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美学に関するja_bra_af_cuのブックマーク (289)

  • 『ゲーム化する世界』について (1/3) - 9bit

    読んだ。 2011年におこなわれた日記号学会第31回大会の内容をもとにしたです。ゲームの特集号で、いろいろな論文や対談が収録されています(目次)。僕も大会では恥ずかしいかんじの発表をしたんですが、諸事情というか怠慢というかで論文は書いてません…。 日発のアカデミックな人文系のビデオゲームはいまのところ皆無といってよいので、これは非常に貴重な成果だと思います。こういうや論文がぽつぽつ出てくるようになるといいです。 こういうが出ることにかんしては手放しでめでたいんですが、内容についてはいろいろ言いたいことがあるので書いておきます。 お前論文でやれよという話ではあるんですけど、軽いノリでコメントしたいのでブログに書きます。ちゃんとした議論は、そのうちちゃんとしたかたちで出せたら出します。 3回くらいに分けます。今回コメントするのは以下の論文。 吉田寛「ビデオゲームの記号論的分析―〈ス

    『ゲーム化する世界』について (1/3) - 9bit
  • 慶應義塾大学出版会 | ビデオゲームの美学 | 松永伸司

  • obakeweb — 音楽作品の存在論まとめ:レヴィンソンvsドッド

    ヘッダー画像は5分で作った。 さて、日の話題は音楽作品の存在論。「音楽作品って、どういう特徴を持っているの?」「音楽作品の身分って、なんぞや」みたいな疑問に答えていく分野。 芸術作品の存在論をやっている人たちは、だいたい音楽作品を主題に扱っている印象。やはり、その特異な立ち位置に惹かれるのだろうか……。 日の目次〜! 音楽作品の特徴/我々の直観 音楽作品の存在論的カテゴリー 「タイプ説」―メリット/デメリット ジェラルド・レヴィンソン「指し示されたタイプ(Indicated Type)」説 ジュリアン・ドッド「曖昧なタイプ (Vague Type)」説 音楽作品の特徴/我々の直感「音楽作品って、どういう特徴を持っているの?」 まずは我々の実践/直観に沿った、音楽作品の特徴を挙げてみる。このような記述的な作業から、音楽の哲学は始まるのだ。 反復可能性:同一の作品が、演奏や音源の再生を通し

    obakeweb — 音楽作品の存在論まとめ:レヴィンソンvsドッド
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/07/08
    曖昧なタイプ説がよさそう。"タイプを曖昧なものとみなすなら、それを例化する複数のトークンが「これっぽっちも似ていない」という事態は十分にありえる" ジャズ・スタンダードの演奏では時折みられるよね
  • ドミニク・ロペス『画像を理解する』 - logical cypher scape2

    Dominic Lopes "Understanding Pictures" ドミニク・ロペスによる描写の哲学の入門書 同じテーマのものとして過去に読んだものは ジョン・カルヴィッキ『イメージ』(John V. KULVICKI "Images")前半(1〜5章) - logical cypher scape2 ジョン・カルヴィッキ『イメージ』(John V. KULVICKI "Images")後半(6〜9章) - logical cypher scape2 ネルソン・グッドマン『芸術の言語』(戸澤義夫・松永伸司訳) - logical cypher scape2 S.E.P.「Depiction描写」 - logical cypher scape2 Mulcom Budd “How pictures look” (マルコム・バッド「画像はどのように見えるか」) - logical cy

    ドミニク・ロペス『画像を理解する』 - logical cypher scape2
  • 分析美学基本論文集 書評|西村 清和(勁草書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

    「分析美学」とは、分析哲学に対応する仕方で主として英語圏においてこの半世紀ほど展開してきた新潮流の美学であるが、これまで日において十分議論の対象とされてきたとはいえない。書は、分析系の理論を駆使して日の美学研究を牽引してきた西村清和自身が編纂し、主に若い研究者に声をかけて翻訳したもので、分析美学の発展において時代を画したと目される九の論文が大きく四つの主題の下に収められている。 第一章は芸術の定義をめぐる論文二からなる。さまざまなイズムの提唱された二〇世紀は、従来の芸術の定義を逸脱する作品を次々に生み出し、そのために「なぜこれが芸術なのか」という(以前にはありえなかった)問いがしばしば提起された。アーサー・ダントーの論文「アートワールド」は、芸術作品をその他のものから区別するのは知覚的特徴ではなく「芸術のある特定の理論」「芸術の歴史についての知識」であるという画期的な命題を提起す

    分析美学基本論文集 書評|西村 清和(勁草書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
  • 世阿弥『風姿花伝』 現代語訳つき朗読

  • http://jazzguitarspot.com/blog/2018/06/28785/

    http://jazzguitarspot.com/blog/2018/06/28785/
  • あとがきたちよみ『感情の哲学』

    哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。 あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひの雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。 西村清和 著 『感情の哲学 分析哲学と現象学』 →〈「序」ページ(pdfファイルへのリンク)〉 →〈目次・書誌情報はこちら〉 序 もしも感情というものがなかったとしたら、どうだろう。AIを搭載した自動車ならば、客観的に見て危険とされる事態を察知して、われわれのように恐怖に駆られてまちがってアクセルを踏んでしまうといったこともなく、あらゆる情況を想定し、最近話題のディープ・ラーニングの能力を備えたプログラムにしたがって、そのつど確実にブレーキをかけて障害物との衝突を回避できるかもしれない。

    あとがきたちよみ『感情の哲学』
  • Simon Evenine, 「でもこれってSFなの?」 - サイエンスフィクションとジャンルの理論 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Simon J. Evnine, “But Is It Science Fiction?”: Science Fiction and a Theory of Genre - PhilPapers Evnine, Simon J. (2015). “But Is It Science Fiction?”: Science Fiction and a Theory of Genre. Midwest Studies in Philosophy 39 (1):1-28. 目次 ジャンルに対する二つのアプローチ 所属、定義、規範性 所属と定義 規範性 ジャンルを巡る争い マーガレット・アトウッド パミラ・ゾリーン「宇宙の熱死」 @pubkugyo さんに教えてもらった。作品のジャンルについて論じた論文。特に具体的なジャンルとしてSFを取り上げ、SFにおけるジャンルの定義論争などに触れつつ議論をして

    Simon Evenine, 「でもこれってSFなの?」 - サイエンスフィクションとジャンルの理論 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/05/31
    "「舞台が西部であることが重要ではない、西部のスピリットが大事なんだ。SF西部劇はありだよ」とか言いはじめるような事態" カウボーイビバップを想起した(あれが西部劇的なのかどうかわからないけど
  • 俳優、着ぐるみ、VTuber - 9bit

    以下の論考について。読んだ人向けなので要約は省略します。 ナンバユウキ「バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン・ペルソナ・キャラクタ」Lichtung Criticism, May 19, 2018. Twitterでナンバさんとも少しやりとりしたが、この論考からはVTuberと他の文化形式の関係がいまひとつわからなかったので、ちょっと考えていた。具体的には、この論考で言われている「三層」がどこまで他の文化形式に言えるのか/言えないのかがいまいちはっきりしない。 以下、俳優、コスプレイヤー、着ぐるみ、アバターVTuberがそれぞれどういう「層」を形作っているのかを試しに整理する。その過程で、何かを「演じる」という言い方に複数の意味があるかもしれないことを示す。 なお基的に具体例は出さないので適当に補完してください。 前提 ナンバ(2018)および松永(2016)にしたがって以下の

    俳優、着ぐるみ、VTuber - 9bit
  • バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン・ペルソナ・キャラクタ - Lichtung Criticism

    はじめに 2017年の終わりごろ、にわかに人々の耳目を驚かし、少しづつ人口に膾炙しはじめたバーチャルユーチューバ(VTuber)というものたちがいる。動画では、3Dあるいは2Dモデルのキャラクタが動き、企画やトークを行なっている。それらは、あらかじめ決められた演技を行うような3Dアニメーションとはあるていど異なっている。というのも、それらのキャラクタの動きは、演者の意図した動きから、不随意な動きまでもトラッキングすることで生成され、たとえば、ライブ放送においては、演者とキャラクタの動きのリアルタイムな同期が行われているからだ。それらはアニメーションにおけるフィクショナルキャラクタのようでもあり、また、Twitterやライブ放送でのオーディエンスと双方向的なコミュニケーションを行う様子からすると実在の人物のようでもある。 バーチャルということばにこと寄せて、実在しないが実質的に存在するような

    バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン・ペルソナ・キャラクタ - Lichtung Criticism
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/05/22
    コミュニケーション研究のパートは難しかったけど全体として興味深く読んだ。「ペルソナとして/キャラクタとして」をパラメーターと考えると,アイマスライブとVtuberの差異なんかもその度合の違いとして説明できそう
  • 心理学ワールド 81号 特集 美の認知神経科学, 神経美学のこれまで 石津 智大(ロンドン大学) | 日本心理学会

    Profile─石津 智大 2009年,慶應義塾大学大学院社会学研究科心理学専攻後期博士課程修了。博士(心理学)。ロンドン大学ユニバーシティカレッジリサーチフェロー,日学術振興会特別研究員(早稲田大学),日学術振興会海外特別研究員(ウィーン大学)を経て,2018年より現職。専門は認知神経科学。論文は「神経美学の功績:神経美学はニューロトラッシュか」(『思想2016年4月号』岩波書店)など。 芸術ときくと,まったく興味のない人もいるかもしれない。ところが,しばしば芸術と同じ文脈で取り上げられる美はどうだろう。美はどこにでも立ち現れる。海の日の入り,お気に入りの絵画,好きな人の顔。見た目だけの話ではない。心根の綺麗さ,友情の美しさ。善行や正義を美徳としない文化はないだろう。かように多様な対象を貫く「美」という感覚。これがわたしたちにどんな意味をもっているのか,脳機能画像法を利用して研究して

    心理学ワールド 81号 特集 美の認知神経科学, 神経美学のこれまで 石津 智大(ロンドン大学) | 日本心理学会
  • 西村清和『感情の哲学――分析哲学と現象学』の感想 - 昆虫亀

    恩師*1、西村清和先生の最新刊、『感情の哲学――分析哲学と現象学』勁草書房、2018年。 少し前に、ご恵投賜っておりました。ようやく読みおえたので、ちょっと感想を書いておく。 美学会の元会長が、東大定年後に國學院に再就職し*2その國學院の定年直前に仕上げた*3、ということで、西村清和の(少なくともアカデミックポストにいる期間の)最終仕事、ということになるのだろう。なので「よーし西村美学の集大成か!」と期待して読んだのだが、結論からいえば、このは美学のではなかった。哲学のだ。美学は哲学の一分野なので、こういう書き方をするとちょっと変に聞こえるかもしれないが、要は、美学的な考察は最後の第七章にあるのみで、それまでの六章はバリバリの感情の哲学なのだ。詳しい目次はこちらをどうぞ。 さらにいえば、美学的な考察を行なっている第七章は、ほとんどこれまでの西村美学の焼き直しでしかない。ウォルトンや

    西村清和『感情の哲学――分析哲学と現象学』の感想 - 昆虫亀
  • キズナアイの「写真集」は本当に写真と言えるのか? 「写真の定義」を考えてみる

    2005年に米国で動画共有サイト「YouTube」が設立されてから十数年。誰かが投稿した動画を見て楽しむことが当たり前の娯楽となった現在、今や動画投稿で生計を立てる「YouTuber」は子供や若者にとっての憧れの職業になるまでに至りました。 今回ここで注目したいのは、そうした「YouTuber」の中でも特に異彩を放つ存在である「バーチャルYouTuber」です。 「バーチャルYouTuber(以下VTuber)」とはYouTubeで動画投稿を行っている(という設定の)架空のキャラクターのこと。VTuberは生身の人間が直接出ないという点で、従来のYouTuberとは大きく異なった存在です。 1000以上もいるといわれるそのVTuberのフロントランナーとでも言うべき存在がキズナアイです。 キズナアイは2016年11月から動画投稿を開始しているVTuberで、自称「インテリジェントなスーパー

    キズナアイの「写真集」は本当に写真と言えるのか? 「写真の定義」を考えてみる
  • セックスや食から得られる快楽とは違い芸術の快楽は特別だとする議論にバトル勃発

    by Raffaele Franco ソーシャルメディアやポルノ、砂糖などによって、人々が「次なるドーパミン」を得るために自由意志を手放した「思考を持たない快楽中毒者」に変わってしまい、問題を解決するためには芸術が必要であるとする論文がロンドン大学・ウォーバーグ研究所に所属する神経学者、ジュリア・F・クリステンセン氏によって発表されました。この論文により、「芸術による快楽は他の快楽とは一線を画するのか否か」という神経学者のバトルが勃発しています。 Why Scientists Are Battling Over Pleasure - The New York Times https://www.nytimes.com/2018/04/10/science/pleasure-art-sex-food-drugs.html ことの発端となったのは2017年に発表された以下の論文。 Pleasu

    セックスや食から得られる快楽とは違い芸術の快楽は特別だとする議論にバトル勃発
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/04/17
    カント的な問いを神経科学から見ると,的な
  • 芸術と倫理、倫理的批評 - Lichtung

    芸術の倫理と倫理的批評に関するサーベイ論文を読んだのでまとめました。「倫理的批評って可能なの?」「芸術作品と倫理はどう関わるの?」といった疑問を抱いている方はご一読ください。 ・Giovannelli, Alessandro. "The ethical criticism of art: A new mapping of the territory." Philosophia 35.2 (2007): 117-127. 倫理的批評とはなにか 三つの原則 新しい分類法 ヴァリエーション 「地獄変」のケース マッピングの利点 注 倫理的批評とはなにか 芸術は倫理的に批評しうるか、という問いは、20世紀の後半にはいってふたたび分析美学のまじめな問いとして見直されることとなった。それに伴い、分析美学において芸術とその倫理的批評に関するさまざまな立場が現れた。この論文では、そうした立場を実践に沿うよ

    芸術と倫理、倫理的批評 - Lichtung
  • 書いた論文の宣伝: スーパーヒーローの概念史 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    フィルカル最新号(Vol. 3, No. 1)に「スーパーヒーローの概念史: 虚構種の歴史的存在論」という論文を書きました。 BaseまたはAmazonなどから購入できます。あと池袋のジュンク堂さんや新宿の紀伊国屋さんにあるようです。 目次は以下で見ることができます。 http://philcul.net/?p=598 (1) スーパーヒーローの歴史を扱った論文です 38年から80年代くらいのアメリカンコミック史(スーパーヒーローコミックのみ)をざっと扱っています。メインは60年代です。 これを読むと、最近のMCU映画などでも有効な「スーパーヒーロー=トラブルメーカー」という図式や、ユニバース化の傾向がだいたい60年代のマーベルでスタン・リーやジャック・カービーによって作られたということがわかります。また、この論文のメインの主張としては、60年代の前後で、スーパーヒーロー概念が、〈読者が用

    書いた論文の宣伝: スーパーヒーローの概念史 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/04/02
    "この論文は、イアン・ハッキングのやっている「歴史的概念分析」(歴史的存在論)を自分でもやってみたというものになります"
  • A. W. イートン「(女性の)ヌードのなにがわるいのか」PART I - Lichtung

    芸術的価値の周辺を探索しています。 Art and Pornography: Philosophical Essays 作者: Hans Maes,Jerrold Levinson 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr 発売日: 2015/09/01 メディア: ペーパーバック この商品を含むブログを見る 『芸術とポルノグラフィ』に収録のA. W. イートンの「(女性の)ヌードのなにがわるいのか」*1 裸婦画に代表される「衣服を脱いだ女性の体を第一義的な主題とする芸術的表象のジャンル」としての「女性のヌード(作品)」の問題を扱っている。 この論文の目的は、こうした「女性のヌード」がなぜフェミニズム批評のなかで問題となってきたのかを、フェミニズム研究のうちでの暗黙の了解を前提とせずに説明することだ。 著者のイートンはこう語る。 残念ながら、女性のヌードに関するフェミニスト研究は、

    A. W. イートン「(女性の)ヌードのなにがわるいのか」PART I - Lichtung
  • 『鳩羽つぐ』の不明なカテゴリ:不明性の生成と系譜 - Lichtung Criticism

    概要 『鳩羽つぐ』という作品のうちのさまざまな表象の意味の考察にとどまらず、その作者の意図やその作品を取り巻く言説をも考察の対象とし、それらを分析美学の道具立てを用いて批評することで、この作品の特殊性を明らかにする。 上記の作業を通じて、『鳩羽つぐ』は、「鑑賞者にその仮のカテゴリ的意図を推測させることをその作品の意図のなかに含みもつようなカテゴリ」としての「不明なカテゴリ」のもとで鑑賞しうる作品であることが明らかにされる。 そのことによって、『鳩羽つぐ』はわたしたちに「不明なカテゴリ」と関係するさまざまな作品の特殊性に関する気づきを与えるということを指摘する。 概要 『鳩羽つぐ』の不明なカテゴリ カテゴリへのアクセス カテゴリとジャンル カテゴリと鑑賞 カテゴリ的意図 不明なカテゴリと生成されるカテゴリ 意図の不明性 不明性の系譜 『鳩羽つぐ』の不明なカテゴリ 鳩羽つぐ。Youtuber。

    『鳩羽つぐ』の不明なカテゴリ:不明性の生成と系譜 - Lichtung Criticism
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/03/25
    不明なカテゴリーというカテゴリー、遡及的に発見される系譜。面白い
  • http://jazzguitarspot.com/blog/2018/03/26856/

    http://jazzguitarspot.com/blog/2018/03/26856/
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/03/22
    逆にみんながよく知らないまま,それぞれのイメージもずれたまま,それでも演奏が成り立ち続けてるっていうのも現象としては面白いよね