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終焉に関するjulajpのブックマーク (3)

  • 個人史は終焉しない。続く。

    ある個人氏の終焉、と言う文章を先日読んだ。男女が出会い、子供を妊娠した、と言う話だ。 私は十代のころに子宮筋腫が出来、そして手術を受けた。不妊の傾向はあるだろう、と言う診断もその時受け、定期的に通院している。 私は子どもの頃から、よく人のことを聞く人間だった。勉強はするもので、ご飯はべるもので、部屋は綺麗にするもので、結果は収めるものである、と。自分の生の意味を考え始めたのは思春期の頃だ。大概、親のために、社会のために。上手に生きるため、に収束した。私は常に落胆した。酷く憂に毎日を暮らした。したいことは何も無かった。酒を飲み、寝て、を読んだ。しかし私は何者にもなれなかったし、ならなかった。なる事を選ぶことすらしなかった、出来なかった。 学生のころに恋人と暮らすようになった。恋人といると安心はした。しかし、恋人は私の生に意味を与えてはくれない。私はその、その人が体験する、一部の風景でし

    個人史は終焉しない。続く。
    julajp
    julajp 2007/11/19
    今までの呼び水があって浮かび上がって来たエントリーですよね。人や状況とぶつかり合いながら自分を他と共に変え変えられながらどう生きるか。意味を見出す、意味を付けるよりも生きて居る事自体に意義を見出す。
  • FETISH STATION - FC2 BLOG パスワード認証

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    julajp
    julajp 2007/11/18
    お子さんが生まれにくい体/無事生まれるかは判らない/自分は兎も角嫁さんが目にしたら?/集約された念からのプレッシャーを避ける/余計な不安からの流産を避ける為には閉ざす/表現の場を閉ざし家族を優先し守る決断
  • マジョリティの側の度量(書き落としたこと) - 地を這う難破船

    もう触れないつもりだった。ただ。幾らか、思うところを。 以前に、紹介した言葉であるのだけれども、筒井康隆断筆事件の際に、浅田彰が言ったことがある。大意、と厳に断る。 ――マジョリティの側におかれては、マイノリティの側に対する度量をこそ求めたい。マイノリティは、マイノリティの側にあるがゆえに、言行に際して攻撃的になりもする。そのことは、やむを得ないことでもある。対するに、マジョリティの側がヒステリックになる。「これは許されないことです。」。マジョリティの側にあるがゆえの、度量を求めたい。――私の補足を付すると。現実的な力関係の所在が、背景にあることを、了解していただきたく、ということ。 のりたまと煙突 作者: 星野博美出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2006/05メディア: 単行 クリック: 10回この商品を含むブログ (32件) を見る 毎度のごとく手元にない。ひとりものの写真家は

    マジョリティの側の度量(書き落としたこと) - 地を這う難破船
    julajp
    julajp 2007/11/16
    終焉記事に素直に"感動した"と言える酷い傷に苛まれずに済んだ幸運に恵まれたマジョリティ。既に遥かな幸運を享受している。それが当然として常識で切り糾弾しようとする。それこそが無自覚で無慈悲な上から視点。
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