30代ころで記したとおり、30代の後半は米国OracleでOracle8の開発にどっぷりつかっていた。 日本で就職したころの外資系のソフトウェア開発というのは先に記したとおり、本国で作られたソフトウェア製品の日本語化などが主な仕事で技術的なチャレンジという意味ではいささか物足りないものであった。日本のベンダーに就職した友人などはもっとかっこいい開発をしているのではないかと、隣の芝生は青いと思っていた。 外資系といっても開発はどうせ全部本国(米国)でやっていて日本には全然権限がなくてつまらないというような風説が流れていたのも事実である。それは半分正しくて半分間違いだけど。 それよりか、日本企業の研究所かなんかに勤務して時代の最先端のソフトウェア研究に従事したほうが全然かっこいいと思った時期もなくはなかった。 わたしは日本DEC研究開発センターというのところに新卒で就職したのだが、日本DECと