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ブックマーク / rodori.hatenablog.com (2)

  • 真理と霊性/ミシェル・フーコー『主体の解釈学』1982年1月6日の講義のメモ - 学者たちを駁して

    ミシェル・フーコー講義集成〈11〉主体の解釈学 (コレージュ・ド・フランス講義1981-82) 作者: ミシェル・フーコー,廣瀬浩司,原和之,Michel Foucault出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2004/01/20メディア: 単行 クリック: 17回この商品を含むブログ (15件) を見る 『主体の解釈学』 1982年1月6日の講義 『主体の解釈学』は、ミシェル・フーコーが1982年に行ったコレージュドフランスでの講義録です。近代以前の人々にとって真理は主体に幸福をもたらすはずのものでした。ところが、近代以後、真理はそのままでは人間を幸福にすることができなくなってしまいます。どうしてこのような変化が生じたのでしょうか?この講義の第一講においてフーコーは霊性[spiritualite]をキーワードに真理を求める主体のあり方の歴史的変遷を記述しています。 前近代的な主体が真理

    真理と霊性/ミシェル・フーコー『主体の解釈学』1982年1月6日の講義のメモ - 学者たちを駁して
  • 柄谷行人と占星術 - 学者たちを駁して

    柄谷 〔…〕結局われわれが近代物理学の眼で物と言っているものは、実際には、あとから方法的に見出されたものだし、根には、フェティシュ〔呪物〕というような物、それ自体がシーニュ〔記号〕であるような物があるんじゃないか*1、というふうに思うんですよ。 ―『フェティシズムについて』(1978年)。*2 柄谷行人は、人間の脳から意識を引き出すロシア流の唯物論も、精神から存在を引き出すドイツ流の観念論も等しく否定している。それゆえ、上で考えられている「物」というのは、飄飄たる精神でないことはもちろんだが、また固定した物質でもない。彼は『資論』のマルクス*3が言う「商品」を「物」と言い換えているのである。「物」という語のこの奇妙な用法には、記号論が考える「言語」とマルクスの言う「商品」を同じ視点から眺める彼のおもしろい*4考え方がはっきりとした形で現れている。 〈それ自体がフェティシュでもあり記号で

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