サッカーW杯の1次リーグの期間、天国と地獄を行ったり来たりという日本人は多かったのではないか。筆者もその1人。テレビ観戦組にすぎないが、コートジボワールに敗れた6月15日の日曜日の午後、気持ちがふさぎ、部屋にこもった。25日のコロンビア戦も早朝からテレビの前に座り、結果、その日1日を失意のうちにすごした。 水を差す輩 筆者はそれほど熱心なサッカーファンではない。しかし見始めるとやめられないし、ことに日の丸を背負ったゲームであれば熱が入る。多くの日本人はそうだろうし、筆者はそれを自然なことだと思う。選手も応援する側も、日本国民であることを感覚的に自覚し一体感を共有しているということだろう。 ところが、こうした「国民としての一体感」といった話になるとすぐに水を差す輩が、戦後日本では大手をふってきた。そのことはここで改めて思い出しておきたい。たとえばだ。
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