「行間を読め」と言われるのが嫌いだ。読めないこともあるが、そう言われるときはたいてい、行間を読み取って、拒絶しているときだからなのだ。こう思うことが多かった、若い頃だが、「だいたいたいにおいて、きみたちより文学・評論を読んで現国なんか無勉強でクリアの僕がそもそも行間とやらを読めないと思っているというのはどういう了見なんだかな」という感じである。しかし、それはある種の若者の凡庸さの現れの一つでしかない。 行間など読めと言われるものではなく、読めてしまう行間にどう対処したらよいのか。たいていの場合は、沈黙である。そもそも「行間を読め」というのは、命令だからだ。そして、それを読まないことは、その命令への拒絶だからだ。そして、拒絶を口にすれば、弱者のポジションにあれば、一悶着起きる。沈黙以外にどうしろと。 で、この状況である。 どの状況か。行間だ。 回りくどく書きたい。 登戸の無差別殺人で、いくつ