福井県三国町(現坂井市)に生まれる。福井県立藤島高等学校、早稲田大学第一文学部文芸科卒業。 高校2年生のときに詩誌「とらむぺっと」を創刊し、全国から同人を募って、19号の終刊まで100余名の高校生が参加した[1]。大学の卒業論文として提出された『娼婦論』は平岡篤頼の推薦で小野梓記念賞芸術賞を受賞[2]。26歳で詩集『水駅』を刊行し、H氏賞を受賞[3]、以後、多くの詩集・随筆・評論を刊行している。日本近代小説の読み巧者でもある。1974年から詩を専門にする出版社である紫陽社を経営。大阪文学学校、青山学院大学、早稲田大学などで教壇に立つ。2013年愛知淑徳大学教授、2017年退職[4]。2019年、日本芸術院会員。2024年大岡信賞受賞。 『坑夫トッチルは電気をつけた』で、「宮沢賢治研究がやたらに多い。研究に都合がいい。それだけのことだ」と書き、一人の詩人に多くの研究者が群がる事態を批判するな