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Historyに関するkosiganのブックマーク (4)

  • A級戦犯7人、太平洋に散骨 米軍将校「私がまいた」 | 共同通信

    第2次大戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けた東条英機元首相らA級戦犯7人の遺骨について、米軍将校が「太平洋の上空から私がまいた」と記した公文書が、6日までに見つかった。米軍による具体的なA級戦犯の遺骨処理の方法が公文書で判明するのは初。遺骨は遺族に返還されず、太平洋や東京湾にまかれたとの臆測はあったが、行方は昭和史の謎だった。 文書は、占領期に横浜市に司令部を置いた米第8軍が作成。日大生産工学部の高澤弘明専任講師(法学)が米国立公文書館で入手した。詳細が記載されていたのは、7人が処刑された1948年12月23日付など2種類の極秘文書。 1948年12月23日、東条英機元首相ら絞首刑となったA級戦犯7人の遺体の入ったひつぎを乗せ、横浜市の火葬場に向けて巣鴨プリズンを出発する米軍のトラック

    A級戦犯7人、太平洋に散骨 米軍将校「私がまいた」 | 共同通信
    kosigan
    kosigan 2021/06/07
    本人が希望したならともかく、もし米軍がかってにまいたしたとしたら……なんか「戦犯だから埋葬させないぞ(墓をつくって崇拝されては困る)」って感じがする。
  • 【アニメ化50周年】『ルパン三世』がなぜフィアット500に乗っているのか知っていますか? 1stシリーズの作画監督、故大塚康生さんの思い出 | ENGINE (エンジン) |クルマ、時計、ファッション、男のライフスタイルメディア

    ルパン三世のアニメ化50周年の今年、3月15日にアニメーターの大塚康生さんが亡くなった。ルパンをチンクエチェントに乗せたのは大塚さんだった。 『ルパン三世』の1stシリーズで作画監督をつとめた日を代表するアニメーターの大塚康生さんを偲んで ルパン三世のアニメ化50周年を記念したTVアニメ「ルパン三世PART6」が10月から放送されているが、『ルパン三世』の1stシリーズや『ルパン三世 カリオストロの城』で作画監督をつとめた日を代表するアニメーターの大塚康生さんが今年3月15日、89歳で亡くなった。無類のクルマ好きとして知られる大塚さんは、自身の代表作のひとつである『ルパン三世』になぜフィアット500を登場させたのか? かつて大塚さんを取材したモーター・ジャーナリストの藤原よしお氏が、ご人の貴重な言葉を振り返る。 海沿いのワインディングロードを白いトライアンフTR4が疾走する。ボンネッ

    【アニメ化50周年】『ルパン三世』がなぜフィアット500に乗っているのか知っていますか? 1stシリーズの作画監督、故大塚康生さんの思い出 | ENGINE (エンジン) |クルマ、時計、ファッション、男のライフスタイルメディア
    kosigan
    kosigan 2021/04/03
    完全なペーパードライバーだけど、ルパン3世をリアルタイムで見ていた私にとって一度は運転してみたかった車なのは、全部大塚さんの影響。
  • asahi.com(朝日新聞社):いでよ太陽の船 ピラミッド脇で発掘・復元作業始まる - 国際

    取り出された石のふたを見る吉村名誉教授(右)=貫洞写すエジプト人作業員らがつり上げた「太陽の船」を覆う石のふた=貫洞写す  カイロ郊外ギザにあるクフ王のピラミッド近くに埋められている約4500年前の「第2太陽の船」を発掘・復元するために、巨大な石のふたを取り外す作業が23日、現地で始まった。作業を指揮する吉村作治・早大名誉教授は「これから4年ほどかけて全体を発掘・復元したい」と話している。  「太陽の船」は、古代エジプトのファラオ(王)が乗り、永遠に航行を続けるため、ピラミッド脇に埋められている。二つあるうち「第1の船」はエジプト政府の手で発掘・復元され、ピラミッド脇にある博物館に展示されている。「第2の船」は吉村名誉教授らが1987年に地中レーダーを使って存在を確認。2008年から復元に向けた格的な作業が始まった。  幅5メートル、長さ30メートル、深さ3.5メートルほどの穴に分解され

    kosigan
    kosigan 2011/06/26
    ギザの考古学博物館が完成したら、また行こう。
  • 津波危険地帯の住宅建設禁ず 戦前にあった宮城県条例

    宮城県には戦前、津波による浸水が予想される沿岸部の住宅建築を原則禁止するという罰則付きの独自条例があった、と4月5日付の河北新報が伝えている。 1933年(昭和8)の昭和三陸津波の後ほどなく公布、施行された。津波被災の恐れがある地域では、知事の認可なく住宅を建築することを禁止、工場や倉庫を建てる場合は「非住家 ココニスンデハ キケンデス」の表示を義務付け、違反者は拘留か科料に処せられるとある。1950年の建築基準法施行で、役割を終えたようだ。 現在、県内で災害危険区域を条例で指定しているのは仙台市、南三陸町、丸森町だけ。建築基準法が認める違反者への罰則規定は、これら3市町いずれの条例にもない。過去の教訓は引き継がれなかった。 気仙沼市に住む畠山和純・宮城県議会議長は「当時は海岸近くに住宅は建てず、みな高台に家を構えたのだろうが、代替わりするうち形骸化したのかもしれない」と分析。「立派な堤防

    津波危険地帯の住宅建設禁ず 戦前にあった宮城県条例
    kosigan
    kosigan 2011/04/05
    喉元過ぎて熱さを忘れた代償は大き過ぎた。今度はけして忘れないように。そして可能性があると思うのだが、今は全ての場所に伝えなければ。
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