私の写真の師匠shioさんが書かれた写真に関する日記へのリンク集です。 shiologyを読みつつ写真に関連する日記への リンク、短い説明、shio語録を加えて、適当にカテゴライズしていきます。 shioさんが写真を始めたいきさつ http://shiology.com/shiology/2004/08/146040828_macpe.html 「マネ Changes Everything」 http://shiology.com/shiology/2006/01/603060128__chan_cd65.html 撮り始めたあと(下記のリンクの下の方、【ズームがない!?】のところ) 単焦点のススメ http://shiology.com/shiology/2005/11/557051117_gr_di_d5f8.html やっぱり明るい単焦点 : 「ボケてるのにピントが合って見える写真。
電網山賊:2ちゃんねる的空間における議論可能性について 面白かった! これについて、ごく小さな異論を加えつつその続きを考えてみたいと思いますが、この文章は実にわかりやすくてスリリングな議論なので、是非、全文を読んでいただきたいと思います。 ここで、id:pavlushaさんは、「匿名で発言者の追跡が困難」→「細切れレスの蓄積を参加者が平等に評価した上で議論が進展」→「発言内容とそれが示す外部ソースのみによる評価」という2ちゃんねるの特性に着目し、これを抽象化した「2的空間」における議論の特性を分析されています。 2ちゃんねるで真面目な議論が行われる時に必ず出現するレスのひとつが、「ソースは?」「ソースきぼん」というものです。私の見る限り、ある発言者のレスに含まれる情報を、他の外部の情報源(多くはその場で他の参加者も見られるネット上の記事)によって確認しようとする傾向はかなり強く存在します。
今となっては懐かしいのですが、昨年9月16日 私は次のように書いています。 選挙前、全政党への取材を果たせなかった彼女泉氏の反省を受けて、です。 「自分はできないけど、あいさんやってよ。期待してるよ」 そんな読者でありながら、私たちは彼女にどんな責任を求められるというのだろう? 反省や謝罪など、どうして求められるだろう? http://madammizushima.seesaa.net/article/6979851.html なぜ今私が、掌を返したように彼女に説明責任を問うているのか。 その理由はこの約1ヶ月後 泉氏が唐突に「報道機関設立構想」を語り始めたことにあります。 泉氏の言葉を引用します。 この1ヶ月間、私は、インターネット上で収入を得られる仕組みをずっと考えていますが、既存のものではどこにも見当たりません。 そして、ひとつの結論に達しました。 ないのなら、自分で作っちゃえばいい
オウム事件とその余波についてはこれまでも書いてきたし、あらためて書くこともないような気がしていたが、このところまた多少気になることがあり、その無意識のひっかかりにぼんやりと思いに沈んでいた。うまく書けることではないし、黙っているほうが賢いのだろうが、この問題のとてもタッチーな部分で書くことを促すものがある。いや、促されるものがあるというべきだろう。あるブロガーの力でもあるが。 ひっかかりは、こういう言い方も誤解を招くだろうが、とりあえず島田裕巳問題としよう。もう古い話になるのかと思うが、宗教学者島田裕巳が当時上九一色村のオウム施設を見てその陰謀を看破できず結果としてオウムは安全だとお墨付きを与えたかのようなできごとがあった。このため彼は社会的なバッシングを受けることになった。私はこのバッシングに与するものではない。また、率直に言って島田裕巳を宗教学者としてはそれほど評価はしていない。が、こ
これ⇒「フラット化」を自分に都合よく解釈する人々 佐々木俊尚さんの発言を引用して id:finalvent さんが意味不明と感想を述べた、という状況。 (中略) 佐々木さんや、あるいは(もう少し素朴な感覚として)花岡信昭さんが疑問を感じているのは、どんな言説も価値体系の外側から批判されてしまうような世界ではあっても、しばしば大勢がひとつの方向でワッと糾合する話題があるということを、どう考えたらいいのか、という問題だと思う。炎上の現場を見て私が感じる違和感は、参加者の大半が自分の正義を確信していること。たまたまその「場」において自分たちが多数派となったのではなくて、自分たちがその「場」で多数派となっているのは当然だ、と考えている様子なのです。 (中略) 世の中にどれほどたくさんの価値観があるにせよ、特定の問題について対処の選択肢は多くない。もっと書けば、価値観の多様性はパチワークのような仕組
前回のエントリーに関して、トラックバックをたくさんいただいた。しかしブログを書くのが非常に遅く、それらのトラックバックをもとに考えをまとめるのが、今ごろになってしまった。 >例えばR30氏の発言や態度を容認する人も、否定する人も >オープンジャーナリズムなる試みに期待する人も、懐疑的な人も >こぞって「泉あい的手法」にはNOを突きつけた >この現状を、表面だけとらえて「炎上」と斬って捨てるとは。 『真プライベート・ロード』というブログで、水島美也子さんは、上記のように「こぞって」という言葉を使っている。新明解国語辞典(三省堂)によれば、「こぞって」というのは、「関係する全員が、一人残らず同じ行動をとる様子」と定義されている。このブログで指摘している「全員」というのは、どの圏域を意味しているのだろうか。 またまったく別の立場から、『404 Blog Not Found』では『絶対的正義
VUCA時代における、 ビジネスパーソンの 基礎力を高める VUCAと呼ばれる変化の激しい現代においては、 これまで培ってきた知識・経験だけではなく、 常にアンラーニングとリスキリング*1が求められます。 グロービス・マネジメント・スクールでは、 ビジネスパーソンにとって、 これからの時代の土台となりうる基礎力を高めるための 実践的なプログラムを提供します。 *1 新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること。(引用:経済産業省審議資料) 私たちを取り巻く環境は、大きな転換点を迎えています。 テクノロジーの台頭、グローバル化の進展、環境問題の加速化…… 私たちは、望むと望まざるにかかわらず、これらの大きな変化の影響を受けながら、日々仕事に取り組んでいます。 次の10年は、ますます大きな変化が待ち受けていること
『るびま』は、Ruby に関する技術記事はもちろんのこと、Rubyist へのインタビューやエッセイ、その他をお届けするウェブ雑誌です。 Rubyist Magazine について 『Rubyist Magazine』、略して『るびま』は、日本 Ruby の会の有志による Rubyist の Rubyist による、Rubyist とそうでない人のためのウェブ雑誌です。 最新号 Rubyist Magazine 0058 号 バックナンバー Rubyist Magazine 0058 号 RubyKaigi 2018 直前特集号 Rubyist Magazine 0057 号 RubyKaigi 2017 直前特集号 Rubyist Magazine 0056 号 Rubyist Magazine 0055 号 Rubyist Magazine 0054 号 東京 Ruby 会議 11 直
⇒黒崎夜話: 透けた縞 黒崎さんはいわゆるジャーナリストだろう。つまり、これがプロの水準。 Bigbangさんの今回の尽力こそ、アルファーブロガーと呼ぶべきものだろうと思う。まあ、そういう形容は無意味なのかもしれない。ブロガーがもっともブロガーらしく存在している最もきつい場面であり、よく立っていられるものかと敬意を覚える。 構造的に見れば問題のエンド・ポイントのひとつは、泉さんのようなスタンスはすっこんでろ、であろうし、黒崎さんがここで「成程、一定の社会性を身につけることなく通り過ぎてきた人生もあるのだろうという気にもなった。」ということでもあろう。それは、それで、おさまりのいいエンド・ポイントでもある。 私はこの問題は傍観者だったった。単純に言えば、私も黒崎さんくらい黒い年寄りであるし。ただ、その先にはブログというもの(新しいもの)はない。 Bigbangさんは、踏み込んだ。 R30さん
(本サイトのコメントに書き始めたけど長くなりすぎたから、こっちに書く) 松永さんがこれを読むのは、当分先だろうから、ちょっとだらだら書きます。 本サイトに松永さんの自民党懇談会への出席に関してこういう書き込みがあった。 >いずれかの政党の支持者であるかどうかに関わらず,両方に出て比較したい,と思うのは私にとって,普通に理解できることです. それはあの日=Flashの発売という非常事態が松永さんにとってどれほどの事態であったかを、除外して言う言い方でしょう。やはり異常なんですよ。あの日に自民党に行くのは。 「これはまずいことになった。民主党に迷惑をかけると思ったので、あえて「配慮して」自民党にも出席することにして、急遽泉さんに推薦してもらった・・・ 前回と違って今回は目立つために升添にも質問をして、すぐエントリーをアップして、民主への打撃を少なくしようと思った。悪意はありませんでしたが恣意的
最初タイトルは「GripBlogの終焉」と書こうかと思いましたが、さすがに人様のものを勝手に終わらせてはいけないと自重しました。ともあれ、一次情報の収集にこだわるブログという点で画期的だったGripBlog(移転後)さんの今の状況、コメント欄を閉じ、サーバー移転をし、問題の元となった人々とのつながりをぷっつり切って、これからは依頼を貰った媒体で仕事(取材)をしていくという宣言。 そのような現状はまさに、一つの何かが終わったのだと私は思うのです。 今となって思い出すのは、ずっと以前、あちらのコメント欄で泉さんに向かって「それ(GripBlog)は人の善意を前提に成り立つシステムですよね」と言った事です(細部は曖昧です)。当時の泉さんの姿勢としては、未完成なもの未熟なもの迷いがあるものもとにかく出す。そしてみんなに意見を言ってもらいコメントをもらうことで補完して貰う、そういったシステムの志向で
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