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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/F1977 (51)

  • わたしたちが、知っていること。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    少し前まで、民族教育がなぜ必要なのか分かりませんでした。  わたしも、保育園と小学校の民族学級で民族教育というものを、ごくわずかですが受けたことがあります。保育園の時は、それが、わたしが「在日」であるということで、与えられている「朝鮮」「韓国」という「民族」固有の文化や伝統などとは、分かるわけがありません。保育園の先生から教わる「朝鮮語」や「朝鮮の歌」「朝鮮の遊び」なども、同じく保育園で教わる、例えばカタカナ英語などの他の言葉、日の童謡、遊びなどと同じものとして、いわゆる民族教育というものを受けていたのだと思います。 それが、日人とは異なった、わたしたち「民族」、「在日」固有の文化や伝統であるということを体系的に、また「民族」の自覚性を促すように教えてくれたのが、小学校の民族学級でした。民族学級の先生は「わたしたちの」という言葉を用いて、「わたしたちの」言葉、「わたしたち」の歴史、「わ

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    kokogiko 2009/08/26
  • 「欠落」をあらわす言葉 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    オモニたちの前では、なるべく朝鮮語を持ち出さないようにしなければならないと思いながらも、わたしは時々、自分が覚えたカタコトの朝鮮語をオモニたちの前で話してしまうことがあります。  特に、わたしが木曜日に担当をしている一階のオモニたちは、解放後しばらくして、もしくは60年代くらいに済州島から日に渡って来られたオモニが三人いらっしゃり、そのオモニたちは日語もお上手ですが、でも済州島で生まれ育ったことから韓国語の方が、よくご存知でいらっしゃると思います。だから、私は授業中、自分が覚えている韓国語の単語を確認してみたいという思いから、ついうっかり、「『わるい』は、漢字で『悪い』と書きますね。韓国語では『ナプダ』ですねー」などと、オモニたちの前で韓国語の言葉を持ち出してしまいます。そんな時、オモニたちは、くすくす笑いながら「そうそう、韓国では『나쁘다』と、とても流暢な発音で韓国語を話してください

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    kokogiko 2009/08/01
  • 「等しさ」について - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    わたしは、少しだけ、日人の気持ちがわかると思ったことがありました。それは、わたしが「加害者」であったかも知れない、ということを知ったときでした。  わたしは、ずっと自分を「被害者」だと思っていました。朝鮮半島は日に侵略され、植民地にされ、言葉を奪われ、名前を奪われました。そして、日戦争に負け、朝鮮半島が、日の植民地から解放された後も、日に残り続けた「在日」は、様々な権利を与えられないまま、差別され抑圧されながら生きてきました。わたしは、「在日」は、過去においても、現在においても、圧倒的な「被害者」であり、日社会や日人は、わたしたちに対して、絶対的な「加害者」でありながらも、でも、その「加害」性を認めることなく開き直り続け、また、日人は、自分たちの「加害」性を知ることなく、わたしたちのそばで平気で生き続けている。わたしは、この許しがたい不公平さのようなものを、かなり幼い頃か

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    kokogiko 2009/06/16
  • ベリー ビター バッド クッキー - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    おとといの土曜日、わたしは、超親イスラエル的な行為をおかしてしまいました。  少し前の、パレスチナの会の人たちとの集まりでのこと。メンバーのMさんが、ものすごく驚いたような、大真面目なお顔をされながら、わたしたちに話してくださいました。 Mさんは、ある夜、たまたま家にあったクッキーをべたそうです。べてみると、そのクッキーが、とてもとてもおいしかったらしく、いったい、どこのメーカーのクッキーだろうと、パッケージの表示を見てみたそうです。すると、そのパッケージの生産国には「イスラエル」と書かれていて、思わず、持っていたクッキーを手からポトリ落としてしまったそうです。というのは、わたしの脚色なのですが、でも、その話を聞いたわたしたちは、みんなビックリして「ええ!イスラエル産のクッキーが日にあるんですか!」「いったい、どこで見つけて来はったんですか!」「ってか、なんで、そんなん、買ってるんで

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    kokogiko 2009/06/11
  • 100年、まだ昔ではなく。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

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    kokogiko 2009/06/11
  • オモニタリョン - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

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    kokogiko 2009/06/11
  • 寝た子を、たたきおこします! - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    先週の金曜日で、入管法の改悪に反対する、火・金の夕暮れ行動は、ひとまず終了いたしました。  ゴールデンウィーク明けから、わたしも参加をできるときには、参加をしていたのですが、火曜と金曜日といえば、ズバリ、舞踊とチャンゴの日です。入管への反対行動と、わたしの「民族教育」、どちらも、わたしにとっては反ニッテー運動みたいなものなんですが、それがまったく同じ日に重なるなんて、なんちゅう因果なこっちゃやと、火曜日と金曜日の夕方はいつも苦笑しておりました。でも、夕暮れ行動は5時半から6時半までで、火曜日の舞踊は、8時からだったので、火曜日のビラまきの方には、問題なく参加をすることができていました。問題は金曜日の方で、金曜日のチャンゴは、初級クラスなので6時半からなのです。夕暮れ行動の場所にもよるのですが、金曜日のビラまきに参加をすると、チャンゴの授業に行けなくなってしまいます。だから、金曜日の夕方は、

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    kokogiko 2009/06/05
  • 「不公正」さについて - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    わたしは、小さいときから、漠然とですが、なにか「不公正」なものを感じていたように思います。  小さいときから、わたしは特に意識をして「在日」として生きてきたわけでは、ありませんでした。むしろ、意識的には「在日」であることを、わずらわしいもの、できれば「在日」としてなど、生まれてこなければよかったと、そのように認識をしていたように思います。「在日」であれ「日人」であれ、日社会のなかでふつうに生きていると、何かの「差異」が「差別」につながるということを、誰もがふつうに看取して、できることなら「差異」をなくそうと努めていくように思います。わたしも、小学校に入る段階から、圧倒的に日人に囲まれて生きるようになって、特に学校という閉鎖的空間において、「差異」が「差別」につながるということ、とりわけ「在日」という属性は、なにかの「差異」が「差別」に変化する以前に、「在日」というだけで、それは「差別

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    kokogiko 2009/06/05
  • まなびつづける、ことば。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    「在日」として生きているわたしをすくってくれて、わたしに「在日」として生きていく勇気をあたえてくれた、ふたつの言葉があります。  ひとつは、オモニがおっしゃられた「日語おぼえても、朝鮮人」という言葉です。 わたしは、オモニハッキョでオモニたちと一緒に、日語の読み書きを学ぶのが、当に、ずっと、つらかったのです。朝鮮語がわからないわたしが、オモニたちに日語を「教える」。オモニたちから言葉をうばった国の言葉を、同じうばわれた歴史をもつ、同じ朝鮮人のわたしが「教える」。いくら、オモニたちの生活のためと、自分を納得させようとしても、いつも、こころは納得してくれませんでした。頭では理解していても、どうしても、こころが日語に向き合ってくれないのです。だから、わたしは、オモニから、「日語おぼえても、朝鮮人」という言葉を教えていただくまでは、オモニたちと一緒に日語の読み書きを学びながらも、どこ

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    kokogiko 2009/05/31
  • 「民主主義」のことば - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    数年前、今現在の北朝鮮のことを知りたいと思って、ネットでさがしたところ、ひとつだけ、いいなと思ったサイトがありました。  それは「朝鮮民主主義研究センター」さんというサイトでした。「北朝鮮」という国家の名称である「朝鮮民主主義人民共和国」のうちの「朝鮮民主主義」と「民主主義」の部分まで、ちゃんといれてあって、いわゆる、日のメディアなどで支配的な「独裁者国家」とか「収容所国家」という言葉づかいをしていなかったので、信頼できるサイトかも知れないな、と思ったからでした。でも、しばらく読ませていただいていたのですが、やはり、わたしが知りたいと思っていた「北朝鮮」のことについては、あまり書かれていなかったので、いつのまにか、読むのをやめてしまって、アクセスすることもなくなりました。 だから、まさか、その「朝鮮民主主義研究センター」さんが、わたしのブログを読んでくださり、そして、わたしの文章に対して

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    kokogiko 2009/05/31
  • 「王母鄭氏 チョンおばさんのクニ」 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    九条のシネ・ヌーヴォXにて「王母鄭氏 チョンおばさんのクニ」を見てきた。  鄭おばさん(鄭順伊さん)は、17歳の時に「仕事があると」騙されて故郷である朝鮮半島の忠清道江景邑を離れ、その後強制的に「慰安婦」とされる。解放後、中国人の王氏と結婚をし、以来ずっと湖南省双峰県にて家族と共に暮らしてきた。鄭おばさんは、それ以来一度も帰ったことがない鄭おばさんのコヒャン(故郷)へ死ぬまでに一度帰ってみたいという思いがあった。その思いが班忠義監督監督を含む支援者に伝わり、1997年の春、ようやく鄭おばさんの願いが叶い、鄭おばさんは韓国へ帰郷を果たす。けれども、鄭おばさんの知っていたコヒャンの面影はそこにはなく、朝鮮語を忘れてしまった鄭おばさんをとりまく周囲の韓国人たちともうまく意思疎通ができない。初めは祖国に戻れて喜んでいた鄭おばさんも次第に家族のいる中国に帰ることを希望する。しかし、韓国側は一度戻った

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    kokogiko 2009/05/31
    『鄭おばさんの言葉を聞いてくれたのは、村の人々だった。決して「国家主義者」や「民族主義者」が聞き取れない言葉だ。それを聞いてくれた人々がいる場所が「クニ(故郷)」なのだ、と私は思った。』
  • 共通することば。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    人間関係というのは、ふしぎなものだなあ、と最近、あらためて思うようになりました。   たとえば、こうやって、ブログを書くなかで、実際には一度も会って、話したこともない人が、わたしが書いていることや、感じていることを、よくわかったり、知ってくれたりすることがあることです。とてもつたない言葉で、論理も脈絡もむちゃくちゃなことを、書いているにも関わらず、共感してくれたり、伝わったりすることを、いつも不思議に、そうして、ありがたくうれしく思います。ぎゃくに、もう何年も、実際に会って話したり、くわしくは語らなくても、わたしが感じていることや、考えていることを、聞いてもらっていたにも関わらず、実は、何もわかったり、知ってもらえてはいなかったりすること、それを、とても残念にかなしく思います。 でも、それは、わたしの責任でもあります。わたしも、自分が当に思っていることや、感じていることを、ちゃんと知って

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    kokogiko 2009/05/31
  • ふてぶてしい「正しさ」 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    「ヂンダレ」の会の帰り、わたしは、一緒に会に参加をしていたMさんと、そのまま谷九までひと駅歩き、空はまだ明るかったのですが、手頃な居酒屋が開いていたので、当然のことながら、一杯やるべく、そののれんをくぐりました。  当だったら、わたしはその日、北九州にいるハズで、「ヂンダレ」の会には、99.9%参加できないことになっていました。それが、今もまだおさまっていない、あの極めて日的な現象と言っても過言ではない、インフルエンザ狂騒のせいで、0.01%以下の可能性であった「ヂンダレ」の会に参加をすることになったのでした。いかにも日的な現象によって、わたしは、「在日」の歴史に関わる会に参加をすることになったという、なんというか、これが因果というものなのでしょうか。けれども、その因果に導かれてくぐったのれんのもと、わたしは、これから「在日」として、どのようにして生きていったらいいのかと、生ジョッキ

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    kokogiko 2009/05/31
  • なにごとも なかったかのように - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    結果からみれば、わたしは「つみびと」ということに、なるのでしょう。  トーロク(外国人登録証)の常時携帯義務を「違反」していますので、もし指摘されたら民事罰が課されることになります。「見せろ」と言われて「イヤだ」といったら、提示義務に「違反」して、刑事罰になるのでしょうか。よくわかりませんが、とりあえず、わたしは、トーロクを常時携帯させる法律そのものが、よっぽど「罪深い」ことだと思っていますので、わたしは「トーロク」を不携帯にしています。以前は、失くすことを懸念して不携帯にしていると思っていましたが、やはり、それよりも、トーロクを常時携帯しなければいけないということそのことが、わたしが「正しい」と思っていること、わたしのなかの「倫理」に反することだと、そのように思うようになりました。それが、結果として「罪」となり「罰」が下されるかもしれないとしても、わたしは、今のところ、トーロクは持たずに

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    kokogiko 2009/05/31
    本筋とは逸脱するが『…にほんのことを わるくいうたりしたら あきません』と、日本側の『反日在日出て行け』を比較して、後者の徳の低さに絶望する/人徳は教育、ましてや『道徳教育』とやらに因るものじゃないな
  • ことばをひろう - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    というわけで、きのうは、大阪文学学校に行って、金時鐘さんたちのお話をきいてきました。  大阪文学学校には、十年以上前に一度行ったことがありました。クロード・ランズマン監督の「ショアー」を九時間ぶっとおしで見るという企画があって(BSで放送されたものをビデオに収録したものを、普通の家庭サイズの大きさくらいのテレビで見るというものでした)、その時はじめて、文学学校を訪れたのでした。そうして、あの日、文学学校の教室に入ると、広めの部屋にゴザのようなものが敷いてあって、参加者はそのゴザの上に座ったり、疲れてきたらゴロンと寝そべったりしながら、あの「ショアー」を見るという風になっていました。緊張しながら、文学学校を訪れたわたしは、教室に入った瞬間、なに、このまったりとした空間は・・・、とちょっとヒョウシ抜けしたのですが、でも、いま思えばうまいセッティングだったなあと思います。九時間イスに座って見続け

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    kokogiko 2009/05/31
    『ゴザソウロウやったと思います(←って、近鉄しってる人しか知らんから)。』すごく…姫路です…。
  • ぽっぽっぽー、ちゅは、ぽっぽー。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

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    kokogiko 2009/05/31
    『ドン キ ドン キ ドン トトト クナボジのおとうとは~、セッタボジ~ オルシグ! クノモニの義いもうとは~、セットモニ~ チョルシグ!』wwwww
  • おへんじ、など。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    先日、書いた「『帰化』について」の文章に、いくつかのコメントとトラックバックをいただきました。ありがとうございます。  まずは、トラックバックをいただきました、タケダ君の「リムジン江」――내 인생을 바꾼 노래  id:mujigeさん、いつもありがとうございます。「朝鮮人になりたい」にも、こころをゆさぶられましたが、この文章にも、なにかこう、ひとりひとりが生きているということの歴史というか、それぞれの生の深遠のようなものを感じました。「帰化」するか/しないか、ということは、単に、日国籍をとるか/とらないか、という問題に還元できるものではないと思っています。歴史というものを、たったひとつの要因に還元できないのと同様に、「在日」が日国籍をとるということは、単に居住国の国籍をとる、というニュートラルな態度をふるまうこととはちがう、とわたしは思っています。でも、「帰化」する理由を考えることは

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    kokogiko 2009/05/23
    id:API 文脈を読んだ方がいい『「あなたが」アメリカやヨーロッパで…』APIが国籍差別に膝を屈するのならそもそも糾弾する必要がない/私はPragmaticに小さな前進を重ねたいので、F1977氏に同意はするが同じ主張はしない
  • 「また別の故郷」 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    オモニたちは、生野をとっても愛していらっしゃるようです。  先週の月曜日の授業のときのこと。また、いつものように、お勉強をしながら、オモニたちといろいろお話をしていました。オモニたちは、せんせい、もっといっぱい、お勉強しましょう!とおっしゃられるわりには、いったん、話に火がつくと、もう完全に井戸端オモニになってしまわれて、あんなんあって、こんなんあって、とみんなめいめいにお話を始められます。オモニたち四人全員こられているときなどは、いつのまにか、二人ずつペアになって話し込んでしまわれて、ホワイトボードの前にたっている、オモニでないわたしなどは、まったくカヤの外。あそこのネエさんが、あんなんゆっててな、とか、あそこのお店は、あれがおいしいねん、などと、学校というよりは、情報交換のためのバザールのようになってしまいます。わたしは、遠くのほうから、お、オモニたちー、そろそろ学校にもどってきてくれ

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    kokogiko 2009/05/21
  • わかちえない「朝鮮」 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    わたしたちは、「<朝鮮>をやめる。」ことが、はたしてできるのでしょうか。  「朝鮮」という国家と「朝鮮人」とを、わけて考えることが、できるのでしょうか。「朝鮮人」ではなく、「朝鮮」だけを批判し、「朝鮮」という国家を否定することができるのでしょうか。  高校のとき、朝鮮学校を卒業して、わたしと同じ日の高校に入学をしてきたIさんという人がいました。Iさんは、名の日語読みの名前で通っていたので、名前を聞いてすぐに「在日」の人なのだと思いました。ただ、Iさんが名を名乗っていたからといって、「在日」であるだろうということはわかっても、朝鮮学校出身の人だということがわかるわけではありません。でも、わたしはIさんが朝鮮学校を出た人だということを、Iさんとお話をする前から知っていました。それは、Iさんが高校の入学式に、チマ・チョゴリの制服を着て式に出ていたからでした(私服だったので、入学式の服装は

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    kokogiko 2009/05/18
  • 「『在日』と『日本人』」 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    わが家には「キョーイクチョクゴ」がありました。  それは、わたしが小学校に入る頃くらいからだったでしょうか、ことあるごとに母親から、くどくどと言われていました。それは「にほんじんよりも、えらくなりなさい」という言葉でした。その意味するところは、「おまえは、にほんじんではないのだから、にほんじんとおなじくらいのできでは、さべつされて、まともなしごとにつくことはできません。だから、にほんじんよりもうんとえらくなって、そして、さべつされないような、じぶんのぎじゅつでたべていけるような、そんなりっぱなしごとにつけるようになりなさい」というものでした。わたしは、小さいときから、母親からそんな教育をほどこされていたので、こども心にも、そっか、にほんじんよりもうんとえらくならないと、いい仕事につくことが、できないんやあ、お父さんとかお母さんみたいな、そんな小さい工場で働くような仕事しかできへんねやあ、と

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    kokogiko 2009/05/15