タグ

立憲主義に関するkazu_levis501のブックマーク (4)

  • デモクラシーなき立憲主義 : 池田信夫 blog

    2017年04月01日12:09 カテゴリ法/政治 デモクラシーなき立憲主義 きのうのアゴラ政経塾は、伊藤隆さん(東大名誉教授)をお迎えして「ファシズム」の話をうかがったが、おもしろかったのは「戦争に積極的だったのはルーズベルトのほうだった」という話だ。何も決められなかった東條英機が日米開戦を決めたのは、あらゆる手段でルーズベルトに追い込まれたからだという。 1930年代の大恐慌に対して、ルーズベルトは大統領の権限を拡大して財政支出を拡大し、ドイツでもヒトラーが国債を発行して経済を回復させた。蝋山政道は、このように行政に大きな裁量権を与える「挙国一致」が世界の潮流だと考え、政党を超える立憲的独裁が必要だと内閣に提言した。これが国債発行による軍備拡大や、大政翼賛会による政党政治の終焉への道を開いた。 つまり第2次大戦をもたらしたのは日独のファシストと英米のデモクラシーの対立ではなく、議会を超

    デモクラシーなき立憲主義 : 池田信夫 blog
  • 貞永式目は「立憲主義」だったのか : 池田信夫 blog

    2016年04月23日17:43 カテゴリ法/政治 貞永式目は「立憲主義」だったのか このツイートが、多くの歴史学者からバッシングを浴びている。「鎌倉時代から始まる伝統」とは貞永式目のことだが、これを立憲主義と称して安倍内閣と結びつけるのは、歴史学者のいうようにトンデモである。丸山眞男も山七平も貞永式目を「世界的にも早い慣習法の先駆」として高く評価したが、それを「立憲主義」などとは呼ばなかった。 立憲主義の意味も知らないでデモで絶叫する向きも多いが、これは「個人の権利・自由を確保するために国家権力を制限する」憲法の考え方(芦部信喜『憲法』第3版 p.13)である。しかし貞永式目には「個人」という概念がない。ここで紛争処理の当事者になるのは「家」である。もちろん「権利」も「自由」も出てこない。主な内容は、土地の相続や分配などのルールだ。 13世紀にできた貞永式目はマグナカルタとほぼ同時で、

    貞永式目は「立憲主義」だったのか : 池田信夫 blog
  • 日本に「立憲主義」はあるのか : 池田信夫 blog

    2015年10月19日12:55 カテゴリに「立憲主義」はあるのか 安保法制をめぐる騒ぎで、反対派は「立憲主義を守れ」という言葉をよく使った。「憲法を守れ」というと、共産党のように自衛隊も安保条約も違憲だという問題にふれざるをえないからだろう。 しかし日に立憲主義はあるのだろうか。書は山七平が平成元年、つまり昭和天皇の崩御直後に出しただが、明治国家を支えてきたのが立憲主義といった西洋的ルールではなかったことを明らかにしている。 昭和天皇は立憲君主であることを強く意識していたが、立憲主義とは君主を憲法が拘束する制度である。しかし最高の大権をもつ天皇を拘束する「立憲権力」とは何なのか。それは明治憲法発布のときの「国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて之を子孫に伝ふる所なり」という明治天皇の言葉だった。 つまり天皇を拘束するのは、万世一系の天皇家の時間的な連続性なのだ。同じ意味で、

    日本に「立憲主義」はあるのか : 池田信夫 blog
  • 「立憲主義」確保の為の憲法裁判所の設置を! : アゴラ - ライブドアブログ

    ここのところ、ずっと、東南アジアの各国を渡り歩いていました。特に、カンボジアとベトナムをメインに歩き回っておりました。カンボジアは、子供たちが可愛いのでいいですね。子供に癒されながらの生活は最高です。来月もインドネシアとマレーシア、再来月は再びベトナムとカンボジアの予定です。12月はミャンマーで年越し。 さて。 各国を渡っている間に、安保法の成立に関する話題をオンラインで観ておりました。私は、もう日社会にはそもそも興味ないので、勝手にやってくれと思ってはいたのですが、そうとは言っても、ワタシを育てた社会であったこともまた事実であり、少なくとも、東京大学などで勉学に励む事が出来たのは日社会のお蔭だったのですから、その分の還元位はしようと思っておりました。 SEALDsと言う、学生団体の話も、ちらほらと聞いておりましたが。まさか、ジョン・ロックの「抵抗権」「革命権」をも否定する論調、

    「立憲主義」確保の為の憲法裁判所の設置を! : アゴラ - ライブドアブログ
  • 1