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ブックマーク / www.naotoyamamoto.jp (2)

  • 新聞はネットに殺されているのではない。 - 広告って、なに?

    ちょっと前に電通から発表された「2008年日の広告費」では新聞とネットの対比が話題になっていたようだ。伸びるネット、激減の新聞。このまま行くと今年に両者の比率が逆転するとも言われている。 たしかに新聞は減少している。だが、それは「ネットに押されて」なのだろうか。ネットが伸びたのは「新聞などに代わって」なのだろうか。 結論から言うと、その分析はちょっと違っていると思う。 このグラフは、同リポートの数字を整理したもの。新聞広告とネット広告(媒体費)、およびその合計を表している。(ネットの制作費は05年からの集計なので長期的な推移を見るにはこの2つの比較がわかりやすい) グラフを見ると、両者の合計額は00年と昨年で微増なので、「新聞がネットにわれたように見えるかもしれない。 でも、読み込むと面白いことがわかる。 まず00年から02年までの新聞の落ち込みは1767億円。それに対して

    julajp
    julajp 2009/03/16
    メディアと世代の相関関係なんても少なからずある訳か。生まれてネットがあたり前にあればネットに流れるだろうし、生まれた時が新聞で後からネットだとまた違うだろうし
  • 態度変容を疑ってみる。 - 広告って、なに?

    広告は情報だ...そうした観点で配信の最適化を考えれば、単純な態度変容モデルそのものに懐疑的になるだろう。ただ、配信最適化論者が態度変容の概念を無視しているわけではない...「態度」の定義が違っているのではないか。 「革新的流派」が、ここに新しい定義を見出せるだろうか。 ただ、そもそも広告で態度変容が起きるのか?ということをゼロベースで疑ってみることが、実は重要でスリリングな議論かもしれない。実は「広告を見て態度変容が起こる」というのは「かつて」成立した概念かもしれないのである。 それは世の中全般において「購買欲求が高い」ような時代だったから、という考えである。 また経済的に上り調子で「買い物で失敗してもやり直しが効く」ことが暗黙の了解だった時代の理屈、というようにも言える。 つまりモノが行き渡り、かつ経済的にも「買い物の失敗」が許されなくなったいま、「広告による態度変容」という

    julajp
    julajp 2008/06/07
    例えば新興国だと売れるモノづくりや広告。でも日本ではてんで鳴かず飛ばず。それは購買に対する意識の見誤りがあれば当然。車なんては際たるもんじゃないだろうか。
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