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ブックマーク / web.archive.org (5)

  • chronicon nomadis - 男の子はもういらない

    ■[マンガ] 男の子はもういらない 谷川史子の最新刊『ホームメイド』(2005年)は、緩やかな変化を遂げてきた谷川作品のメルクマールをよくあらわしている。1巻は主人公の日和子と母・貴和子の物語。2巻は日和子と幼なじみ・こるりの再会と別れを描いている。日和子が気になる男性や、幼なじみの男の子など、よく用いられる舞台装置はもちろん揃っているのだが、それらは話の中心にならない。重要なのは、日和子が母親と対話をすること、女友達と対話をすることであって、男の子と対話をすること(あるいは対話の挫折に苛立つこと)ではない。極端なことを言えば、男の子は憧れの男性であれ、幼なじみであれ、もはや女の子の対話の相手ではなくなったのである。 90年代を通して谷川史子が描いてきたものは、そのほとんどが女の子と男の子の対話である。どれほど「憧れの先輩」や「大人の男性」に目移りしようとも、主人公が戻り立つ場所は対話でき

    genesis
    genesis 2007/03/20
    曰く,かつて谷川が描いてきたものは「女の子と男の子の対話である」,「それが『HM』ではほとんど見られなくなった」,こうした転換を支えるのは [1]対話が説得力を失った [2]対話の相手たり得ない男の子 という変化
  • A.B.: 『ひぐらしのなく頃に』はゲームか?

    genesis
    genesis 2007/03/20
    2005年01月18日付け。曰く,「受け身ではないゲームへの積極的な参加は、選択肢が無いからこそ導かれる。」
  • chronicon nomadis - 世界はわたしにやさしくない

    ■ [マンガ][わかつきめぐみ]世界はわたしにやさしくない ひとつの同じ出来事が受け取る人によってまるで違うものになってしまう、ということは比較的了解しやすいだろう。だが、こういうことを言うと、それは「人によって意見が違う」ことだとしばしば誤解される。たとえばある人が「人類の平和のために戦争はないほうが良い」と発言すると、それに賛同を示す人もいるし「いや、大義名分のある戦争ならむしろ必要だ」と言う人もいれば「自分が戦争に行きたくないから戦争はないほうが良い、人類のことなんて知らないよ」と言う人もいる。こうした意見の相違は時に泥沼の議論を呼んでしまうのだけれども、もし議論をしっかり整理してある論理的な規則にしたがって結論を導こうと努力するならある程度調停することは可能だ*1。はじめに述べたことはこういうことではない。ひとつの同じはずの出来事は受け取った人それぞれに違ったものとして現れる。その

  • http://web.archive.org/web/20040723181137/http://www.geocities.com/airflowmsz/PUREGIRL200103_AIR_interview.htm

    genesis
    genesis 2006/01/09
    『カラフルPUREGIRL』2001年3月号掲載。語り手は麻枝准+涼元悠一,インタビュアーは更科。 ※注記※ 原所在地が消失のため wayback へ張り替え
  • loveless zero

    Research Research 「同級生」から「To Heart」までにおける恋愛ゲームの変遷 論は「Departure」(Project Seraphim/「コミックマーケット61」(2001/12/30)にて頒布)に初出の原稿です。恋愛ゲームからの「旅立ち」にあたり、「恋愛ゲーム」という言葉がまだ存在していなかった頃からの恋愛ゲームの歩みを振り返って頂きました。その後の、Tactics/Key作品についてのthen-d氏の自己の物語化及び物語の交錯論と合わせてお読み下さい。(2002/07/16,秋風) うっちー(Web) 2002/07/16初版 目次 あらまし 複数同時攻略可能ゲームの実際 その後の複数同時攻略ゲーム 「ときめきメモリアル」と「同級生2」の衝撃 同級生2以降の恋愛ゲーム マルチエンドゲームとビジュアルノベルの台頭 To Heartの登場 男性キャラの役割の変遷

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