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2008年12月2日のブックマーク (9件)

  • http://6404.teacup.com/kouno/bbs/5314

  • asahi.com(朝日新聞社):夜空に「笑顔」が現れた 金星、木星、三日月が接近 - サイエンス

    夜空に「笑顔」が現れた 金星、木星、三日月が接近2008年12月2日3時3分印刷ソーシャルブックマーク 三日月と金星(左)、木星(右)が接近し、夜空に“笑顔”が現れた=1日午後6時52分、福岡市西区、金子淳撮影 夜空から、イルミネーションきらめく街を眺める「ほほ笑み」――。ひときわ輝いている二つの明かりは、木星(右上)と金星。1日夕には三日月も近づき、まるで微笑を浮かべた顔のようにも見えた。 南西の空では夕暮れ以降、明るい金星と木星が接近して見えている。国立天文台(東京都三鷹市)にも「明るい星は何か」と問い合わせが増えている。これから二つの惑星は少しずつ離れていくが、もうしばらくは「競演」が楽しめるという。 アサヒ・コムトップへニューストップへ

  • 屋嘉比収「近代沖縄におけるマイノリティー認識の変遷」

    近代沖縄におけるマイノリティー認識の変遷/屋嘉比収 『別冊環�E−琉球文化圏とは何か』(藤原書店03)所収 やかび・おさむ 1957年沖縄生。琉球大学非常勤講師。日近代思想史。論文に「越境する沖縄」(『近代日文化史9』岩波書店)「歴史を眼差す位置」(『沖縄の記憶/日歴史』未来社)ほか。 はじめに 近代日は、以下のように、東アジアの地域を侵略し、編入や併合さらに植民地支配によって領土を拡張していった。1869(明治2)年、アイヌ民族が居住する蝦夷地を北海道と改称して編入し、75(明治8)年の樺太・千島交換条約によりアイヌ問題を日の国内問題として包摂した。また1871(明治4)年、琉球の宮古島民が台湾に漂流し原住民に殺害された事件を契機に、明治政府は琉球藩を設置し内国化して台湾出兵を行い、79(明治12)年に沖縄県を布告し併合する琉球処分を断行した。そして1894―95(

  • 人類館事件 - Wikipedia

    人類館事件(じんるいかんじけん、「学術人類館事件」、「大阪博覧会事件」とも)は、1903年に大阪・天王寺で開かれた第5回内国勧業博覧会の「学術人類館」において、アイヌ・台湾高山族(生蕃)・沖縄県(琉球人)・朝鮮(大韓帝国)・清国・インド・ジャワ・バルガリー(ベンガル)・トルコ・アフリカなど合計32名の人々が、民族衣装姿で一定の区域内に住みながら日常生活を見せる展示を行ったところ、沖縄県と清国が自分たちの展示に抗議し、問題となった事件である。 博覧会 - 帝国主義の視線 -[編集] 19世紀半ばから20世紀初頭における博覧会は「帝国主義の巨大なディスプレイ装置」であったといわれる。博覧会は元々その開催国の国力を誇示するという性格を有していたが、帝国主義列強の植民地支配が拡大すると、その支配領域の広大さを内外に示すために様々な物品が集められ展示されるようになる。生きた植民地住民の展示もその延長

  • hituziのブログじゃがー

    親知らずを抜歯するために入院する(5泊6日)。全身麻酔の手術になる。歯ぐきを切開するし、縫合もするらしい。となりの歯も抜歯しないといけないらしい。いやだ。 手術の準備として麻酔科の説明をうけたりしたのだけど、体や病歴などについて ききとりをされるなかで、アトピー体質であること、介護職であることをつたえた。すると皮膚科でラテックスアレルギーの検査をしましょうということになった。血液検査は すでにしてあったのだけど、つい先日皮膚科でプリックテストと装着テストをうけた。プリックテストは腕の皮膚 4箇所に針をさして反応をみるテスト。ヒスタミン、10分の1のラテックス、1倍のラテックス、なにもなしの4種類を比較する。あおむけになっていたので みていないけど、ヒスタミンやラテックスを一滴たらして、そこに針をさしたのだろう。30分くらい しずかに あおむけになっていた。途中と最後に写真をとっていた。皮膚

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  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • [オモニハッキョ] - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    木曜日は、わたしが担当をしているクラスのオモニが、おふたりとも おやすみをされていたので、わたしのクラスは、学級閉鎖になってしまいました。くすん。  その日も、わたしは、オモニたちに「おそい!」といわれないように、七時半きっちりに1階におりていったのですが、1階の教室にはいってみると、おふたりのおすがたがありませんでした。わたしは、きょうは、あめがふっているし、すこし遅れてはるんかな、そうおもいながら、オモニがこられていなかったせいか、つくえもでていなかった、わたしたちのクラスのスペースに、つくえをならべて、オモニたちがこられるのを まつことにしました。 そうして、オモニたちがこられるのを まつあいだ、K田くんといっしょに、つくえのまえにすわって、おはなしをしていた、三重(みえ)のK(貞)オモニのヨコにこしをかけ、わたしもいっしょに おはなしをさせていただくことにしました。 Kオモニは、連

    kokogiko
    kokogiko 2008/12/02
    日本人だけど、私も京都のオモニハッキョで青年側やってた。こんな感じだった。懐かしい。ちなみに、家内も日本人で、私と出会う前だけど、高槻でオモニハッキョ行ってた。偶然。
  • 「侵略戦争は正しい」 - 思いて学ばざれば

    【電氣アジール日録】「侵略戦争は正しい」 論旨にはおおむね賛成なんだけど、2〜3、首をかしげざるをえない点があるなぁ。まず賛同できる点からいくと、 しかし「侵略戦争は悪い」という発想自体が、そもそも戦後の平和主義・民主主義の価値観に洗脳されきった人間の考え方だと言うこともできないかね? そこで、右や左の旦那様から袋叩きにされるのを覚悟で、今回とっておきの暴論を吐くぞ。 「侵略戦争は正しい」、少なくとも「20世紀前半のある時期まで侵略戦争は正しかった」と胸を張って言えないのが、現在の日の自称保守愛国者のダメなところだ。 小林よしのりさんその他なんかは現代の価値観で先人を断罪するなと言ってるので、その理屈を採用すれば、これは全然暴論にならないはずなんだよね。ところが、小林さんの支持者のなかには、なんとしてもあの戦争を侵略じゃなかったことにしようとして、結果的に、小林さんの主張を全否定してしま

    「侵略戦争は正しい」 - 思いて学ばざれば
  • 将軍が10月上旬に死亡 - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    冗談はともかく、どうやら解禁だそうなので。いまだ重篤な状態が続いている、とは考えないほうがいいでしょう… 一割ぐらいは大穴の可能性もあるかもしれないけど。医師、帰っちゃったしね。現状の情報からすれば、死んでいると考えたほうがいいでしょうね。 体制転換についての国内コンセンサスがないまま死んでしまったのと、体制引き締めとしての神格化がツールとして機能しすぎていたために、今後の金正日体制(金家)をどう統御するのかの青写真がまだないのではないだろうか。 そう考えると、この状況に対応するために、ここのところの日米中のナニが進まないことも辻褄は合う。 さて、件に関する勝ち負けというのは非常に興味深い切り口でありまして、この死をもって大幅な外交的なポイントを稼げるかどうかですね。体制転換を促すために、しばらく飼っていた田中均氏とX氏なる二重スパイとされる人のような駒が使えるといいのですが。 ここで、

    将軍が10月上旬に死亡 - やまもといちろうBLOG(ブログ)
    kokogiko
    kokogiko 2008/12/02
    とりあえずソフトランディング&拉致解決してくれ。