というつぶやきがありました。 なるほど、ブログやTwitterを止めるということではなく、ウェブにおける反応・感想の全てに目を通す作業を「人体実験」と呼んでいるのですね。 ぼくも全てに目を通せているかどうか分かりませんが、Googleなどを「ネタフル」で検索した結果を

    梅田望夫「ウェブ上での人体実験を、今日にて終了する」 - ネタフル
  • ドメインパーキング

    blogzine.jp

  • ネットの言論はクズ - finalventの日記

    ⇒切込隊長BLOG(ブログ): 新聞社OBに「ネットの言論はクズだ」とボコられる ま、そりゃ、ネットの言論はクズでしょ、またーり、みたいにも思うのだが、言論とかいうときのスコープが違うのな。非モテとか非コミュとか、俺くらいの歳のフツーの男とかから見ると、別に情報業界場末の中小企業社長さんにぶいぶい美学を語らせるまでもなく、バカじゃねーこいつらってことになる。で、ま、端的にネット側から応答すると、爺、氏ね、つうことになる(そして俺も爺だ)。そのあたりのズレの全体構図がわかってないとネット言論の持つ潜在的な意味はよくわかんないですよ。ってか、補助線的に言えば、吉隆明が80年代にマスイメージ論あたりでサブカルチャーを文学と同一地平に置いたあの柔軟性みたいなものが、今、ネットの言論で起きているのに気がつかないやつ、ゆっくり寝ていてください、というか、言わなくても安眠しているげ。ま、俺くらいの歳で

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  • グーグル八分対策センター : Centers of against for Google censorship

    グーグル八分(google八分)とは、村八分になぞらえた言葉で、Googleの検索結果から特定のページが、恣意的に削除されていることをいいます。お知らせ:未踏ソフトウェア創造事業の支援を受けて開発された「グーグル八分発見システム」を配布しています。 ご協力のお願い - Google八分の見つけ方 - 対策センターについて - 人材募集 - データベース ©2006 Google八分対策センター はてなブックマークに追加 | Livedoor clip | del.icio.usに追加

    gastaro
    gastaro 2006/12/11
    チェックしたいキーワードかURLを入力すると、説明が表示されます。
  • 希望は戦争 - 狂童日報

    格差社会論も傷気味と思っていたところに、『論座』1月号に赤木智弘「「丸山眞男」をひっぱたきたい」という文章を読んだ。大げさじゃなく、この1年の格差社会論で最も刺激的で面白い論文だった。 今までの格差社会論の多くは、「真面目に働く庶民」を前提とした「新自由主義」「勝ち組」批判が多かったし、フリーターやニートの問題も、「新自由主義」「勝ち組」と呼ばれる層が批判の矛先になっていた。しかしこの現役フリーターを自称する赤木という人は、「真面目に働く庶民(=労働者)」を敵視する。自分を「弱者」であるとためらわず自己定義し、怠惰なのではなく「不幸な世代」であるだけだと訴える。そうして彼は主張する。いま「平和な社会」の維持を語ることは、定職と家庭をもつ上の世代の豊かな生活を維持し、若者を家庭ももてないような弱者にとどめておく、現在の状態を維持することでしかない。それに比べれば、国民全員が平等に苦しむ戦争

    希望は戦争 - 狂童日報
    gastaro
    gastaro 2006/12/07
    現役フリーターを自称する赤木という人は、「真面目に働く庶民(=労働者)」を敵視する。自分を「弱者」であるとためらわず自己定義し、怠惰なのではなく「不幸な世代」であるだけだと訴える
  • アメリカの大学出版部が「日本のアニメ・マンガ」をメインとする学術誌発行。 - 英語で!アニメ・マンガ

    アメリカのミネソタ大学の出版部「ミネソタ大学プレス」が、日のアニメ・マンガを主に扱う学術誌『MECADEMIA(メカデミア)』の発行を始めたようだ。 『MECADEMIA(メカデミア)』のHPはこちら。 そのHPの説明によると、『メカデミア』はアニメ、マンガ、そしてそのファンを扱う学際的学術誌で、そのテーマにはマンガ、アニメに始まり、ゲーム・デザイン、ファッション、グラフィックス、パッケージング、玩具、そして日のポピュラー・カルチャーに関わる広い範囲のファンの活動も含まれる、ということだ。 第1号の目次を見る限り、日のアニメ・マンガについてを出したことのある、見慣れたお名前も数々見られる。例えばスーザン・ネイピア氏(『Anime: From Akira to Princess Mononoke』日題名『現代日のアニメ』)、アン・アリソン氏(『Permitted and Proh

    アメリカの大学出版部が「日本のアニメ・マンガ」をメインとする学術誌発行。 - 英語で!アニメ・マンガ
  • 竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』、疑惑の論文それ自体への言及 - 伊藤剛のトカトントニズム

    大人のミヤモメモ id:hrhtm1970:20061124:1164301675 うちのブログをお読みの方は、かなりの割合ですでにリンク先の宮君のブログをお読みだと思いますが、うちの更新はチェックしていても宮君のほうはしていない方もおられると思うので、触れておきます。 などともってまわった物言いをしているのも、問題ののもととなった、この「博士論文」それ自体を一部とはいえはじめて読み、言葉を失ったからです。宮君から話はきいていたけれど、ここまでひどいとは……。いや、しかし、ホント、すげえな。とにかく、読んでみてください。宮君もよくここまで丁寧に扱ったものです。それほど、ひとを呆れさせ、まともに取り合う気をなくさせる代物です。 とはいえ、宮君の文中にもぼくの名前が出ているので、萎え萎えになる気持ちをどうにかしてひとつだけ言及しておこうと思います。竹内一郎氏が、現在の日のマン

    竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』、疑惑の論文それ自体への言及 - 伊藤剛のトカトントニズム
  • 2006-11-09

    いろんな意味で、痛いニュースです。 すでにいろいろなマンガ評論系ブログで騒がれていますが、まだ知らない方も多いと思いますので、ここでも取り上げます。 第28回サントリー学芸賞に、竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』が選ばれてしまいました。 手塚治虫=ストーリーマンガの起源 (講談社選書メチエ) 作者: 竹内一郎出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/02/11メディア: 単行(ソフトカバー) クリック: 18回この商品を含むブログ (33件) を見る 第28回 サントリー学芸賞の決定 http://www.suntory.co.jp/news/2006/9630.html サントリー学芸賞に7氏 http://www.asahi.com/culture/update/1108/019.html マンガ研究者・評論家の間では、今年マンガ研究書が選ばれるなら、伊藤剛氏の『テヅカ

    2006-11-09
  • 宮本大人のミヤモメモ:サントリー学芸賞はその歴史に大きな汚点を残した

    と思います。 「サントリー学芸賞に7氏」 http://www.asahi.com/culture/update/1108/019.html 「第28回サントリー学芸賞の決定」 http://www.suntory.co.jp/news/2006/9630.html 今回の「芸術・文学部門」の受賞作の一つである、竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』(講談社)が、この受賞にふさわしいレベルの著作でないことは、「恍惚都市」の下記のエントリにまとめられた、いくつかのブロガーたちによる議論や、「白拍子なんとなく夜話」のエントリを見れば明らかです。 http://d.hatena.ne.jp/komogawa/20061109 http://d.hatena.ne.jp/y-shirabyoushi/20060309 今回この著作を受賞作に選んだ「芸術・文学部門」の選考委員諸氏(大岡信、大笹

    宮本大人のミヤモメモ:サントリー学芸賞はその歴史に大きな汚点を残した
    gastaro
    gastaro 2006/11/09
    竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』(講談社)
  • 東浩紀 コムジン対談 - COMZINE by NTTコムウェア

    には情報社会論を研究するような機関がほとんどありませんね。実はGLOCOMも技術的、ビジネス的な色彩が強く、どちらかというと産業寄りで、社会学的分野が手薄だと思っていたので、そのGLOCOMからisedのようなプロジェクトが立ち上ったのにはちょっと驚きました。僕が提唱しているサイバーリテラシーも情報社会論的なアプローチなので、このプロジェクトにとくに強い関心をもったわけです。 まだ僕が勝手にやっているという段階ですが、2003年にGLOCOMに入った当初は、確かに自分の考え方との乖離を感じました。その後、1年経ってようやく接点が見えてきたところです。 情報社会論について議論するには、どうしても世代的なギャップがありますね。isedで参加メンバーを20代と30代に限定したのも、それ以上の世代とはライフスタイルが違うからです。日常的にネットやWinny(ファイル共有ソフト)、2ちゃんねる(

  • Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~: 100年前からこんにちわ

    IZAのサイトを巡っていたら、「大衆芸術と民主主義」という、評論家の呉智英さんの短いコラムが載っていました。 文化庁メディア芸術祭実行委員会が、「日のメディア芸術百選」をネットアンケートで選んだところ、マンガ部門の1位が「スラムダンク」で、2位が「ジョジョの奇妙な冒険」で、3位が「ドラゴンボール」だったそうで、呉さんはその結果に大衆の愚かさを見て、大衆が舵を握る民主主義の限界を嘆いています。 読んでいて軽いめまいがしました。というのもこれ、100年前のインテリがしていた議論そのものです。一体我々はこの100年間に何を学んだのか、100年前と同じ議論をする人が堂々と「評論家」の看板を掲げているとはどういうことなのか、ほんとに悲しくなります。 100年前のインテリたちは、当時の欧米で時代を謳歌していたアングロサクソン型デモクラシーの低劣さに飽き飽きし、より正しく、より美しく、より効率的な社会

    gastaro
    gastaro 2006/10/26
    呉智英/日本のメディア芸術百選」をネットアンケートで選んだところ、マンガ部門の1位が「スラムダンク」で、呉さんはその結果に大衆の愚かさを見て大衆が舵を握る民主主義の限界を嘆いています
  • オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思

    ノンフィクション作家。1961年、東京生まれ。中央大学大学院文学研究科修了、哲学専攻。エホバの証人信者の輸血拒否事件を追った『説得』(現代書館)で1989年講談社ノンフィクション賞を受賞。オウム真理教に実際に入って書いた『麻原彰晃を信じる人びと』(洋泉社)など、まず現場に行きそこでの体験を記述するという方法をとっている。著書には『萌えの研究』(講談社)『人格障害をめぐる冒険』(草思社)『マレー獏は悪夢を見ない』(扶桑社)『消えたマンガ家』(太田出版全3巻/新潮OH!文庫全2巻)などのほか、漫画家水木しげる氏との共著『水木しげるの大冒険』(扶桑社)『精霊の楽園オーストラリア』『幸福になるメキシコ』(いずれも祥伝社)などがある。編著としては庵野秀明『スキゾ・エヴァンゲリオン』(太田出版)、水木しげる『日の水木サン』(草思社)などがある。

    gastaro
    gastaro 2006/10/23
    大泉実成/竹熊健太郎氏との対話
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 映画のススメ LET'S SEE THE FILMS! & MENU

    新作映画や「泣ける映画」等の掲示板あり。映画評を500以上収録。お薦め映画が探せる心理テストが人気!

    gastaro
    gastaro 2006/10/15
    映画感想&評論サイト
  • 「グーグル八分」を助長する?

    「情報大航海プロジェクト」で感じた不安 映像・情報・通信の総合展示会「CEATEC JAPAN 2006」が、10月3日~7日にかけて幕張メッセで開催された。その特別展示ブースにおいて、経済産業省が主導し、産学官連携によって次世代検索技術の研究開発を行う「情報大航海プロジェクト」 の発表が行われていたため、7日に見学に訪れた。 ブースでは、ディスプレイとステージ上の巨大プロジェクタにおいて、国産検索エンジン技術の必要性を説明するビデオが、繰り返し流されていた。ビデオに登場するジャーナリストの田原総一朗氏は「Google(グーグル)に取り上げられない情報は、情報でなくなってしまう」と述べ、その後、タレントの眞鍋かをりさんが「グーグル八分」と呼ばれる現象があることを説明していた。 グーグル八分とは、以前「検閲、それともクレーム対応?検索結果における見慣れぬ表示」でも取り上げたが、グーグルが、特

  • 池田信夫 blog:新書365冊(宮崎哲弥)朝日新書

    著者とは、10年以上前、まだ彼が博報堂に勤務していたころにつきあったことがある。彼も私も、ニフティの「現代思想フォーラム」の常連で、オフラインでも何度か会った。彼は西部邁氏に興味をもっていて、私に「紹介してくれ」といったが、私は「学問的に得るものはないので、やめたほうがいい」といって断った。その後、彼は自分で西部氏に接触し、一時は彼の編集する『発言者』の常連になったが、案の定、喧嘩別れした。 書は、そんな著者の博識ぶりが発揮され、読書ガイドとしてはよくできている。毎月60冊もの新書をすべて読破して書評するというのは、2ヶ月に1冊の書評も持て余している私からみると驚異的だが、意外にていねいに読んでいる。特に彼の得意とする政治・思想・宗教の分野では、右翼とか左翼とかいう図式にとらわれないで、バランスのとれた評価をしている。ただし、著者が高く評価する橋爪大三郎・佐伯啓思・仲正昌樹・中島義道と

    gastaro
    gastaro 2006/10/12
    宮崎哲弥/本人は「現代の辻説法」のつもり/ワイドショーにまで顔を出していると、西部氏のように使い捨てにされて、安っぽいイメージが残るだけだ
  • ブログと論壇誌メモ - finalventの日記

    いわゆる論壇誌について 論壇誌について、私は定期購読ではないですが「文藝春秋」はほぼ毎月読んでいます。「中央公論」や「世界」はそのとき気になる記事があれば読みます。他の論壇誌も同じです。 個人的な印象にすぎませんが、いわゆる論壇誌は私にはあまり面白くありません。読む前から結論のわかっているテーマが多く、短い記事は冗長になりがちであり、ある程度奥行きのある話を求めるならその書き手の著書や新書(たいてい存在する)なりを読んだほうが、情報の収集という点でも便利です。 論壇誌が日で存在している理由は、出版文化として社会問題について書ける人材を育てるということと、現在の出版界において、新書や新刊書の広告的意味を担っていることの2点ではないでしょうか。 南原繁でしたか記憶によるのですが、東大の卒業生へのはなむけの言葉で、大学を出てから文藝春秋だけ読んでいるようではだめだと諫めたのは。時代は昭和三十年

    ブログと論壇誌メモ - finalventの日記
    gastaro
    gastaro 2006/10/11
    ブログにはある種の自浄作用があります。私の意見がある方向に偏っていると強い批判や罵倒を受けます。これはある程度は受けなければならないものですが、「きっこの日記」はそのネット社会からの応答部分を隠蔽して
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