明治22年(1889年)4月1日、大阪市が市制施行されました。当時東西南北4区で面積15.27km^2、人口約47万人という規模でした(出典:大阪市営交通90年のあゆみ)。当時まだ江戸時代の狭い街路に町屋が隙間なく建つ近世都市でした。都市交通としては狭い街路を疾走する人力車が主力という時代です。 1872年の大火で消失し、大規模区画整理で維新のシンボルを兼ねて洋風の煉瓦街として復興した、銀座を中心とする中央通りに鉄道馬車が走った東京とはかなり異なった状況で、当時のありふれた地方都市のそれと大差ない状況だったと言えます。 明治36年(1903年)になると変化が現れます。3月1日に大阪で第5回内国勧業博覧会が開かれ、それと前後して新たな都市交通機関が登場します。1つは梯子状に張り巡らされた運河を航行する大阪巡航船(石油発動機動力のポンポン船)であり、同年9月1日に、大阪市電の花園橋―築港桟橋間