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哲学カフェに関するkazu_levis501のブックマーク (13)

  • 娘の母親コンプレックスの類型:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 母性の肥大 娘の母親コンプレックスは、四つの形をとることが多いのでした。第一は母性が肥大するものです。娘は母親に支配されていたので、それを自分の子供に反復しようとするのです。彼女は母親になることを何よりも重視します。子供が彼女の存在理由となります。夫は自分が子供を生むために必要な手段であり、その他の点では世話すべきものとして、「子供、貧しい親戚、、鶏、家具と同列に見られる。彼女自身の人格も添え物である」[1]とユングは指摘しています。 子供が生まれると、こうした女性は子供を支配するようになります。やがては「子供の独自の人格や固有の生を破壊するに至る。こうした母親が自分の人格に無意識であればあるほど、彼女の無意識的な支配欲はますます巨大に、暴

    娘の母親コンプレックスの類型:日経ビジネスオンライン
  • 母親のアニマ:日経ビジネスオンライン

    アニマの両義性 前回ご紹介しましたように、男性にとって自分のうちに潜んでいる女性的な要素は、夢の中ではアニマとして現れます。このアニマはさまざまな姿をとるものです。ユングはこのアニマの重要な特徴が、聖なるものと魔的なものが両義的に備わっていることにあると指摘しています。 これはゲーテの『ファウスト』で語られているような「光の天使として、〈魂の導き手〉としても現れ、最高の意味へと導く」[1]ものです。しかし他方では、「豊かなものを持ちながら満たされていない、意味も法則もない生命」という反対の側面をもち、文明的な男性にとっては「恐怖の的であり、防御の対象である」[2]という側面も兼ね備えているのです。これはマリア像のような崇高なイメージをもつと同時に、破壊する魔女としても現れます。 その代表的なものが「母親」としてのアニマです。この母親はたんに自分の生みの母だけではありません。ユングは多様な母

    母親のアニマ:日経ビジネスオンライン
  • 影とアニマ:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 影と無意識的な嫌悪感 これまで夢の中での「影」の人物の役割を考えてきましたが、影はうっかりすると気付かない脇役でありながら、分析していくと重要な役割をはたしていることが多いものです。こうした影には、自分でも意識していない自己の欠点が投影されていることがあるのです。 河合隼雄は、夢ではない意識的に生活においても、自分の周囲で「何となく嫌いなひとや平素はうまくゆくのに、ある点だけでむやみと腹が立つようなとき、それは自分が無意識にもっている欠点ではないかと考えてみると、思い当たることが多いに違いない。われわれは自分の意識の体系をもっているが、それを簡単に作り変えるのは容易なことでないので、ともかく、それをおびやかすものは、悪として斥けがちになる」[

    影とアニマ:日経ビジネスオンライン
  • 夢における影の役割:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 影の夢の実例 さて、「影」はこのように、夢をみる人の隠された欲望を示すことが多いものですが、同時に、その夢を見る人が抱えている問題を、こうした「影」の人物に投射して表現することも多いものです。前回にご紹介した姉の着物選びを手伝う女性の夢では、夢を見た女性は自分の影がペルソナをきちんとするのに困っているのを助けています。このことは、この女性が影とは別の意味で、ペルソナの問題に直面していたことを示すものです。 別の実例を考えてみましょう。これはユングの分析の例で、四五歳の実業家がユングの分析を受け始めたときに見た夢です。ユングによるとこの人は「優れた知性と教養をそなえ、社会的にも成功しています。非常に礼儀正しく、愛想もいい人物です。結婚していて

    夢における影の役割:日経ビジネスオンライン
  • ペルソナと影の夢:日経ビジネスオンライン

    ペルソナを脱ぐ夢 このように、ペルソナはその人の社会的な役割を示すことで、他者とのつきあいかたを規制する役割をはたすものです。この仮面を外すことは、不安をもたらしますが、同時に新しい自分を発見するための重要な一歩となるものです。仮面は、わたしたちの顔にぴったりとはまっていて、他者とつきあう際にわたしたちを守ってくれるものですが、それがあまりに馴染むと、わたしたちは自分を失ってしまうことになります。自分の外面だけはしっかりとしていても、内面が空虚になってしまうのです。 ですからペルソナを外すことは、新しい自分をみいだし、他者との新しいつきあいかたを作りだす可能性を秘めています。それだけにそのリスクも大きいのです。夢分析の書物からもう一つペルソナの夢を読んでみましょう。中年のサラリーマンがみた夢です。 「疲れ果てて寝室に入る。服を脱いで寝ようと思うが、腕が抜けずイライラしてくる。片腕だけパジャ

    ペルソナと影の夢:日経ビジネスオンライン
  • フロイト派の夢解釈とユング派の夢分析:日経ビジネスオンライン

    フロイト的な夢解釈 さて、これまでフロイトのエディプス・コンプレックスに関連した夢を考察してきました。フロイトは自分の夢を分析することで、人類にとって普遍的な意味をもつあるコンプレックスを発見したわけです。これは小家族で構成される現代の資主義的な社会では、家庭ごとに再生産されているコンプレックスであるという意味で、普遍的なコンプレックスだと言うことができるでしょう。 フロイトの『夢判断』の書物には、夢の中でわたしたちの無意識がどのように働いて、わたしたちに夢をみせているかについて、「夢の仕事」の詳細に分析が行われています。とくに象徴論は、夢の中のさまざまな像がもつ性的な意味を説き明かそうとするものであり、フロイト派の夢解釈の方法として流布しました。箱や容器は女性の性的な器官を「象徴する」というような解釈です。 こうした解釈はもともとは、夢分析の際に夢の主体に連想を促すために手段として考え

    フロイト派の夢解釈とユング派の夢分析:日経ビジネスオンライン
  • フロイトのエディプス・コンプレックスの発見(3):日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン いなくなった母の記憶 この乳母と母親に関連して、さらに別の記憶が想起されたことを、フロイトは同じ手紙で書いています。フロイトには、二五年も前から記憶に残っていて、その意味が理解できない場面があったのです。それは「母がみつからず、ぼくは絶望して泣き叫んでいます。兄のフィリップ(ぼくより二〇歳年上)がぼくのために洋服ダンスを開けます。そしてその中にも母はいなかったのです。彼女がすらりとした美しい姿でドアから入ってくるまで、もっと激しく泣いています」[1]という記憶です。これは何を意味しているのでしょうか。 まず兄のフィリップとフロイトの関係を確認しておきましょう。フロイトの父親と母親は、かなり年齢が離れた夫婦です。父親ヤーコプは一八一五年生まれで

    フロイトのエディプス・コンプレックスの発見(3):日経ビジネスオンライン
  • フロイトのエディプス・コンプレックスの発見(2):日経ビジネスオンライン

    フロイトの第二の夢 前回考察しましたように、フロイトは自分の夢を分析することで、自分のうちにエディプス・コンプレックスと名付けられるコンプレックスが存在することを自覚したのでした。第一の夢は、父親にかけられていた倒錯者という汚名を雪ぐものでした。この夢に続いて、フロイトは第二の夢をみています。その夢がどのようなものだったのか、その具体的な内容は、親しい友人だったフリース宛ての書簡では語られていません。友人に語るのがはばかられる内容の夢だったのです。 しかしフロイトがそれについて語っていることから、その内容はほぼ想像することができます。フロイトはこの同じ書簡で、乳母について説明した後に、母親の裸体を目撃した経験について語っているからです。「後に(二歳と二歳半の間に)マトレム[母]にたいするぼくのリビドーが、それも母と一緒のライプチヒからウィーンへの旅をきっかけに目覚めたということ(この旅の途

    フロイトのエディプス・コンプレックスの発見(2):日経ビジネスオンライン
  • フロイトのエディプス・コンプレックスの発見(1):日経ビジネスオンライン

    類型夢の意味 さてこれまでフロイトが類型夢として分類している夢をいくつか調べてきました。類型夢というのは、人間であれば、誰もが見るという意味で、普遍的な意味をもつ夢だということです。こうした類型夢としてフロイトが挙げたのが、空を飛ぶ夢、試験に落ちる夢、人前で裸でいる夢、近親者が死ぬ夢です。たしかに多くの人がこうした夢を見るようですし、それを類型夢と考えることはできそうです。 しかしそれらの夢が、どのようにして「誰もが見る夢」になるのでしょうか。フロイトはこれらの夢が、社会のうちで生きる人間が必然的に置かれている状況のために見られる夢なので、「普遍的な」夢なのだと考えたようです。それはこれらの夢がエディプス・コンプレックスにかかわる夢だということです。 たしかに、近親者が死ぬ夢についてフロイトは、息子は父親が死ぬ夢を見るし、娘は母親が死ぬ夢を見ると指摘しています。というのも、親子だけで作られ

    フロイトのエディプス・コンプレックスの発見(1):日経ビジネスオンライン
  • 裸で困惑する夢――類型夢(4):日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 裸体夢 フロイトが挙げている別の類型夢として、他人の前で裸でいたり、下着姿など、他人に見られたくない格好でいる夢があります。これも誰もが見る夢だと思います。下を履いていない程度ならいいのですが、ひとさまに見せられない格好でいるのは、とても恥ずかしいものです。 フロイトはたんに裸でいるだけではなく、それを自分でどうすることもできない場合に限って、この夢が類型夢になると考えています。「裸体と抑制がこのように結びつく場合にのみ、この裸体夢は類型夢となる……。自分の裸体を(多くは場所を変えることによって)隠したい、しかしそれができない、というその羞恥の情から発する不快な気持ち、それが質的な点である」[1]のです。 裸体を示す願望 この夢は誰も

    裸で困惑する夢――類型夢(4):日経ビジネスオンライン
  • 夢の主体と「わたし」:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 夢と同一化 夢に登場する人物がこのように、複数の人物で構成されていて、夢の主体にとって受け入れやすいイメージの背後に、別の人物と別の思想が隠れていることが多いことは、前回も考察したとおりです。夢の人物像において、圧縮や移動の操作によって、夢見る主体が思いもかけなかったような人物や思想が同一化されて表現されていることもあるのです。 ところで一方では、夢に登場するすべての人物が、夢の主体の断片をうけついでいることもあります。わたしたちは夢をみていて、この人物が自分だと感じることがあります。あるいは夢の途中で、第三者の場所に「わたし」が登場することもあります。夢の人物の誰が「わたし」であるか、これは夢の分析にとっては重要なテーマとされています。 夢

    夢の主体と「わたし」:日経ビジネスオンライン
  • 遊びの第三の機能 子供の社会生活:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 「遊び」と「仕事」 このように遊ぶことは、子供たちにとっては、地域の子供たちの仲間に入れてもらえるかどうかを決定するような意味をもっていました。それは子供たちにとっては自分の生活がかかった死活問題でもありました。ただしこれはある意味では大人にとっても、あてはまることでしょう。仕事と結びついた「遊び」というものもあるでしょうし、どのような「遊び」ができるかが、その人の社会的な生活を規定し、表現し、可能にするということもあるでしょう。 ゴルフという「遊び」ができなければ、ろくに仕事にならない人もいるでしょうし、カラオケで歌わなければ、同僚たちから仲間はずれになる人もいるかもしれません。「遊び」が、ときには「仕事」そのものよりも重要な役割をはたした

    遊びの第三の機能 子供の社会生活:日経ビジネスオンライン
  • 個人の成長と社会の形成になくてはならない情念:日経ビジネスオンライン

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    個人の成長と社会の形成になくてはならない情念:日経ビジネスオンライン
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