タグ

2006年10月31日のブックマーク (3件)

  • BLUE ON BLUE(XPD SIDE) :: 黒須ちゃん、練る(補論)

    禁煙31日目。 昨日――というか、ここ最近書いたエントリを読み返したら、随所にイガイガとしたものが見え隠れしています。反面、論旨については、あれだけ言葉を並べてなお、整理し切れていない。もう少し、冷静かつ緻密な文章を書く必要がありそうです。 特に、エントリを余り推敲しないでうpする癖は、いい加減やめねばと思っているのに、なかなか直りません。きっと推敲しているときりがないからなのだけど、これは往々にしてエントリの質的水準低下を招くので、改善せねばならない。 全然関係ないのだけど、先日医者に出向いたら「病の気があるから心療内科で診察と投薬を受けなさい」と、えらく自信たっぷりにいわれたのです。内科医に。 内科医が問診時の印象だけでそこまで断言できるのだろうか、と、首をひねりつつも、紹介状書いてもらったので、近日中にメンヘル行ってきます('A`) しかしなんだ、書いてるものに責任がもてないほど心

    BLUE ON BLUE(XPD SIDE) :: 黒須ちゃん、練る(補論)
    genesis
    genesis 2006/10/31
    コンプリートという審級と「意思決定の無効性」
  • 『D.C.〜ダ・カーポ〜』論 失われた"Fine"を求めて

    初出:Game Deep # Vol.5(2003年9月7日 KeyMix 5th Mix にて初売り) 『D.C.〜ダ・カーポ〜』(以下、『D.C.』)に対する言及として典型的なものは、所謂ギャルゲーの要素を様々なところから引いているが、核となるものがなく、成功していないと言われることである。それは、『AIR』であれば"SUMMER"によって提示され、"DREAM"によって繰り返される物語のバックボーンがPLに沈殿していることである。その定着が図られた後、"AIR"が改めて開始される。それでは、同様の「核」は当に『D.C.』において存在しないのだろうか。 『D.C.』において常に意識せざるを得ないのは、他のギャルゲー・アニメに対する言及である。これは昨今「同人」とされ軽く見なされるが、古典文学においては至極当然のことであった。例えば、和歌や連歌における「歌取り」、能の「説」など

    genesis
    genesis 2006/10/31
    曰く,「それまで典型的なギャルゲーの主人公という存在であった純一が、その存在様式自体に自覚的であったことに自己言及していることが明示される。これはギャルゲーの文法そのものの揺さぶりがかけられている」
  • http://blog.livedoor.jp/profi1175/archives/50749648.html