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高級引きこもり、デ・ゼッサント 『さかしま』は、ジョリス・カルル・ユイスマンスが1884年に出版した、「デカダンスのバイブル」とも呼ばれる奇妙な小説だ。好きな人は猛烈に好きで、一番の愛読書に挙げる。しかし、嫌いな人はその記述にうんざりして、ページをめくる指も止まりがちだと言う。 主要な登場人物は、主人公のデ・ゼッサント、ただひとり。 彼は貴族の末裔。神経質で華奢な独身男。17歳で両親を亡くしたが、さいわい財産はある。 イエズス会の学校で神学やラテン語を学び、卒業後は、貴族から娼婦まで、いろいろな人々と広く深く交際して、遊び尽くし、体には病を心には嫌悪感を持つに至った。 貴族は退屈で、聖職者は偽善的。思想家はアホで、遊び仲間は空虚。女性への情熱さえも、ついには涸れ果てた。だいたい、どいつもこいつも無礼者だし俗物だ。私にとっては大切な思想や芸術を、内心、馬鹿にしていやがる! デ・ゼッサントは結
でも、これがアートなの?―芸術理論入門 この商品の他のレビューをみる» 評価: シンシア フリーランド ブリュッケ ¥ 2,940 (2007-07) 学問を芸術のようなものだと考えるならば、優れた芸術とはどのようなものかを考えるべきだ。「実証主義反対!! 人文・社会科学は自然科学よりも文学や芸術に近いんだ!!」という社会学者たちは、芸術や文学がどのようなもの(であるべき)か、深く考えたことがあるのだろうか。というわけで、『でも、これがアートなの?―芸術理論入門 』から、いくつかの考え方をまとめてみよう。 芸術儀式論 芸術は儀礼であり、芸術を通してカタルシスを得たり、集合意識を高めたりするものであるという考え方。絵具は血のメタファーというわけである。「儀式とは、誰もがよく知っている行為を通して共同体と神との関係を強めるものだ」(p.21)。 「...ヘルマン・ニッチュは、音楽と絵画、葡萄絞
■編集元:科学ニュース+板より「【学問】「日本時間学会」設立 時間学という新たな学問の確立を目指す 文系・理系の枠超え研究」 1 白夜φ ★ :2009/06/16(火) 21:07:35 ID:??? <日本時間学会:設立、山口大で記念講演 文系・理系の枠超え研究 /山口> 時間学という新たな学問の確立を目指す「日本時間学会」の設立総会が13日、山口市の山口大学で開かれ、記念講演やシンポジウムがあった。記念講演した千葉喜彦・同大名誉教授(時間生物学)は、山口は16世紀に宣教師のザビエルが大内義隆に西洋式時計を献上した地であることを紹介し「時間学の端緒をつくったのはザビエルではないだろうか」と意義を強調した。 同学会は「時間」を共通の視点として文系や理系の枠を超えた研究・交流が目標。山口大時間学研究所が設立準備を進めてきた。 講演で千葉名誉教授は、環境が一定の実験室内でも動物が毎
梅田さんの発言記事がネットで盛り上がっている模様。 日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia NEWS Web、はてな、将棋への思い 梅田望夫さんに聞く(後編) (1/3) - ITmedia NEWS 404 Blog Not Found:梅田望夫は「残念」なただ一つの理由 (他はこのDan Kogaiの中にリンクがいっぱいあるので参照) 渡辺千賀といい、あーあ、言っちゃった、何か心境の変化でもあったのかな、などと思いつつ。 叩かれるのは覚悟の上で言ったんだろうけれど、少なくとも私の見える範囲で彼の発言を叩いている内容を見る限り、梅田さんのフラストレーションは当たってるなぁ・・・と思ってしまう。以下は私の解釈ではあるが。 梅田さんが「好き」であって、日本でもその登場を期待したネットの世界とは、「バーチャル・アテネの学堂」だったんじゃないかと思う。
参考記事:梅田望夫:日本のWebは「残念」でもいいじゃん ■ nojiri_hRT @sasakitoshinao: だいたい過去、浮世絵とか戯作とかアニメとかニコニコ動画とか、そういうヤクザなもの以外に世界で認められたものなんて日本にあったか?■ nojiri_hRT @sasakitoshinao: 日本のネットは、バカと暇人の集積からフィルタリングして一握りのすぐれたクリエイターを生み出すために存在しているのだ。■ weekly_utaran [Re]@nojiri_h 源氏物語なんて不倫と近親相姦の物語ですもんねw■ nojiri_hMTMで一部のアート系の人たちから白眼視されながら、ニコニコ技術部が出展してるのも、そのへんなんだよな。あえて萌えキャラをでっかい看板にして。■ nojiri_h [Re]@weekly_utaran 紫式部が現代に出現したら、乙女ロードにまっしぐらで
関連リンク ブログ1・路上ネイチャー協会 ブログ4・反-反写真 ホームページ・itozaki(仮設Fc2版).com/ ブログ2(休止)・2コマ写真 電子メール・itozaki.kimioアッとgmail.com (*写真と本文は関係ありません) ぼくはつい最近まで、芸術と哲学はまったく別物だと思っていた。 いや、つい最近であるところの現在も、芸術と哲学は同一だと思ってるわけではなく、その区別が曖昧になってきているのだ。 そこでとりあえず、ぼく自身が捉えていた「哲学」と「芸術」の違いについて、整理してみようと思う。 ここで言う「哲学」とは、哲学者の中島義道さんが著書で示した「哲学観」である。 もちろん、「哲学観」を規定できるのは一人中島義道さんではないから、もっと別のいろいろな「哲学観」があるかもしれない。 さらに、素人のぼくごときが、専門家である中島義道さんの「哲学観」をどれだけ理解して
朝日新聞夕刊に「人生の贈りもの」というコラムがあり、毎週著名人へのインタビューが5回シリーズで掲載されている。先週が哲学者の木田元だった。インタビューなのできわめてやさしい言葉で哲学が語られている。 ーー(ハイデガーは)どんな人物だったのでしょう? ハイデガーの伝記が出版され、嫌なヤツだと思うようになりました。ナチスにかかわっただけでなく、子どもの名付け親にもなっていた一家を密告している。政治思想家ハンナ・アレントとの恋愛も身勝手。不倫関係がバレそうになると、「ヤスパースのところで勉強した方がいいだろう」と離れたところに送り出してしまう。アレントが怒って住所を知らせないでいると、弟子を使って調べさせる。弟子たちも長続きしない。弟子の口を通じて、思想の全容が伝わるのが普通だが、追いかけ続けた弟子がいない。 ただ、講義はうまかった。失神した女子学生が何人もいたそうです。 ーーご専門のハイデガー
村上隆が日本の有名批評家を挑発している。「フランスで勝負できもしねえくせして、日本でふんぞりかえっているんじゃねえよ」と。しかし、それが「勝負」であるかどうかはともかく、たとえば『「歴史の終わり」を越えて』(中公文庫)を読んでも分かるとおり、浅田彰はフランスの思想家たちとガチに対話し、しかも「御説拝聴ではなくて、しっかり議論して、むしろ押している(福田和也の解説より)」のである。そして、それでいてつねに「私のことなどどうでもいい」とすこぶる謙虚で、およそ「ふんぞりかえっている」ようには見えない。むしろ「ふんぞりかえっている」のは村上隆の方であり、誰がどう見たって「いかがわしい」のも村上隆の方である。おそらく村上隆が「世界で勝っても日本では負けた」(本人談)のは、日本人の批評技術が、ある部分で世界的に勝っているからである。実際、日本の批評家がフランスの批評家と「勝負」しても負けるとは思えない
Web 2.0 がただのバズワードだと分かった今, そろそろ, あるサービスが「衆愚」かどうか論じるのはやめたらどうだろう。 私の Tumblr Dashboard の補足範囲にも, いまだに「衆愚がどうたら」とか言う記事が見受けられる。 たとえば「Google衆愚スパイラル」では 「Google以前のWebでは、信頼できる情報には多くの人から「これは信用できる」という情報とともにリンクが張られてきました。 間違った情報は批判を伴ってリンクされるか、単純に無視されて自然に消えていたのです。 ですが、今のGoogleの仕組みでは、間違った情報でも被ンクが多ければ上位に表示されてしまいます。 誤った情報、ゴミのような雑多な情報が簡単に流通してしまう。 これは、自動的に情報を収集しランク付けをするGoogleというシステムの欠陥です。」 などと書かれていたりする。 そもそもネットにおける「衆愚」
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