タグ

哲学に関するhharunagaのブックマーク (549)

  • ジャック・デリダ『スクリッブル 権力/書くこと』|読書人WEB

    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

    hharunaga
    hharunaga 2020/11/08
    “「筆記(scribe)」はまた、篩(crible)という農耕的な道具が善い穀物と悪い穀物を選別するように、善と悪とを分離する営みでもある。このアナロジーは、書くことが…権力の契機と不可分であることを示している”
  • いかに正気を保って生きるか――『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(筑摩書房)/山本貴光+吉川浩満(著者) - SYNODOS

    2020.09.23 いかに正気を保って生きるか――『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(筑摩書房) 山貴光+吉川浩満(著者) #エピクテトス 吉川 エピクテトスの教えの肝は、「権内にあるもの」と「権外にあるもの」とを区別することです。まず、言葉の説からすると、権内にあるものとは、自分でコントロールできるもの。それに対して権外にあるものとは、自分ではコントロールできないもの。自分の力でどうにかできることと、どうにもできないことの区別が重要だと。 山 どうしてこの区別が重要なのかというと、われわれの悩みの多くが、この区別に関する混乱によって生じるからだとエピクテトスは言います。 吉川 自分でどうにかできることならまだしも、どうにもできないことを嘆いてばかりいても仕方がないのに。逆に、当はどうにかできるはずのことなのに、自分にはできっこないとはじめから諦めてしまったりすることもあ

    いかに正気を保って生きるか――『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(筑摩書房)/山本貴光+吉川浩満(著者) - SYNODOS
    hharunaga
    hharunaga 2020/09/27
    “われわれは「禁欲主義」との対比のもとで、エピクテトスとストア派の哲学の一側面として、「操欲主義」という言葉をつくりました”
  • 笑いの哲学 木村覚著 - 日本経済新聞

    人間は笑う動物だと言われる。「笑い」とは何か。著者は冒頭で「笑いとは平穏な日常の破裂である」という定義を示す。だが、その内実は多様で複雑で、けっして一言ではくくれないことが判(わか)ってくる。優越の笑いから不一致がもたらす笑い、さらにユーモアの笑いへ。考察の主な対象は、近年日を巻き込んできた「お笑い」の名場面。切り込む視点は、西洋の哲学者たちが与えてきた「笑い」の分析である。そこからは「掟(

    笑いの哲学 木村覚著 - 日本経済新聞
    hharunaga
    hharunaga 2020/09/26
    “「笑いとは平穏な日常の破裂である」…。古代ギリシアの世界では「神々が哄笑する」。悲惨な人間界を超えた彼方で、神々はなんのわだかまりもなく、皆でただ大いに笑う”。評:納富信留。講談社。
  • 『全体主義の克服』「現代の全体主義」に立ち向かう二人の哲学者 - HONZ

    書は、マルクス・ガブリエル(ボン大学教授)と中島隆博(東京大学東洋文化研究所教授)という、ドイツと日を代表する哲学の泰斗が、これまでとは全く異なる視点で哲学のあり方を論じた新しい啓蒙書である。 これは、世にありがちな哲学の解説書でもなければ、哲学者が自分のべき論を世に訴える思想書でもない。書の何が秀逸なのかと言うと、哲学は何のために存在するのか、哲学が果たすべき役割とは何なのか、哲学は世の中にどのように貢献出来るのか、哲学者は実社会に対して影響力のある企業とどう協働出来るのかという視点をしっかりと持って議論をしていることである。 世界的なベストセラーになった『なぜ世界は存在しないのか』で語られた新実在論(新実存主義)とは何なのか、なぜ「世界は存在しない」と言うのかを理解することにばかり気を取られて、ガブリエルが当に何をしようとしているのかについては理解が及んでいなかった。また、ガブ

    『全体主義の克服』「現代の全体主義」に立ち向かう二人の哲学者 - HONZ
    hharunaga
    hharunaga 2020/09/24
    「皆がひとつのものに自ら従ってしまうGAFAのようなビッグ・テックによる支配…、科学至上主義」など、「人々がひとつの物差しでしか世界を見なくなること」が現代の全体主義だという。マルクス・ガブリエル×中島隆博
  • 書評:チャールズ・テイラー『世俗の時代』|読書人WEB

    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

    hharunaga
    hharunaga 2020/09/20
    “北大西洋世界の世俗化は「排他的人間主義」の到来とともにもたらされた…。この排他的人間主義とは「人間の開花繁栄」を超え出るいかなる「高次の」目標も受容しない立場”。評:福間聡。名古屋大学出版会。
  • スミスの倫理 竹本洋著 - 日本経済新聞

    アダム・スミスといえば、思想史の専門家でなくとも『国富論』を書いた経済的自由主義者だと知っているだろう。優れた啓蒙書も出ているので、その前に書いた『道徳感情論』で、事情に通じた「公正で中立的な観察者」の「共感」を通じて社会秩序の成立を考察した道徳哲学者であったことも知っているかもしれない。だが、『国富論』と比べると『道徳感情論』を読んだ人の割合はかなり減るはずだ。スミスは、自由競争や自由貿易の主

    スミスの倫理 竹本洋著 - 日本経済新聞
    hharunaga
    hharunaga 2020/09/13
    「スミスは経済活動において〈リスクをとる〉ことを美徳としてそれを推奨する。しかし併せて強調しているのは、リスクをとった行為の社会的責任が法的責任を超えて倫理的責任までも及ぶということである」(根井雅弘
  • 山口雅広・藤本温(編)『西洋中世の正義論 哲学史的意義と現代的意義』|読書人WEB

    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

    hharunaga
    hharunaga 2020/08/23
    「スコトゥスは友愛を正義の最高の徳とする。つまり正義の徳とは他者と何かを分かち合う徳であるが、そのために友愛は他者と直接、関わるのだから正義の第一の徳という」。評:古牧徳生。晃洋書房。
  • 書評:鹿野祐嗣 ドゥルーズ『意味の論理学』の注釈と研究|読書人WEB

    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

    hharunaga
    hharunaga 2020/08/08
    “ドゥルーズの欠点でもあり同時に長所でもあるのだが、その「パッチワーク」は大概において、元のテキストよりも面白く、かつ細部において(多くの場合断りなしに)絶妙にずらされている”(近藤和敬)
  • ネットは哲学 千葉雅也が見た「接続過剰」社会 哲学者が考えていること(5) - 日本経済新聞

    初の著書「動きすぎてはいけない」が思想界で話題となり、「勉強の哲学」は人文書としては異例のベストセラーに。小説デビュー作「デッドライン」は文学賞を受賞した。八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を見せる千葉雅也(41)の哲学との出合いは高校時代だった。1995年、宇都宮市の実家にインターネットが入った。当時高校2年。米アップル社の「マッキントッシュ」を買ってもらい、すでにパソコンに親しんでいた千葉

    ネットは哲学 千葉雅也が見た「接続過剰」社会 哲学者が考えていること(5) - 日本経済新聞
    hharunaga
    hharunaga 2020/07/03
    “哲学的思考の特徴は「あるゆる物事から一定の距離をとること」と語る。「…だから哲学者は、何かに一丸となって取り組もうとする人々からは煙たがられるわけです」”
  • 若き哲学者によるデビュー作! 「お金では買えないもの=贈与」の成り立ちや原理を紐解いた一冊 - ニュース|BOOKSTAND

    hharunaga
    hharunaga 2020/07/02
    “「贈与は与え合うのではなく、受け取り合うもの」と考えれば、贈与の仕組みをより理解しやすいかもしれません”。書評:近内悠太『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』。
  • 「美」の目的なき合目的性 イマヌエル・カント「判断力批判」|好書好日

    大澤真幸が読む 書は、『純粋理性批判』『実践理性批判』に続くカントの「第三批判」である。この「批判」は、「けなす」という意味ではない。人間の認識能力について、どこまでが可能で、どこに限界があるかを、反省的に吟味するという意味である。 第一批判は、悟性(難しげだが英語で言えばunderstand)に関わる。悟性は自然の中にある普遍的な法則を認識する能力だ。第二批判は、理性に関係する。この場合の理性は、普遍的な原理から「何をなすべきか」を導き出す能力である。第二批判は、人間の倫理的選択、つまり「自由」に関連している。 第一批判と第二批判の間にギャップがある。自由は、「目的」ということを前提にしている。自由とは、何かの手段ではなく自分自身が目的だという趣旨だからだ。ところが悟性の対象である自然には、目的などない。因果関係があるだけだ。目的はどこから出てきたのか。 この疑問に答え、第一・第二批判

    「美」の目的なき合目的性 イマヌエル・カント「判断力批判」|好書好日
    hharunaga
    hharunaga 2020/05/21
    “美しいものは、何かの目的のために存在しているわけではない。にもかかわらず…私たちはそのあり方に、「ふさわしい」という心地よい印象をもつことがある。…目的はないのに、合目的性の形式だけが…”(大澤真幸
  • REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » COVID-19後の世界1COVID-19:記憶の観点から哲学者ベルナール・スティグレールによる考察ベルナール・スティグレール

    翻訳:石田英敬 新型コロナウイルスによる感染症COVID-19は、世界に大きな危機をもたらしている。現在の危機はいつかは去り、私たちの生活は旧に復するのかもしれない。だが、旧に復するだけでいいのだろうか? 内外の知識人による論考を掲載する。第1回は、哲学者のベルナール・スティグレール。 記憶の科学研究の支援と知識普及のための公益団体B2V記憶観測台[註1]は、ベルナール・スティグレールに対して、哲学者として市民として、特に記憶の観点からCOVID-19危機をどう考えるか尋ねた。以下はその考察である。 疫病危機を記憶する 大疫病の記憶のうちで私たちの表象にとどまっているものはじつはそれほど多くはありません。人間はいつも完全に安全でいたいと言いつつも、大惨事をすぐに忘れてしまうという残念な傾向を持つものです。5000万人も死んだ1918年のスペインかぜを人びとは憶えてはいます。しかし、1969

    hharunaga
    hharunaga 2020/05/20
    「計算できないものを前にすると、システムは途端に危機に瀕する」「計算できないものに価値付与するためにこそ計算を使うような新モデル…。音楽にはそのような例はある。音楽は、一方では計算に基づき、他方では、
  • トップページ | 読書人WEB

    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

    hharunaga
    hharunaga 2020/05/02
    “(風景の語源は、)ゲルマン諸語が「Land(大地)」に由来しているのに対し、…ロマンス諸語が「Paese(国)」に由来している”。評:暮沢剛巳。
  • 『判断力批判』の謎 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    カントの『判断力批判』というは主にふたつの事柄について論じている。美的判断と、自然に関する目的論的判断についてだ。 だが、ここには大きな謎がふたつある。 なぜ、『判断力批判』というタイトルので、判断一般についてではなく、このふたつの事柄を論じるのか。 特にこのふたつの事柄が選ばれた理由は何なのか。両者には何の共通性があるのか。 驚くべきことに、『判断力批判』というを読んでも(少なくとも、さらっと読んだだけだと)、この謎の答えはわからないのだ。少なくともわたしは読んでもよくわからなかったので、実は何度もこの疑問の答えを調べようと思っていた。最近改めて調べて、ようやく半分くらいはわかったので、答えをまとめておこうと思う。書いておかないと、また忘れて調べるはめになりそうなので。 ちなみに、この疑問は、実は調べ方も少し難しい。『判断力批判』では、の中でも、一部をのぞいてほとんど判断の話をし

    『判断力批判』の謎 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    hharunaga
    hharunaga 2020/04/29
    このタイトルの本で、判断一般ではなく、美的判断と、自然に関する目的論的判断の2つだけが論じられているのはなぜか。カントは判断力を規定的判断力と反省的判断力に分け、主に後者を対象にしているためだという。
  • 『世界史の針が巻き戻るとき 「新しい実在論」は世界をどう見ているか』哲学界の若き天才が提唱、新実在論と倫理資本主義 - HONZ

    『世界史の針が巻き戻るとき 「新しい実在論」は世界をどう見ているか』哲学界の若き天才が提唱、新実在論と倫理資主義 現代社会において、ポストモダニズムからポストトゥルース(ポスト真実)が広がり、それがトランプ米大統領誕生やブレグジットに見られるポピュリズムの台頭につながっている。哲学界の若き天才マルクス・ガブリエルの「新実在論」は、こうした閉塞感を打ち破る、新しい哲学である。 新実在論の新しさは、現実は物理的な対象だけではなく、それに関する見方、心情、信念、思想、空想といった、あらゆる意味の場に現れるとする、存在の複数性、同時性、同等性にある。 これが、新実在論の第1の特徴である「世界は存在しない」、すなわち、あらゆる物事を包摂するような「単一の現実」は存在しないということの、存在論的な意味である。 その上で、「私たちは現実をそのまま知ることができる」、すなわち、われわれ自身が現実の一部で

    『世界史の針が巻き戻るとき 「新しい実在論」は世界をどう見ているか』哲学界の若き天才が提唱、新実在論と倫理資本主義 - HONZ
    hharunaga
    hharunaga 2020/04/25
    “「本質主義」(個別の事物には必ずその本質がある)、「実存主義」(現実存在は本質存在に先立つ)、「相対主義」(認識や価値はすべて相対的なものに過ぎない)の相違を乗り越え、新しい時代の扉を開く”
  • Pandemia e crisi del racconto | aut aut

    hharunaga
    hharunaga 2020/04/20
    イタリアの哲学思想系雑誌"aut aut"のサイトの論考「パンデミックと物語の危機」(伊語)。ベンヤミンのニコライ・レスコフ論等を引用しながら、今や統計データ等だけで、我々の実際の生活を語れなくなってるなど。
  • 『考えすぎた人: お笑い哲学者列伝』(新潮社) - 著者:清水 義範 - 鷲田 清一による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

    著者:清水 義範出版社:新潮社装丁:文庫(329ページ)発売日:2015-11-28 ISBN-10:410128220X ISBN-13:978-4101282206 「入り口」へ誘う快調な文章擬態神託をもとめ「ソクラテスより頭のいい人間はいますか」と訊ねるところを、「頭の強い人間」と言い損ねたあとの顛末(てんまつ)から、サルトルを被告とする恋愛裁判まで、12名の哲学者の滑稽譚。「プラトンの対話ヘン」といった駄洒落の章題に、講釈あり、インタビューあり、子どもとの対話、合コンの中継ありと、著者の文章擬態は快調だ。 意味はちんぷんかんぷんだけど人の心をぐいと鷲掴みにするような殺し文句が哲学書にはある。が、相手の顔色もおかまいなしに、論理を一貫させ、すべてを言い切らないと気がすまない、そんな哲学者のふるまいがとんちんかんを生む。言っていることは正しい(みたいだ)けどやっぱり違っているのでは……

    『考えすぎた人: お笑い哲学者列伝』(新潮社) - 著者:清水 義範 - 鷲田 清一による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
    hharunaga
    hharunaga 2020/04/14
    “神託をもとめ「ソクラテスより頭のいい人間はいますか」と訊ねるところを、「頭の強い人間」と言い損ねたあとの顛末…(など)12名の哲学者の滑稽譚”。「プラトンの対話ヘン」 ←笑。
  • 暗闇と寂しさ。人間なるものの実存に迫るアレント【再掲】|いつもそばには本があった。|國分功一郎

    いつもそばにはがあった。 2020.04.08 公開 ツイート 実存主義と人文学(後編) 暗闇と寂しさ。人間なるものの実存に迫るアレント【再掲】 國分功一郎 外出自粛で増える自宅での時間。それは自分を見つめなおすのにもってこいです。今日は、人間の実存について考える過去記事をご紹介します。 *         *        * 書物、とりわけ人文書の衰退が危惧される中で刊行された、國分功一郎さんと互盛央さんの共著『いつもそばにはがあった。』(講談社選書メチエ)。対談でも往復書簡でもなく、「観念連合」をキーワードに、お二人が自らの経験を振り返り、100冊を越える書物をめぐる記憶のネットワークを伝えています。この情熱あふれる稀有な書から、國分さんがハンナ・アレントについて触れた一編「実存主義と人文学」を2回に分けてお届けします。 *   *   * アレントは間違いなく哲学者であると思う

    暗闇と寂しさ。人間なるものの実存に迫るアレント【再掲】|いつもそばには本があった。|國分功一郎
    hharunaga
    hharunaga 2020/04/08
    “心に暗闇を抱えながら、時に、どうしても寂しさを感じずにはいられない人間なるものの実存に迫るアレントは実存主義者であり、それを問う時、彼女は「人文学」をやっているのだと思う”(國分功一郎)
  • トップページ | 読書人WEB

    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

    hharunaga
    hharunaga 2020/04/04
    「逆説的ではあるが、脱構築の考えを受け継ごうとする者は、脱構築に止まれないのではないのか。絶えず脱構築を括弧にいれたり、宙づりにしたり、抹消記号をつけて思考する必要があるのではないのか」(岩野卓司)
  • トップページ | 読書人WEB

    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

    hharunaga
    hharunaga 2020/03/21
    “「新実存主義」は、〔自然科学の発展とともに現われた〕現代の「自然主義」に対抗する「自由の哲学」であり、私たちがもう一度、私たち自身について哲学するために書かれたマニフェストだ”。評:岩内 章太郎。