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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (10)

  • 欲望を監視する社会の可能性: 極東ブログ

    雑記。先日出先のセブンイレブンに久しぶりに行ったのだが入り口で、おやっと思った。自動ドアになっている。セブンイレブンのドアは基的に手動だったはずだが(しかも両方から「押す」だけで「引く」はない)、このところ自動ドア化が進んでいるのだろうか。と、気になって中に入るとなにやら明るい。改装したのか。床も滑りにくいような工夫がしてあるようでもある。 上を見ると毎度毎度のコンビニお得意の監視カメラなのだが、気のせいか増えている。いったい何を監視しているのだろうと少し考える。監視カメラは二種類ある。いわゆるカメラと魚眼なのだろうかカプセル入りみたいなやつ。レジのところに四台くらいある。犯罪防止なのだろうが、案外店員の監視なのかもなとか意地悪い連想が働く。 昼飯の弁当を買う。小さいカップラーメンスープ代わりにと思ってあたりをきょろきょろ探す。いつも使っている店でないとレイアウトがわからないものだ。う

    inflorescencia
    inflorescencia 2007/02/10
    「古典的な監視者はビッグブラザーでもあったが、未来の監視者は我々の欲望と引き換えにビジネスを行うビッグシスターみたいなものなのかもしれない」
  • 社会システムとルール社会を越えていくもの: 極東ブログ

    世界と「私」はどのような関係にあるのか。その関係はどのように変遷し、今、どう変わろうとしているのか、といった、青臭いネタを書く。話を簡素にするために、叩き台的に哲学者竹田青嗣「『自分』を生きるための思想入門」(参照)を使うが、話の筋は竹田の議論にそれほど依存しなくてもいい。ただ、その場合は議論が煩瑣になるというくらいだろうと思う。 同書については、ちょっと哲学志向のある高校生や大学生は読んでおくとその後人生が楽になるかもしれない。哲学プロパーな人は些細な点でいろいろひっかかえって途中で放り投げてしまうかもしれない。竹田の著作史的には、初期の現象学とこの時期特有の橋爪大三郎との交流の影響がある。それでも書の大枠は比較的近著「人間的自由の条件―ヘーゲルとポストモダン思想」(参照)までの射程を持っている。というか、むしろ先の書のほうが竹田思想のコアが見やすい。 まず古典的な世界象は未だ国会

    inflorescencia
    inflorescencia 2007/02/10
    「竹田のいうエロス原理は「集合的」な特質に拘束されているのだが、現在、個がエロス原理から隔絶するほどに抑圧されていくと見るからだ。」
  • 極東ブログ: [書評]ウェブ人間論(梅田望夫、平野啓一郎)

    対談書「ウェブ人間論」は、表題の類似性から「ウェブ進化論」の続編として読まれるかもしれない。確かにそうした文脈もあり、特に「第三章 、iPod、グーグル、ユーチューブ」に詳しい話が展開されている。いわゆるネット業界的にはこの三章の情報が有益だろうし、出版界にとっても非常にわかりやすく示唆的な内容に富んでいる。 単純な話、未来の書籍はどうなるのか。平野啓一郎はある危機感を感じているがこれは現在出版に関わる人にとって共感されることだろう。これに対して梅田望夫は大きな変化はないだろうとしている。 文学者と情報技術の先端にいるコンサルタントとの、時代の変化に対する嗅覚の差もあるが、ここで梅田の判断の軸になっているのは「情報の構造化」という考え方だ。確かにネットには多くの情報がある。だがそれは構造化されていない。梅田の著作に表現されているアイデアの大半はすでにネットで公開されているが、それらは書籍

  • 極東ブログ: 東京が世界の中心なのかも

    ボストン・ワシントン・NY圏に東京が微妙に負けているけど、ほぼ同格だろう。地域的に見れば、日の場合、これに中部日大阪・名古屋)3610万人がほぼ隣接するのだから、最強と言っていいのではないか。もっとも、大阪ですかの溜息は「極東ブログ: 夕張市自治体破綻、雑感」(参照)とか見るとあるが。 それにしても、地方がなんだかんだとか言っても結局日は大東京に国の人口の半分近く集約したことで、事実上最強のシフトを固めていた。傍の国から見ると、恐ろしい国だなという感じがするのではないか。ちょっとノドンを打ち込んでみたくなるくらい。この大東京で足りないのは、消費と若い人の活力か。でも、爺・婆パワーがそれを十分に補って席巻したりして……いや、これも案外マジで。日人訳もなくみたく長生きしているし。 日は国というよりも、大東京圏を中心につながり合った巨大都市圏のようだ。地図を見ていると、日の三つの主

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    inflorescencia 2006/07/21
    「地方がなんだかんだとか言っても結局日本は大東京に国の人口の半分近く集約したことで、事実上最強のシフトを固めていた。」
  • Don't be evil. 邪悪になるな。: 極東ブログ

    Don't be evil. 邪悪になるな。ということだが、Googleという会社のモットーである。DO NO EVILのマントラとも言われる。英語版ウィキペディアにも項目がある(参照)。「ザ・サーチ グーグルが世界を変えた」(参照)などからよく知られているところだが、さっき届いた日版ニューズウィーク記事”IT業界の優等生はどっちだ(Actions and Intentions)”にも簡単に由来が書かれている。 グーグルで大事にされるのは自由な雰囲気。普通の大企業のようになることを恐れたある社員は、社中のホワイトボードの隅に「邪悪になるな」という言葉を書きつけた。これが社訓となった。 正確ではないかもだが、そんなところ。そのグーグルが邪悪になった。 日語で読める記事としてはITPro”米Google,自身が「evil」であることを認める ”(参照)がある。 予想よりも早い展開だった。

    inflorescencia
    inflorescencia 2006/06/15
    「一つは、「Don't be evil.」は単なる宗教ではなく、(略)マックス・ヴェーバーが説いたようなエートスだろう」「もう一つは、「Don't be evil.」は普遍的に正しい命題ではないか」
  • カレーについての断章: 極東ブログ

    私はカレーについて思うのだが、その社会的な存在について、特にその様式についてと言うべきかもしれないが、私が自身を人間的存在であると捉え、同様に他の人間(他者)について思うことと同じく、特に好悪というものはないのだが、いろいろと思惟を促す何かをもっていると確信するのだが、まとまった散文をもってまとめることができない。以下は、カレーについての断章である。 カレーが好きだと公言する日人が多いのはなぜか。この現象は日政治制度など制度、さらに歴史に関連しているのだろうか。 私が半世紀にわたる観察の結果知り得たのは、日の官僚とはカレーを主とする人間的存在である。だが、彼らが、その職務に対するのと同様、それを好んでいる風はない。 カレーを主とする類似の存在に、政治家がいる。だが彼らはただカレーっているだけで、カレーったという記憶ももっていない。カレー政治家の脳にはなにか関連があるのだ

  • 領有権=財産権、施政権=信託: 極東ブログ

    昨日書いた「尖閣諸島、領土と施政権」の続きのような話。識者がどこかにいるのだろうと思うが、わからない。しかたない、自分の頭で考えよう。愚考である。 尖閣諸島問題について、国内には外務省の公式見解を含め、各種の議論がある。が、それはほとんど領土問題を扱っている。つまり、領有権がどこにあるかを議論している。また、中国台湾もつねに領土問題として扱っている。だが、米国はこの問題を一度として領土問題としては扱っていない。あくまで施政権の問題だとしている。 米国の立場は、この点では、日を叩きつぶした連合国、つまり、国連の立場と同じだと見ていい。だから、国際世界としては、暗黙裡にこの問題を施政権の問題だとしているわけだ。なのに、日で、この問題をきちんと施政権の問題として議論しているのを私は知らない。なぜなのだろうか。私が無知というだけなら、それでもいい。だが、日人は、施政権という考えをまるで理解

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    inflorescencia 2006/06/06
    「中国や台湾もつねに領土問題として扱っている。だが、米国はこの問題を一度として領土問題としては扱っていない。あくまで施政権の問題だとしている」
  • 人気、人形、人情、人数、人間、人民(にんみん): 極東ブログ

    昨日のエントリ”極東ブログ: 国民による国民のための国民の政府”(参照)でいろいろ愉快なコメントをいただいた。歴史認識についてはゆるりと議論すればいいし、他の意見の相違の類は面々のおんはからいにするがよろしかろう、多事争論ではあるが、にしても基的な部分でテキストが読まれてないっていうか、昨今の人は言葉の持つ歴史の感覚っていうのはなくなっているのかなと思うことはあった。特にこれ。 どうせ「人民はアカっぽい」とかいう意図を込めてるんだろうが、ミエミエ。finalventなんてミラーワールドでモンスターに喰われちゃえ。 妄想メソッドやんとか言わない。左翼って私の知らない心とか批判してくださるのがテンプレだし、その土俵は野暮過ぎ。そんなことはどうでもいいのだけど、”どうせ「人民はアカっぽい」”という発言にちとびっくりこいた。エントリを読んで貰えばわかると思うけど、「これは近代日の造語ではない

    inflorescencia
    inflorescencia 2006/06/06
    「日本の民主主義というのが天皇主義と調和するというのは依然べたに神皇正統記の世界つうことか」
  • 極東ブログ: 高学歴になるほど就職しづらい

    今週のニューズウィーク日語版のカバー「学歴難民クライシス」が面白かったといえば面白かった。高学歴になるほど就職しづらいという話だ。「就職できない一流大卒が急増 ブランド校を企業が警戒する理由」と補足されている。記事のほうの標題は「世界にあふれる高学歴難民(Overeducated & Unemplyed)」。リードはこう。 有名大学や大学院を出ても企業から冷たくあしらわれ事務職や短期雇用に甘んじる「学歴でっかち」が増殖している まあ、そんな話。 いきなり個人的な述懐になるが、自分もいつのまにか大学からはるか遠く離れ、かつてそこで学んだものがビジネス的にはなんの役にもたってないなとはっきりわかるので、こうした話にそれほど違和感はない。 では大学での学問になんの意味がなかったかというと、それはそれなりにそうでもなく、世界の眺め方が変わったなとは思う。いずれにせよ、済んだことは良いように解釈し

    inflorescencia
    inflorescencia 2006/06/02
    「現状大卒者・高学歴者の就職が難しいというのは大学の持つ労働者調節機能がより高度化しただけなのではないだろうか」
  • 形と実態: 極東ブログ

    ブログでいうところのネタにもならないのかもしれないが、最近ときおり考えることがあるので、書いて「形」にしてみたい。話は、形と実態ということだが、哲学的なことではない。卑近な話に近い。 ブログのある種濃い層ではこのところ話題だった、某有名ブロガーがアレフの信者だった話だが、と「某有名ブロガー」なんて書く必要もないのだが彼自身に焦点を当てたいわけでもないので仮にそうしておく。 この話、アレフの信者だったことを内緒にしてブログ活動をしていたが、アレフの信者であることがバレた、ということなのか、改めて考えるとよくわからない。というのは、アレフの信者であるばそれを明言することがブログ活動の条件になるわけでもないからだ。もっとも、今回の問題は、実際にはそういうことではなく、現実の政治に関係があり、そのあたりでいろいろブロガーが考えなくていけないことがあった。なので、どういうふうに問題を設定するかという

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