《CCSは、carbon capture and storage(炭素回収貯留)の略》バイオマスを利用して電気などのエネルギー生産を行い、その過程で排出された二酸化炭素を回収して地中や海底下に閉じ込める技術のこと。BECCS(bio-energy with carbon capture and storage)。バイオCCS。

ブルック・ファーム Brook Farm 別名「農業と教育協会」 Institute of Agriculture and Education。アメリカ,ニューイングランドの理想主義者たちによってマサチューセッツ州ウェストロクスベリーで 1841~47年に営まれたユートピア的共同体。ユニテリアン派牧師の R.リプリーによって組織され,彼の妻ソフィア・ドナの協力を受けた。契約書によれば,ブルック・ファームは,(1) 思想家と労働者の結合,(2) 精神的自由の保障,(3) 自由で教養のある人々から成る社会の準備を目的とした。1株を購入することによって自動的に会員となり,利潤が出た場合は,労働日数に応じて株主に分配された。ファームは会員男女に対して1労働日 (肉体的もしくは精神的労働) ごとに1ドルを支給し,衣食住をほぼ原価で提供した。 C.ディナ,N.ホーソーンが創立メンバーとして農業経営を指
文化人類学の一分野で,それぞれの文化における空間認識のあり方を,日常行動,居住空間,美術,文学などのうちに表現されたものを通して研究する。各文化は人対人,人対物,物対物の空間的関係について,意識的・無意識的に独自の認識枠組みを形成している。この研究分野は,個別文化におけるこの種の認識枠組みを明らかにするとともに,それらに比較文化論的検討をも加えようとするもので,アメリカの文化人類学者ホールE.T.Hallの1950年代の研究に端を発する。 たとえば日本文化において,畳の上の特定の位置に特定の姿勢で腰を下ろすことは,部屋の構造,家具の配置,同室内の他者の位置などとの関係によって,尊大,謙譲,不躾(ぶしつけ),恐縮その他,さまざまの意味を帯びてくる。これら人のとる姿勢・表情をも含めた空間的関係の意味の読み取りについては,文化の成員の間に共有された一種の文法が成立しているが,言葉において文法は普
輸入品の原産国決定のための規則およびその証明手続きにおける規則。国際貿易においては関税の適用が物品の原産国に依存するため,おもに複数の国にまたがって生産された物品に対して詳細な基準が定められている。原産地は,当事国で最終的な加工がなされ,その水準が一定以上であること,あるいは当事国内で一定以上の付加価値がつけられていることなどを条件に決定される。原産地決定の基準や原産地を証明する手続きは,相手国が (1) 特恵原産地(経済連携協定 EPA域内国あるいは一般特恵関税制度 GSPで対象とする開発途上国で,一般の関税率より低く設定),または,(2) 非特恵原産地(世界貿易機関 WTOの原産地規則協定に基づく関税率を適用)のどちらかによって異なる。原産地の決定は,特に (1) において,域外の産品が迂回輸入され,不当に特恵関税の適用を受けることを防ぐ点で重要である(→原産地証明書)。
江戸時代、両国の船遊びのときなどに、遊山船の間を漕ぎまわって飲食物を売った小船。もと「売ろ舟」といったのを、うろうろとさまようのでこの名が生じたという。 「西瓜すいくわ玉蜀黍たうもろこしの―や、馬鹿囃子のさわぎ舟が出やうもしれねえ」〈滑・浮世風呂・四〉
…なかでも立体未来派は,過去の文化的遺産の全面的な否定を旗印に,真に自立的な芸術の創造をめざし,M.F.ラリオーノフ,K.S.マレービチら同時代の前衛画家たちとも連帯しながら《裁判官の飼育場》(1910),《社会の趣味への平手打ち》(1912)など数多くの詩集を刊行した。詩と絵画との方法的アナロジーに立脚した彼らの作品は,いずれもシンタクスや文法の無視,新造語やザーウミzaum’(超意味言語)の使用,異化,転位の手法といった実験性に満たされたものであり,その内容もまた初期マヤコーフスキーの強靱な抒情性を秘めた都会詩から,クルチョーヌイフAleksei Eliseevich Kruchyonykh(1886‐1968)の音声詩,さらには古代社会やスラブ異教へのあこがれをうたったフレーブニコフの牧歌詩と多岐にわたっている。立体未来派は成立当初からイタリア未来派との影響関係を否定し,みずからの優
ニール・ソルスキー にーるそるすきー Нил Сорский/Nil Sorskiy (1433ころ―1508) ロシア正教会の修道僧。キリロ・ベロゼルスキー修道院で修道士となり、コンスタンティノープルおよびアトス山で静寂主義(ヘシカスモス)を学んだ。ロシアに帰り、もとの修道院から遠くないソラ河岸に僧庵(そうあん)(スキット)を建て、小集団の修道院制をロシア正教会に導入した。1503年の主教会議でロシアの修道院の世俗化・富裕化を攻撃し、清貧と瞑想(めいそう)の生活こそ修道院の原点であると主張し、非所有派の代表者となり、所有派のヨシフ・ボロツキーIosif Volotskii(1439ころ―1515)と対立した。この会議でニールは敗北したが、その精神は、ロシアの修道院生活のなかに伝統として受け継がれていった。 [山川令子 2018年2月16日] 『А.С.Архангельский:Нил
社会移動とは,個人の社会的地位の移動をいう。社会的地位には,何らかの基準によって序列づけられた人々のなかでの個人の位置を示すものであれば,すべてのものが含まれる。たとえば,職業,学歴,所得,資産,勢力,威信,人気,家柄等々において,高低,大小,多寡などの基準によって人々が序列づけられるならば,それらは個人の社会的地位を構成する要素である。このようにして序列づけられた人々の総体を,階層構造と呼ぶことができよう。したがって,社会移動とは,階層構造における人々の位置の移動であるともいえよう。 階層構造には階梯的属性があるため,社会移動は,そうした階梯を上下したり,同じ階梯ではあるが異なった位置に移動したりする。前者を垂直移動といい,下の位置から上の位置へ移動する場合は上昇移動であり,上の位置から下の位置へ移動する場合は下降移動という。同じ階梯で異なった位置に移動する場合は,水平移動と呼ぶ。 社会
〘 名詞 〙 ( [英語] referendum )[ 異表記 ] レフェレンダム 憲法改正や法律の制定など重大な事項を定めるに際して、直接に国民投票によって賛否を求める制度。直接民主制の一形態で、日本では、憲法改正の際の国民投票や、地方自治特別法についての住民投票がこれに当たる。国民投票。人民投票。[初出の実例]「直接投票(レフェレンダム)だの、人民発議権(イニシエチーヴ)だのと」(出典:平民新聞‐明治四〇年(1907)二月五日・余が思想の変化〈幸徳秋水〉) 憲法の改正,法律の制定,重要案件の議決などについて,立法機関の議決をもって最終決定とせず,有権者の投票によって最終決定とする国民投票ないし住民投票の制度であり,イニシアティブ(国民発案)とともに直接立法制度の一形態,直接民主制の一形態である。レファレンダムと類似のことばとして,プレビシットplebisciteがあり,両者の異同が論じ
元来はラテン語の平民plebsの議決scitumを意味する言葉で,近代においてはフランスで普及し,ドイツその他に広がった用語である。人民投票と訳されることが多い。広義にはレファレンダム,国民投票と同義に用いられるが,区別して用いる論者も少なくない。すなわち,この言葉は,まず第1に領土の併合変更などに際して領土の帰属を国民または当該地域の住民の投票によって決定するような場合に使われた。たとえば,サボア(1792),ニース(1793),シチリアおよびナポリ(1860)に関するプレビシットをはじめ,第1次大戦後に民族自決の原則にもとづいておこなわれた,上シュレジエンやザールに関するプレビシット,あるいはヒトラーによっておこなわれたオーストリア合併に関するプレビシット(1938)などがその例である。第2には,クーデタなどによって政権を掌握した者がその権力の正統性を獲得するために国民の信任投票を要求
フランス,ドルドーニュ地方のマドレーヌMadeleine岩陰を標準遺跡とする後期旧石器時代最後の文化。マグダレニアン文化ともいう。プラカールPlacard洞窟,マドレーヌ岩陰,ビルパンVillepin岩陰の層位をもとに定義されている。全期にわたる遺物が存在したのは,シャンスラード人を伴出したレイモンドン洞窟だけであるが,19世紀末の発掘は層位を把握しきっていないからである。1万7000年前ころから1万2000年前ころまで存在した。主としてフランス,スペインに分布をみるが,イギリス(クレスウェルCreswell文化),ベルギー(チョンゲルTjonger文化),南西ドイツおよびポーランドにも同系統の文化が知られる。6期に細分され,各期を定義する遺物は骨角器である。Ⅰ期~Ⅲ期は骨製尖頭器,Ⅳ期~Ⅵ期は骨製銛の形態変化に特徴がある。石器ではⅠ期とⅡ期の差が大きく,Ⅰ期はバドゥグールBadegoul
英国の婦人参政権運動の急進派。エメリン・パンクハーストと,娘のクリスタベル,シルビア・パンクハーストが1903年に結成した〈女性社会政治同盟〉(1919年解体)のメンバーをさす。彼女たちは公共物破損・放火などを犯し,逮捕されるとハンガーストライキをするなどして世間の注目を集め,女性の要求を知らしめた。その後,シルビアがスラムの女性労働者を組織して運動を展開したことから,中流以上の女性を運動の対象としていたエメリンらと対立,エメリンが指導する組織は同盟から除名された。第1次世界大戦が勃発するとエメリン,クリスタベルらは運動をひかえて戦争を支持,その結果1918年30歳以上の女性の参政権が認められ,1928年には男女平等の参政権が認められた。だがこれをきっかけに戦闘行為・戦争支持と女性の解放について,さまざまな見解が生じ,彼女たちの功罪については,今なお議論の的となっている。→フェミニズム →
1876.6.11 - 1960.10.5 米国の文化人類学者。 元・アメリカ人類学会会長,元・カリフォルニア大学教授。 ニュージャージー州生まれ。 コロンビア大学で初め文学を専攻したが、ボアズの影響を受け人類学を学び、1902年「アラパポ族の美術」で人類学博士号第1号となった。’17年カリフォルニア大学教授。民族誌、民族学、言語学、考古学の分野で重要な業績を残すとともに、ユニークで巨視的な歴史と文化の理論を展開した。彼の学説上の特質を端的に示すのは、文化は文化から理解されるべきだとする「超有機体論」(’17年)であった。主著としては「人類学」(’23年)や「カリフォルニアのインディアン・ハンドブック」(’25年)などがある。
ディガーズ でぃがーず Diggers ピューリタン革命の最左翼を担った民衆運動の一派。イギリスの神秘主義的ユートピア主義者ウィンスタンリーに率いられた貧民の一団が、1649年4月1日、サリー州コバム近郊の聖ジョージの丘で荒れ地を開墾し、共同生活を始めたことから、ディガーズ(掘り耕す人々)の名がついた。彼らはレベラーズ(水平派または平等派ともいう)の主張した政治的平等をさらに推し進め、経済的、社会的平等を主張して自ら「真正水平派」を名のった。この運動は弾圧されて1年しか続かなかったが、ピューリタン革命期にその絶頂をみた、神の国がこの地上に実現することを夢みる千年王国主義Millenarianism的風潮を示すエピソードの一つとなった。中世以来の反封建領主闘争の最後の局面であると同時に、きたるべき近代世界における反資本主義的民衆運動の先駆けとなった。(書籍版 1987年) [小泉 徹]
シェルショック shell shock 戦場ショック,砲弾ショックともいう。戦場において受ける強い心理的ショック。自制心,記憶,発語能力,視覚などを失い,判断力が著しく低下する。比較的慢性に現れた場合を戦闘消耗 combat exhaustionと呼ぶ。当初は砲弾 (シェル) の爆風で脳損傷が起り,そのために生じた症状と考えられた。 (→戦争神経症 )
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