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増田と人生に関するhigh190のブックマーク (14)

  • 学歴コンプレックスを卒業した 1/4

    約十年前に、とある4年制大学を卒業した。名を佛教大学という。 高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったことである。 実際には文科系総合大学だった。ちょっとだけど理系もある。 なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めは3月下旬である。ずいぶん時間がかかってしまった。 普段から増田に投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。 佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士や作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも

    学歴コンプレックスを卒業した 1/4
    high190
    high190 2024/05/05
    "苦しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく"
  • 人生でよかった時間 3選

    大学のとき帰省して地元を散歩したとき大学1〜2年くらいのとき、たしか春休みに帰省して、暇だったからちょっと散歩に出た 中学くらいからずっとインドア派だったから地元を歩くのは久しぶりで、なんだったら未就学児のときぶりに歩くようなところを歩いた 当時好きだった公園に行ってみようと思い立って、記憶をたどって歩いてたら、思ってたところにはたどり着かず、でも桜がたくさん咲いているいい感じの広場に出た まあ、言っても大したことはないし、桜だって別に満開ではなく、だから花見の客もいなかったんだけど、それはつまりその場には俺しかいなかったということで、広い空間と桜を独り占めしている形だった 正直痺れた 素直に良いところだなあ、と思った 春そのものみたいな気候で、まばらな雲の向こうで青空が綺麗だった 花の匂いがしていた 豊中市街の散歩豊中市の都市緑化植物園に行こうってことで、彼女と電車に乗って行った 曽根に

    人生でよかった時間 3選
  • 豚汁作って食べた【追記にレシピあり】

    先日、NHKきょうの料理を見ていたら平野レミ・和田明日香コンビが「とんたま汁」なるものを作っていた。豚汁にたまねぎをたくさん入れて、「とんたま汁」だそうな。 レミさんは終始「あーちゃんの作るコレ、ほんっとに美味しいのよ!」とベタ褒め。 野菜のアク抜きをしていないと言う明日香さんに、「アクも旨味だからね!」と言うレミさん。 煮込んで出てきたアクをとる明日香さんを見て「アクは悪!」と言うレミさん。 どっちなんだと苦笑いで突っ込む明日香さん。 2人のトークが軽快で面白く、良好な嫁姑関係なのだろうなと感じた。 出来上がった料理はとても美味しそうで、滅多に料理のリクエストをしない夫が珍しく「これ今度べたい」と言ったので作ることにした。 具材は豚バラ肉、玉ねぎ、ゴボウ、人参、大根、こんにゃく、油揚げ。物繊維が多く体に良さそうだ。夫が無類の玉ねぎ好きなので、玉ねぎは他の野菜よりもたっぷり入れた。 作

    豚汁作って食べた【追記にレシピあり】
    high190
    high190 2022/10/18
    これは栄養バランス的にも良さそう。"NHKきょうの料理を見ていたら平野レミ・和田明日香コンビが「とんたま汁」なるものを作っていた"
  • 【追記あり】女一人、銀座ライオンで呑む

    「日は独り身に優しい」っていうのは尤もだ。 カップル文化のない(プロム何それ美味しいの?)東洋の島国においては、ファストフードはおろかイタリアンや日料理、高級フレンチはキツいか……?と思いきや、案外ひとりでボトル開けてる人もいる。 こういった「おひとりさま」文化は素晴らしいと思う。増田もコロナ前までは心赴くまま、同行者にあれこれ煩わされることなくグルメを堪能し酒を飲みに出掛けたものである。流石に今のご時世では頻度が減ってはいるが。 ちなみに好きな番組は吉田類の酒場放浪記で、BSの再放送を見ながら「あー、これ前に放送したの覚えてるわ。あっ、ここ行きたかったんだよなぁ、メモメモ」と独り言ちながら晩酌するのが月曜夜の少なくない楽しみだ。 最初の10分くらいは煎屋とか甘味処で舌鼓を打ったり鉄道模型屋を散策したりと飲酒には関係ない前座的なVTRが流れるのであるが、たまに待ちきれずに一杯やってし

    【追記あり】女一人、銀座ライオンで呑む
  • 続・浄土真宗の僧侶です

    今一度、お付き合いいただければと思います。 まずは、今回の私の投稿をお読みいただき、重ね重ねありがとうございました。まさかここまでの反響をいただくとは夢にも思わず、ブックマークが1000を超えた辺りから身体が震え出し、喉はからからに渇き、手の痺れが止まらない体たらくで、よくも悪くも注目を集めることの重圧を初めて味わいました。お恥ずかしい限りの有り様です。 「きっかけをくれた(元)増田にもありがとう」 「この説法を読んだみんな (元)増田のお祖父さんのリモート葬儀に参列したようなものだ」 「(元)増田さんが勇気を出して書かなければ現れなかったご縁」 とコメントしてくださった方がおられましたが、正にその通りだと思います。 お祖父様の生前のご希望・ご親族のわだかまり・元増田さんの苦慮と懊悩・私が僧侶として学び感じてきたこと……様々な縁が積み重なって因となり、この果をもたらしました。 一連の記事を

    続・浄土真宗の僧侶です
  • 浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた文章がすべて消えてしまい心折れかけましたが、やはり大事なことなので、増田さんに伝わればと願って改めて書き直します。 お祖父様のことをお悔やみ申し上げるとともに、今回このような形で、増田さんやお母様が悲しまれる結果になってしまったこと、痛惜に堪えません。 結論から言わせていただくと、リモート葬儀それ自体に否はありません。そんなもので台無しになるのが仏の教えならば、仏法は2500年も受け継がれたりなどしません。 私から言わせれば、死者を軽んじ、葬儀を台無しにしているのは、ご親族の方だと思います。 葬儀とは「弔(とむら)い」であります。弔いとは元来、「訪(とぶら)い」という字を用いました。これは遠近様々な場所から死者の元へと人々が訪れる様子を意味していますが、決してそれだけではありません。 死者に出会うということは、まだ生きてい

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..
  • 霞が関を去ろうと思う

    注意点 「霞が関を」としているものの、霞が関全体を語れる訳はないです。キャッチーにしたいがために目的語を大きくしました。あくまで一例。 現状に耐えきれなくなりそうで吐き出したかっただけです。お目汚しすいません。身バレは怖いので瑣末な部分にフェイクあり(というフェイクを入れておきます)。 私のスペック京大理系院卒基情報、デスペ持ち、水色コーダー総合職、技官、4年目係長 今のポストは3ポスト目 なぜ去ろうと思ったか意思決定が科学的でない 誰々がこう言っているからこうなんだ 前回こうだったからこう これまでやってきたのだから今回もやらなければな 俺がそうだと思ったからそうなんだよなどなど、自分自身で考えることができていない人が多い。そもそも科学的な営みの経験がない人が圧倒的多数なので仕方のないことなのかもしれない。 勉強しない少なくとも総合職ならば、必死に勉強するものだと思っていたのだけど違う

    霞が関を去ろうと思う
    high190
    high190 2021/02/09
    優秀な人ほど早く辞めてしまう
  • 田舎育ちだけど、10年くらいは東京で生活してたときがある。 東京での生活..

    田舎育ちだけど、10年くらいは東京で生活してたときがある。 東京での生活は楽しかったし、友達も多く出来た(恋人はできなかった)ので、東京を離れるなんて事は、ほとんど考えた事もなかった。 このまま東京で一生暮らして行くんだろうな、と漠然と思っていた。 だから家業を手伝う為に帰ってきてほしいと父親に言われたときは、当に悩んだ。 というか嫌で嫌で仕方なかった。 しかし、あるとき急に気持ちが変わった。 それはお盆休みに帰省したときだった。 新幹線を乗り間違え、途中の駅で来の新幹線が来るのを待っていたときだ。 なんとなく駅のホームから見える空を眺めていた。 真っ青な空と、その下に真緑の山並みが見えていた。 何てことはない風景だった。 それを見たとき「うわぁ、空が広い」と思った。 その気持ちが物凄く新鮮だった。 東京で暮らしている人には、この「空が広い」という意味がわからない人もいるかもしれないけ

    田舎育ちだけど、10年くらいは東京で生活してたときがある。 東京での生活..
    high190
    high190 2021/01/17
    同じく地方出身、東京10数年生活、Uターンの人間なので共感する。東京と地方は両方いいところがある。住めば都。
  • 夜間大学を卒業した

    夜学を卒業しました 休学を一年したので、五年で卒業 経済的な事情もあり、1.2年次は母親に援助してもらいつつ、残りは総て払いながら行きました この五年、何とかやり遂げて安心したけど、現役生が働きながら夜学に通うこと、これは安易にはおすすめできない。 まず単純に体力がもたない。俺の場合、現場仕事をやりながらの生活だったから、朝5~6時に起床し、現場から学校へ直行するので、終わるまでほぼ休息がとれない。帰宅するのは23時頃で、加えて一人暮らしだから速攻寝るわけにもいかない。ブラック自慢の好きな人は大したことないとか言いそうだけど、たいていの人はこの生活に意味を見いだせずに辞めていってしまう。 各大学の夜間部は、この所 どんどん閉鎖されて、受験生や向学心のある社会人の選択肢からだいぶ外れていってるだろうけど、もしも夜学を視野に入れてる人が居るならば、当によく考えてもらいたい。人は、出来ること、

    夜間大学を卒業した
    high190
    high190 2020/02/27
    御卒業おめでとうございます。
  • 年取って色々楽になった

    38歳のオッサンになって、生きることが楽になった。禿げてきても「まあボチボチ40だしね、仕方ないか」とそれほど悲しくなかった。息切れも性欲の減退も揚げ物があまりべられなくなったことも全く同じように、年相応の衰えだと納得できた。これはとても楽でいいなと思う。 今までは「もう20過ぎたのにアレも出来ないコレも出来ない」みたいな苦しみ方をしたり「まだ30なのに衰えが始まった気がする」と怯えたり、そんなことが多かった。でもこう、40が迫ってくると自分が何に関しても大した才能を持たず平均的な労働力でしかないことや肉体的な衰えを、自然な変化として受け入れることが出来るようになった。 僕は何者にもなれなかった。もっと言えば何者かになろうと必死で足掻くことをダサいことだと勘違いして避け続けた結果、凡庸な中年男性になった。でもまあ生きていける程度に給料はもらえて、健診でも特に問題はなくて、たまには連休を取

    年取って色々楽になった
    high190
    high190 2019/12/12
    読んで色々共感するところの多い文章だった
  • だいぶ前に藝大デザイン科を卒業し、同窓に任天堂がいるから回答しておく..

    だいぶ前に藝大デザイン科を卒業し、同窓に任天堂がいるから回答しておく。(ブコメだと書けないからね デザイナーといっても様々でジャンルの幅が広いが、どのジャンルでも基的な教養は重要。 CG造形をやりたいということであるが、高校で学ぶような基礎教養、一見無駄な知識と思えるものでも後々重要になる。要求されるものについての文化的な素養や知識があるのとないのとでは大違いである。後々苦労する。なので高校で学ぶ学問を軽視してはいけない。独学では視野が狭くなる。無駄と思える知識まで広げておく必要があるので寧ろ、高校時代は可能な限り学科はやっておくべし。私がいた頃は美校の試験学科の成績は実技と比して全然重視されていなかった(酷いものであった)が、試験勉強していないだけで教養がある学生は多かった。無駄なことまでアンテナを張って知的好奇心を養うことができるのは高校時代である。ちなみにその学科試験も昨今は重視す

    だいぶ前に藝大デザイン科を卒業し、同窓に任天堂がいるから回答しておく..
    high190
    high190 2019/11/28
    "実際は、どの大学出ようが、どこの会社行こうが、自分がうまくハマったとこで、表現をしていければいい(中略)社会に出たらその時の仕事内容でしか自分を証明できない"
  • 人生に物語は要らない

    先日ホッテントリに上がっていた単著持ち増田のエントリを読んで、そういえば自分も増田が原因でを書いたんだったと思い出した。 数年前、初めて増田に文章を投稿したら2000ブクマ付いた。「文才がある」「物書きとしてっていける」とか言われたので、24万字の文章を書いてKindleで出版した。ぜんぜん売れなかった。人の言うことを安易に信じてはいけないと思った。 そのあとまたホームレスになったので(2年ぶり3回目)しばらく福島で除染作業員として働いた。除染と言うと何か特別なことをしているように聞こえるけど、実はただの土木工事である。肉体労働は久しぶりだったけど、小難しいことを考えず黙々と目の前の作業に打ち込んでいると、頭の中の不純物が取り除かれていく感じがした。 そうだ、僕は物書きになりたいなんて思っていたわけじゃない。そんなものは誰かから押し付けられた「物語」でしかない。いままでも「元ホームレス

    人生に物語は要らない
    high190
    high190 2018/01/27
    “本当のところは後になってからしかわからない。ミネルバのフクロウなのだ。後になってからしかわからないなら、後になってから知ればいい。いまは行動するだけでいい”
  • 「行きつけのバー」のススメ

    「行きつけのバー」 男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。 僕が手に入れたきっかけは、なかなかに面白いものだった。 大学卒業後、某メーカーの営業職に就職した僕だが、 とある日の外回りで危機的な状況に陥っていた。 「ヤバイ……。う○こしたい……下痢っぽい……」 夕方を過ぎ、最後の訪問先に向かう寂れた商店街で、 僕は冷や汗をかきながらトイレを探していた。 しかし周囲はシャッターの閉じた店ばかり。 トイレを貸してくれそうな店はない。 (こうなったら路地裏でぶっ放すしかないか……) そう思った時に目の前で店のシャッターを開ける、 年の頃60位だろうか、自分の父親と同じくらいの男性がいた。 僕はなりふり構わず、その男性に 「すみません。お腹を下してしまって、トイレを貸してはいただけないでしょうか」 と、持ちうる限り最大限の丁寧さでお願いした。すると男性は、 「いいけど、なんか飲

    「行きつけのバー」のススメ
    high190
    high190 2016/02/16
    “僕に人生とは何か、人付き合いとは何か、大人になるとはどういうことかを教えてくれた、大切な空間”
  • "Hello world!"

    このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。そういうことにしろください。 10年前、20代になったばかりの頃の僕は、今思えば当に最低な生活を送っていた。高校を中退し、実家とは疎遠で、友達もなく、金もなく、夢も希望もなく、ただバイト先と自宅を行き来するだけの毎日。いつも視界には霞がかかったようで、底の見えない空虚さだけが僕の心を支配していた。 それでも趣味らしいものはあった。オンボロマシンにRedHatを入れ、ダイヤルアップの細い回線で自宅サーバを立て、Perlでガラクタのようなプログラムを動かす。そんな子供じみた遊びだけど、プログラムを組んでいるときだけは空虚さを忘れ、画面の中に没頭できた。 ただ、そのときの僕はもうすでにいろんなものに打ちのめされていて、若者にありがちな全能感などというものは霧散していた。自分がプログラミングで何かを成すだとか、それを仕

    "Hello world!"
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