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thinkに関するkataのブックマーク (190)

  • 技術者、ビジネスマン、投資家の発想の違い

    今、「キャプランとノートンの戦略バランスト・スコアカード」を 読んでいるのだけれど、最近、ちょっとの内容と 関連した話題がブログ界隈で出ていたので、 それについて書いておこうとおもう。 当に技術が必要とされる現場にgeekがいない 見慣れない場所のビジネス 大規模サービスを展開する企業が陥るジレンマ それぞれ、アルファブロガ-のエントリなんだけれど、 ついているポジションがそれぞれ違うので 意見が異なっている風にも見える。 隊長は投資家、実業家で、R30さんはビジネスマン、 naoyaさんは技術者だ。 最初に挙げた「キャプランとノートンの戦略バランスト・スコアカード」では 企業がとるべきビジネス戦略三つあげている。 1 製品リーダーシップ戦略 2 顧客関係重視戦略 3 卓越した業務戦略 である。 1は、技術革新によって、常に最新の技術を投入しつつ 先行者利益を最大限に利用して市場を新た

    技術者、ビジネスマン、投資家の発想の違い
  • 切込隊長BLOG(ブログ) - 本当に技術が必要とされる現場にgeekがいない

    以前、ネットをふらついていたらこんな記事があった。 http://fragments.g.hatena.ne.jp/another/20051109/1131545150 伊藤直也氏というと、顔はゴツいけど著名で実力のあるネット技術者であり、彼をDISりに来た人がDISる前に「あー、どうせ俺もうだつの上がらないIT技術者ですよ」とか萎えてしまうほどの力量の持ち主である。 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%a2%a5%eb%a5%d5%a5%a1%a5%ae%a1%bc%a5%af だいたいそういう人は、技術的なモチベーションを維持しやすい最先端企業やサービスにいる。技術者が技術者同士切磋琢磨できる環境にあることで、最新の情報に触れ、最高のアイデアを実現できるポジションにいようとする動機があるのだろう。称賛されうる仕事で己の能力を十全に活かしたいとい

  • 年代別キャリアアップ法 40代 - finalventの日記

    40代40代になると、仕事をやる人はめっきり少なくなり、消えるとか病気をするとか偉くなるとか偉くなるには呑むとかいうことが重要になります。自分の思うようにならない環境において自分で仕事をしようとしても、やめとけというのがたいていは妥当な判断です。この年代で重要なのは仕事とか職場とかいうことではなく、親とかテメーの家族とどう向き合うかということだと思います。親も家族も人間ですから完璧ではありませんから、一生懸命仕事をしている自分に簡単に駄目出しをすることもあります(く、くそぉ)。そうしたどうすればよいかというと、30代のうちにそういうことがないように避けておくと、人生はなかなか寂しいものになると思います。が、親は10代の内になんとかしてないと、なかなか避けられるものではありません。 【まとめ】 各年代でやるべきことをきちんとやっておかないと、その時のケツが後になって回ってきます。30代

    年代別キャリアアップ法 40代 - finalventの日記
  • 頭がいいとはどういうことか - finalventの日記

    ⇒内田樹の研究室: 頭が悪くて何か問題でも? 「頭がいいとはどういうことか」という問いについては私には長年の疑問がある。 「頭がいい」とはどういうことかについて知っていると称する人間は、当ながら、自分は「頭がいい人間と頭が悪い人間を識別できる」ほどに頭がいいと思っているということを意味するわけであるが、彼の「オレは頭がいい」という確信には、その名乗り以外にはいかなる根拠もないということである。 これは、客観的にわかりますよ。 頭がいいということは、まず、ベースでは、他者との軋轢をうまない知恵があるということです。 その基は自分を隠すことと「外的な配慮」(グルジェフ用語)ということ。 「外的な配慮」とは「内的な配慮」の克服からできる、多分に。 では、「内的な配慮」とはなにかということだが、これは、「他人が自分をどう思っているかを配慮すること」。 で、やっかいなのは、自己評価というのは他人の

    頭がいいとはどういうことか - finalventの日記
  • お説教みたいな話4つ - finalventの日記

    ボケとかハズシとかあるかも。 ●たぶん人は無意識のなかを漂って生きている じゃ、それが変容することってないのか。 難しいです。ちょっとズレまくるけど、頭のいい人っていうのは、生まれつきそうなのか、頭がよくないとサバイブできなかったからそうなった、の2つで、どっちもあまり幸せとは関係ないような気がします。幸せになるような人生の戦略というか立ち回りのうまい人もいて、で、それが幸せかというと、それもそうとも言い切れないような。ある種の人の人生は不幸を生きる運命かもしれません。ま、そういう意義を幸せに置き換えていくのでしょうけど。 で、そうした無意識が変わることはあるのか。この無意識っていうのをもっと露骨にいうと、性の身体だと思います。一歳までと思春期のときの性の身体性への意識化でしょう。つまり、無意識のゆがみみたいのは性意識と身体意識(つまりそれが身体そのもの)のゆがみでしょう。で、ゆがんだもの

    お説教みたいな話4つ - finalventの日記
  • 内田樹の研究室: 性的禁忌について

    2024 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 2023 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2022 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2021 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5

  • 母親毒殺未遂高一少女事件の印象: 極東ブログ

    事件の呼称としては、母親毒殺未遂高一少女事件となるのだろうか、四十七歳の母親に劇物のタリウムを摂取させ殺害しようとした容疑で、十月三十一日、静岡県伊豆の国市の高校一年生女子生徒が逮捕された。彼女は服毒自殺を試み十月二十一日に入院し三十一日に退院しているので、逮捕はそれを待ってのことだと思われる。現在容疑は否認している。 昨日のニュースでは、彼女がブログに母親の容体の変化を記録していたことが十一月一日時点でわかったともあった。ブログということなら、サーバーで情報を封鎖しても少し調べるならキャッシュなどである程度わかるだろうし、この手の事件は早々にネットワーカーが調べ上げるだろう。案の定、すぐにわかった。が、私は奇妙な違和感をもった。 ブログというは楽天日記だった。楽天日記は中学生などお子様やアフィリエート奥様、つまりCSSなどチューンできない非技術系のブロガーが多く、そのせいか政治議論なども

    kata
    kata 2005/11/02
  • 『若者の人間力を高めない非国民運動が大嫌いだ宣言2.0』2005年10月30日 - finalventの日記

    「だめ連」なんだからだめでいろよという世間の思惑もものともせず、「だめ連」的圧力団体っぽいPAFFは今月10月26日、「若者の人間力を高めない非国民運動」なるものを発表した。直接的には10年来変わらない彼らの「だめもいいじゃんのはずなのにやたらと人間とやらを連呼する」っぽい宣言のなかには、「人生」や「友人」や「恋愛」や「生」という言葉があふれている。やれ、「人の生とは労働だけではない。友人と談笑したり、映画を見たり、読書をしたり、音楽を聴いたり、旅行をしたり、恋愛をしたり、生とはもっと豊かなもののはずである」うんぬん。 まるで人生を有意義に生きないことがこの世の極悪であるかのような脅迫にさらされた、なんとしても若者をこうしたドグマに落とし込もうとするイデオロギー中心主義ともいえる執念めいたこの文言に、私はうす気味の悪さを感じざるを得ない。ある種の無気力や働けないことは個人の問題でしょ、人間

    『若者の人間力を高めない非国民運動が大嫌いだ宣言2.0』2005年10月30日 - finalventの日記
  • hirax.net::inside out::2005年10月21日

    今週、「すごい人たちと俺たちのような普通の人の違いって何だと思う」と訊かれた。その違いって一体何なんだろう?と頭が考えている時に、口は勝手にこんなことを喋っていた。 「想像力」と「創造力」という二つの力を兼ね備えている、ということかもしれません。 何か「あたり前だけど、他の人は描けなかったこと」を頭の中に描いて(想像して)、そんなことを実際に作り出してしまう(創造してしまう)、そんな力をスゴい人たちは備えているのかもしれない。…それならば、その「想像力」と「創造力」を持っている人と持っていない人では何が違うのだろう?その二つの力を持つか否かは何によるものが大きいのだろう、と考え始めた瞬間に、口がこんな言葉を発し始めた。「創造力」は「努力」という「力」の違いなのかも、と思ったりします…。 私が見たことのあるスゴイ人たちはみんな努力していた。軽く読み飛ばしているに、書き込みがびっしりされてい

    kata
    kata 2005/10/24
  • 興味のない人間と世間話以外の話をする技術 - matakimika@hatenadiary.jp

    興味のない人間と世間話以外の話をする技術について考えていたのだが、仮にそれがあって習得可能だったとしてもやはりどうにも不毛でしかないのかなあと思った。そんな技術について考えるくらいだったら、積極的には興味のなかった人間に興味を持つ技術や、消極的には興味のない人間と世間話以外の話をせずにすませる技術などについて考えたほうがよい。 とはいえ、ではそもそもこの興味というのはなんなのだという話が残っている。興味があれば無意義であってもおもしろく感じられ、興味がなければ有意義でもつまらなく感じる。普段なんとなく自分でどうにでもなるような領分にあるもののように思えるが、そうではない。主体的にコントロールできるものではなく、むしろ主体をコントロールされているようなところがある。大雑把に捉えるとすれば脳内衆議院の票田みたいなところだろうかな。それは内圧にも外圧にも容易くなびく。それゆえに個人としてもどかし

    興味のない人間と世間話以外の話をする技術 - matakimika@hatenadiary.jp
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    kata 2005/10/17
    「興味の統制が確固としていないことこそ、健常な社会人の条件のような気もする」
  • [結] 結城浩の日記「購入より購読・プログラムよりサポート・完成より進化」という傾向に対するネーミング

    目次 2005年10月31日 - まだ名前のない実験ページ / 2005年10月30日 - 「再帰的な木を描くJavaのソースコード」を公開 / 「さまざまな方のための祈り」を更新 / 2005年10月29日 - 「ミルカさんとフィボナッチ数列」のLaTeXファイル公開 / 2005年10月28日 - わたっていく言葉 / ながれていく時間 / 仕事 / みなさんからのメッセージを読む / 『改訂第2版Java言語プログラミングレッスン』無料プレゼント抽選 / 2005年10月27日 - 夜 / / 朝 / 2005年10月26日 - 夜 / 自分の理解を確かめて学習するということ / 朝 / 2005年10月25日 - 日記ダイジェストを更新 / 必要条件と十分条件 / 仕事 / おはようございます / 2005年10月24日 - コクヨのSlimB5ノートを使った感想 / 2005

  • とりかえしのつかないこと、「どうしてこんなことになってしまったのか」

    「『告白』 町田康」「『狂気』という言葉、名前をつけること」に続いて、町田康「告白」を巡るエントリ第三弾です。 最初のエントリで触れた「伝わる・伝わらない」についてです。 結局いつもこんなことになってしまう。俺は別にこんな風になるのを一度も望んだことはないのだが。(・・・)周囲のものにわあわあ言われて気がついたら俺がもっとも危険な役割を背負わされるのだ。何でこういうことになるのかと言うと、それはまあ俺が慌てモノで思慮に欠けるからだが、しかしそれは俺が元々馬鹿だからではなく、対人的にいつも焦っているからだと思う。つまり自分の言葉は相手に通じていないのではないか。相手は当は別のことを言いたいのではないか、なんて考えていつも焦っているから、ついまともな判断ができなくなって、気がついたら俺が損な役割を負わされている。 (町田康『告白』p302) これを単に幼児的心理傾向としてとらえ「わたしもある

    kata
    kata 2005/10/05
    「わたしたちの人生は常に「イヤイヤ連載が続いているドラゴンボール」なのです。」
  • 「狂気」という言葉、名前をつけること

    kata
    kata 2005/10/04
    「必要なのは、名づけないことではなく、名づけてしまった罪を墓場の底まで持っていく覚悟」
  • 極東ブログ: 日本人と進化論

    昭和の時代のことだが、永六輔だったか天皇に和服を着せようと提言していた。日の天皇なのに和服姿というのはないという穿った話だった。宮中儀礼や婚礼の装束も和服のうちでもあろうが、いわゆる和服ではないだろう。天皇の着流しなどは想像もつかない。天皇家は諸事欧風である。日常の事には和も当然あるだろうが、かしこまった席では欧風と決まっているはず。明治時代が作り出した日というのはそういうハイカラなしろものなのだが、平成も十七年にもなるとなんとなく近代日というか日というイメージが随分変わってきたような気がする。 昭和天皇は生物学者でもあった。戦中も自室にダーウィンの肖像を掲げていたと聞く。その業績は同じく生物学者である今上陛下の業績とともに新江ノ島水族館(参照)に展示されている。科学者としての昭和天皇のありようは、北一輝をして「クラゲの研究者」と呼ばわしめたほどだ。 昭和天皇はダーウィニスト、

  • 続きのような話…隠れるということ - finalventの日記

    これの続きっぽい⇒http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20050801/1122859862 この手の話はうまく言えないのだが、すでに48歳にもなったせいかときおり思うのだけど、若いころはどうしても抑えられないような衝動というかなんかある。性欲とかも関連するのだろうけど。 で、それって、なんであれ、人とのつながりや人との軋轢を生み出す。当は愛やコミュニケーションが欲しいのだろうけど。 で、それってうまくいかないようにできているような気がする。 うまくいく人もあるのだろうとは思う。なんというか、つがいの鳥のようにきちんとメートを見つけて生きていくような。 ただ、衝動の強い人はただ、周りの人に挫折するだけなのではないか。 さらに言うと、大人というのは、若い人の知恵とか体力とか性的な魅力とか…を、ちゅーっと吸って生きているものなので、ようするに若い人なんて大人の餌で

    続きのような話…隠れるということ - finalventの日記
  • 若い子たち - finalventの日記

    よくわからん。 階層差があるないとか言われているが、あるように思う。 上流というか品のある家の子というのは目立たないものだ。 若者論などはたいてい外すのが相場。テーマにするだけ馬鹿の証明でもある。でも、はてななんぞの若い兄さんねえさんたちはそれでもある種のエリート層なんだろなとは思う。 沖縄で暮らしていたころ、ときたま、東京にステイして思ったのは、コンビニとかファーストフード店員の若者のぞんざいというか情味のないことだった。沖縄だと、全部がそうだとはいわないが、若い子たちには人間的ななにかが生き生きと溢れ出ることがあり、そのある感性みたいのを知ると、ある種のナイチャーははまるのだろうとは思う。 東京に戻って三年にならんとしている。三年後生きているものだなと思うし、歳もとったなと思う。思うことはみな無駄だとも思う以下略。 そして、コンビニの子とかファーストフード店の子を今どう思うかというと、

    若い子たち - finalventの日記
    kata
    kata 2005/09/27
    「世に隠れたもの、言葉にならないものは、まさに世に満ちている。というか、そうしたことを知る人間は隠れ
  • 『ヒストリエ』 岩明均

    kata
    kata 2005/09/27
    「男性は自らの作り出したファンタジーによって欲情するのであり、女そのものを欲望するのではありません」
  • 「明るくやる気のあるヒト」なアルバイト求人情報の求めるもの

    kata
    kata 2005/09/26
    大切なのはそこで局所的に起こった「貢献」ではなく、つながっていてグルグル回っている感じそのものです。
  • 圏外からのひとこと(2005-09-22) - あえてひと手間減らすプロのセンスと勇気

    * あえてひと手間減らすプロのセンスと勇気 「第一回 めざせ専業主夫 『決定版 ケンタロウ絶品!おかず』の巻」の中に、料理研究家ケンタロウのが、ユーザのプロセスに意識的であることを評価している所がある。 ケンタロウのは、そのへんの機微をとてもよく心得ていて、こちらの気持ちが萎えてしまう前に料理が完成するように、手順はスリム化されている。もちろんケンタロウはプロだから、ここでもう一手間かければ味が良くなる、ここでちょっと時間を置けば味が染みる、というポイントはきっとたくさんあるんだろう。しかしプロセスを増やすことによって、(読者のなかから)実際に作ってみるひとの数がぐぐっと減ってしまうということも、また分かっているのだ。エライ。 ここで重要なことは、まず、料理研究家と料理のユーザの目的意識のズレに敏感であること。 料理の手間とおいしさとのトレードオフにおいて、料理研究家は過剰においしさ

  • 「脳」整理法

    「脳」整理法 スポンサード リンク ・「脳」整理法 机の上を整理する小手先の整理法ではなく、思考の大局を整理しようとする脳科学者茂木 健一郎の。 「従来の整理法がともすればコンピュータにもできることをせこせこと手作業でやることに重点を置きがちだったのに対して、ここでは、人間にしかできないこと、人間という生命の躍動(エラン・ヴィタール)に結びついた、ダイナミックで能動的な情報の「整理」をこそ志向し、問題にしたいのです」 ■世界知と生活知と偶有性 人間の世界には世界知と生活知の二つの知恵があると著者は大別する。 世界知 世界はどのようなものであるか 世界の成り立ち、科学的な知 生活知 いかに生きるか 人生の意味、哲学的な知 世界知は三人称的な立場に立つ統計的心理であるが、人生は一回性の大切さの連続である。世界知でいえば宝くじに当たるのは100万人に1人であっても、生活知では、当たるか当たらな

    kata
    kata 2005/09/20
    「ディタッチメントとパフォーマティブ」