1896(明治29)年6月15日夜に発生、2万人以上の死者を出した明治三陸地震の津波で、岩手県鍬ケ崎町(現・宮古市鍬ケ崎町)の被災状況を地元写真師が翌朝から撮影したネガ(ガラス乾板)13枚が盛岡地方気象台に残っていたことが28日までに分かった。この時代の災害を記録した写真のネガが見つかるのは非常に珍しく、118年前の生々しい被災状況がネガからの鮮明な写真でよみがえった。 撮影したのは地元写真師「末崎仁平」。写真史に登場しない無名写真師ながら「技量は非常に高い」(古写真収集家の石黒敬章氏)と専門家は指摘、災害史、写真史の両面で貴重な資料だとしている。 末崎についての詳しい資料はないが、岩手日報の前身の地元紙「岩手公報」や東京の「時事新報」に本人が出した当時の写真販売広告によると「鍬ケ崎上町」在住で、写真は「海嘯(津波のこと)翌朝当海岸ノ惨状ヲ撮影シタルモノ」とある。 この津波では、当時
この写真展は、東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故によって広範囲に飛散した放射性物質に汚染された福島県内の土壌や苔、木の実などを使って、ネガティブフィルム(35 ミリサイズとブローニーサイズ)に放射線感光させて放射線を浮かび上がらせた作品群だ。 福島市内を流れる渡良瀬川の、親水公園で羽根を休める水鳥の間に、何らかの放射性物質が怪しく緑色にV 字型に光輝いている様子、あたかも天体写真を撮影したかのような宇宙に星空が輝いている様子の放射性物質の輝く様子、放射線が幾重にも飛散している様子など展示される。中には、放射線の影響でほぼ全体が鮮やかな水色に感光した二本松市の霞が城跡の写真や、あたかも福島市内が赤や黄色の炎が噴き出して燃えているかのような写真もある。全13点ほどが展示される予定。 【会期】 2014年1月9日(木)から1月14日(火) 午前11時から午後7時まで、入場無料 (最終
クールビズは、胸元の見た目が「緩く」なりがち。そこをおしゃれに彩る新しいファッションアイテムを提案して、注目を集めるのがノーブル・エイペックスだ。レディス向けも新展開して販路を拡大。17歳で起業した大関綾社長、4年目の挑戦は―。 ――起業や開発の経緯は 「女手一つで育ててくれた母に楽をさせるため、幼い頃から『社長になりたい』と。ビジネスプランを練る上で重視したのは、知的財産権を取得できる商品を作り、販売すること。コモディティー(汎用品)化を避けるためだ。その当時、ノーネクタイが定着しつつあったが、私は率直に『格好良くないな』と感じた。それが発想の原点となり、2011年末に第1弾『ノーブルタイ』を発売した。製作法の研究はもちろん、販売サイトの構築や人脈作りなども手探りで、3年かかって発売にこぎつけた」 ――商品について詳しく 「ノット(結び目)部分の芯は成形した皮革製、首回りをチェー
1896年6月に起きた明治三陸地震による岩手県釜石市の大津波被災地の写真。写真説明には「釜石港内停泊ノ帆走船(長安丸)数町の陸上ニ打上ゲラル」とあり、海岸から数百㍍離れたところに大型船が打ち上げられている様子は東日本大震災の被災状況と重なる(石黒敬章氏所蔵) 1896年6月15日に起きた明治三陸地震による大津波に襲われた被災地の写真48枚を共同通信が2日までに入手、その一部を配信した。陸に打ち上げられた帆船、全壊した家屋、広範囲に散らばる流木、ぼうぜんとする人々など最大30メートル以上の大津波が岩手県沿岸に達し、死者が2万人以上に上った116年前の惨状を鮮明にとらえている。 東京都在住の古写真収集家、石黒敬章さん(70)が保存。石黒さんの父親が、明治時代の著名な写真師・中島待乳の遺品として入手したアルバムの中にあった。 当時の被害を伝える写真は米メディアが報じたものなど他にもあるが、
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