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歴史に関するktakakiのブックマーク (18)

  • トランプ氏と「あのカード」関係ある? 日本で起きた150年前の勘違い

    つづりも同じ「trump」 切り札の意味、そのまま名前に 忘れちゃいけないスローガン ドナルド・トランプ氏が1月20日、アメリカ合衆国の大統領に就任します。大統領選への立候補の表明以来、日でも日増しに「トランプ」という字を目にする機会が増えました。その度に、皆さんは思い起こしませんか? あの大貧民とかポーカーとかをするカードのことを。アメリカ人も同じように思っているのでしょうか? トランプを巡って日で起きた150年前の勘違いについて調べました。(朝日新聞校閲センター・武長佑輔/ことばマガジン) つづりも同じ「trump」 このトランプトランプ氏、英語のつづりも同じ「trump」なので、引っかけたジョークがはやってもよさそうなものです。でも、アメリカのメディアで、二つを掛け合わせた風刺などは、あまり見られないようです。 インターネット上では、オバマ大統領やブッシュ前大統領といった政治

    トランプ氏と「あのカード」関係ある? 日本で起きた150年前の勘違い
    ktakaki
    ktakaki 2019/01/16
    マクドナルドのハッピーセットでドナルドのグッズが週替わりで出た時、中にトランプもあり、「これが本当のドナルド・トランプ」と思っていた。
  • イーディス・キャヴェル - Wikipedia

    イーディス・ルイーザ・キャヴェル(Edith Louisa Cavell、1865年12月4日 - 1915年10月12日)は、イギリスの看護師。エディス・キャベルなどと表記されることもある。 概要[編集] イングランド、ノーリッチ近郊のスワーデストン(英語版)で4人兄妹の長女として生まれた。ノーリッチの女学校を卒業後、クリーブドンの学校へと進学。卒業後は、ベルギーのブリュッセルで家庭教師(ガヴァネス)として働いた。その後、父親が病気になり帰国して、父の介護に従事する。これがきっかけとなって、看護職の道を選択することになる。 父親の回復後、1896年、30歳で王立ロンドン病院の看護師だったエヴァ・ラッケスの元で看護師としての勉強を始め、イギリスの様々な病院で看護師として働く。その後自立し、個人看護師として、訪問看護師の仕事などを行った。1907年、それまでの実績が評価され、ブリュッセルに設

    イーディス・キャヴェル - Wikipedia
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    ktakaki 2018/12/04
    2018年12月4日Googleの表紙。真の偉人ってこういう人のことを言うんだろうな。
  • 高橋源一郎氏の「教育勅語」現代語訳

    高橋源一郎 @takagengen この前、「方丈記」を現代語に訳したのだが、実は、古典の現代語訳は、個人的に、しょっちゅうやっている。人知れずだが。というのも、普通に古典を読んだり、あるいは、いわゆる「現代語訳」を読んでいてもピンと来ないことが多いからだ。なんか、そういう意味じゃないんじゃないかなあ。そう思える。 2017-03-15 14:38:52 高橋源一郎 @takagengen たとえば、「朕惟フ」と言うと、ふつう「私は思う」と訳す。もちろん間違っていない。でも、なんか違う。「朕」を使えるのは、天皇ただひとり。同時代で、「朕惟フ」を読んだ人は、「私は思う」とは受けとらなかったんじゃないかな。正確だけれど「正しくない」訳、そんな気がする。 2017-03-15 14:40:47 高橋源一郎 @takagengen というようなことを、昨晩、ここ何年か連載している「論語」全訳の途中

    高橋源一郎氏の「教育勅語」現代語訳
    ktakaki
    ktakaki 2017/03/16
    やっぱ社会問題ひとつとっても高橋源一郎は切り込み方が独特だな、と改めて目から鱗。だてに「同時多発エロ」とか「恋する原発」とかキャッチーなタイトルの小説をしたためてはいない。
  • 東京新聞:「震災画報」初の復刊 宮武外骨が被災庶民描く:東京(TOKYO Web)

    明治・大正期にかけて痛烈な風刺で反権力を貫いた、ジャーナリスト宮武外骨(みやたけがいこつ)(一八六七~一九五五年)による関東大震災の記録雑誌「震災画報」が文庫となり、筑摩書房(台東区蔵前)から出版された。震災直後から翌年まで六号が発行された画報の記事は、外骨の全集に収められているが、単独で復刊されるのは初めてという。 (川島美穂) 烈火をイメージさせる表紙や、手持ちの活字をかき集めて急ごしらえしたために大きさや形がバラバラの文字が並ぶ文章など、当時の雑誌の雰囲気を忠実に再現した。 「たずね人」の張り紙で覆われた上野の西郷隆盛像、皇居のお堀を風呂代わりに使う人、他人の土地に建てたバラックを売るつわもの‥。未曽有の非常時にもたくましく生きる庶民の姿がイラストとともに描かれている。

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    ktakaki 2013/08/20
    宮武外骨というとユーモラスに表現規制と戦った功績が印象深い。市民目線のジャーナリズムだからこそ出来た、史料価値の高い資料。ちくま学芸文庫は好きだが、こういう本を出してくれて改めて評価。
  • Amazon.co.jp: 戦争に強くなる本: 入門・太平洋戦争 どの本を読み、どんな知識を身につけるべきか: 林信吾: 本

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    ktakaki 2013/08/15
    政治的なスタンスにかかわらずオススメできる本。「きちんと知識を勉強すれば、戦争というのはやってはいけないことだと分かるだろう」という著者の結論は、膨大な資料とともに説得力がある。
  • 史上最もヒマな日は1954年4月11日

    ある科学者がソフトウェアを開発し、史上最もヒマな日を割り出しましたよ。1954年4月11日だそうです。 「その前にヒマな日って何よ?」 えーと、まず平穏無事で事件らしい事件がない日のことですね。他の日には著名人が生まれたり、みんな嫌ってる有名人が死んだり、重大事件が起こったりしてるんですが、こと1954年4月11日の日曜日に関してはそれがひとつも無いのですよ。 この驚異の日付けを割り出したWilliam Tunstall-Pedoeさんは、日付け別に「その日に何が起こったか」調べることができる高度な検索エンジン「True Knowledge」を使って、これを調べました。 「日付け別に歴史上の重要度を客観的に計測できるんじゃないか、とひらめいたんです。 他の日より出来事が多い日もあれば、遙かに少ない日もあるし、こうした出来事の重要性も客観的に推計可能なのですからね」 「そこで面白半分にこのプ

    史上最もヒマな日は1954年4月11日
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    ktakaki 2010/11/29
    この日の新聞の一面の見出しはどんな些細なニュースだったのか気になるところ。
  • アメリカ合衆国における禁酒法 - Wikipedia

    この項目では、アメリカ合衆国の禁酒法について説明しています。歴史上の各禁酒法規制については「禁酒令」をご覧ください。 禁酒法時代、違法な酒造所の強制捜査後にニューヨーク市警関係者立会いの下、捜査員によって下水道に廃棄される密造酒。 アメリカ合衆国史における禁酒法(きんしゅほう、英語: Prohibition)は、1920年から1933年までアメリカ合衆国憲法修正第18条下において施行され、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止された法律である。 禁酒運動による相当な圧力の下で、アメリカ合衆国上院は1917年12月18日に憲法修正第18条を可決した。1919年1月16日に3/4の州(当時は36州)による批准が完了して憲法の修正条項が成立し、翌年1月16日に施行された。なお、いくつかの州議会では憲法修正第18条の批准の前に、州としての禁酒法を既に立法化していた。 ボルステッド法

    アメリカ合衆国における禁酒法 - Wikipedia
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    ktakaki 2010/11/09
    「酒は身体に悪いからやめろ」という意見があるがそれを法律で禁止した例が歴史を紐解くとある。「高貴な実験」と揶揄されているとか。大衆的なものを禁止すると結局マフィアなど闇の資金源になると言う結果に。
  • 奇人変人が多い大作曲家の人物像

    ここでは珍しくクラシック音楽の話をしよう   クラシック音楽というものは歴史の波に揉まれているだけあって当然のことながら名曲、名作が多い。しかし「こんな素晴らしい曲を書く人なのだからすごく立派な人でしょう?」などといった世間知らずのお嬢さんのようなことを云うなかれ。実はいわゆる大作曲家の多くは奇人変人の類いにあてはまることが多い。 しかし大作曲家といわれる人たちは多かれ少なかれ伝記作家や音楽評論家たちによって美化されている。特にモーツアルトやシューベルトといった人たちは若くしてしかも貧乏のうちに死んだということもあって過剰なまでに美化されている。しかし実像は今あるイメージとはかなりかけ離れているのを御存じだろうか。 20年近く前に映画「アマデウス」というのがあったが、その映画に描かれている破天荒なモーツアルトの姿に憤慨したモーツアルトファンが少なくなかったようだ。だが実際のモーツ

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    ktakaki 2010/11/01
    ワーグナーの奇人っぷりはワーグナー好きの友人からさんざん聞いていたが、それ以外にもかなりいるみたいだな。まあ芸術性を求める人はえてしてエキセントリックになるものだよ。
  • ヘロドトスの歴史に書いてあったナントカ族の風習:アルファルファモザイク - 2ちゃんねるスレッドまとめブログ

    11月中にURLが変更になると思う多分。。。。。。 http://alfalfa.livedoor.biz/ → http://alfalfalfa.com/

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    ktakaki 2009/11/29
    性が経済と結びつくのは今の日本に顕著な特徴だと思っていたが、まさかヘロドトスの時代からこんな形で経済と性のリンクが機能していたとは驚く限り。個人的にはなんだかため息出るけど。
  • ルートヴィヒ2世 ~夢を追い続けた孤高のメルヘン王

    18歳でバイエルン国王として即位し、美しい青年王として国民に熱狂的に迎えられたルートヴィヒ2世―。 ワーグナーの音楽に心酔してその庇護者となり、ノイシュヴァンシュタイン城、リンダーホーフ城など夢のような豪華なお城を次々に建築するなど、「メルヘン王」として歴史上では華やかな存在であるルートヴィヒ2世ですが、即位から22年後、40歳でシュターンベルク湖で非業の死を遂げました。今も世界中の人々の高い関心を集め続けている孤高の王・ルートヴィヒ2世の数々の苦悩に満ちた波乱の人生を追ってみたいと思います。 ルートヴィッヒ2世は、1845年にドイツ南部のバイエルンを治めるヴィッテルスバッハ王家の皇太子マクシミリアンの嫡男として輝かしく誕生しました。ヴィッテルスバッハ家といえば、代々バイエルンの選挙候を務め、神聖ローマ帝国皇帝も輩出した名門の一族でした。 王家としてバイエルンを統治することになった ヴィッ

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    ktakaki 2009/03/07
    メルヘンを追い求め続けた、歴史上初の引きこもりとも称される人物。現在途中までだが、とても詳細に説明されており役に立つ。読み進めていくと様々な気持ちが湧き上がってくる。
  • 万乎 - アンサイクロペディア

    万乎(まんこ 生年不詳 - 1724年(享保9年)8月15日)は江戸時代の俳人。名大坂屋次郎大夫。伊賀上野の豪商。1691年(元禄4年)3月23日、自邸に松尾芭蕉を招いた際に彼の弟子(伊賀蕉門)となった。 俳人として多大なる実績を残したはずの彼であるが、「松尾芭蕉の弟子に万乎がいた!」という事実は、多くの歴史教科書において伏せられている。有名な「奥の細道」においても、松尾芭蕉に同行した弟子は河合曾良だけしか記されておらず、万乎の存在は無視されている。この不可解な事実に対して、「松尾芭蕉は忍者だった」「実際に忍術を実行したのが万乎であった」という説が、現在有力となっている。 また、松尾芭蕉と万乎が同一人物ではないかという説も語られている。つまり「松尾芭蕉の正体は万乎だった」というのである。ちなみにこの説は、「松尾芭蕉女性説」と一緒に語られる事が多いが、その理由は不明である。 関連項目[編集

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    ktakaki 2009/03/06
    Wikipediaでは『松尾芭蕉の弟子』ということしか書いていないこの方も、アンサイクロペディアだとこのとおり。関連項目に、「マンコカパック」「漫湖」など同じ名前の人物や地名が紹介されているのが最強。
  • 万乎 - Wikipedia

    万乎(まんこ、生年不詳 - 1724年10月1日(享保9年8月15日))は江戸時代前期から中期の俳人。伊賀上野の豪商。屋号は大坂屋。通称は次郎大夫。剃髪して証厭坊(房)といった。 伊賀上野において、俸禄米で金を融通する「お倉屋」を営む裕福な商人であった[1][2]。松尾芭蕉の旧主家筋に当たる藤堂新七郎家に対し、金銀の貸し付けを行っていたと見られる証書が残されている[2][3]。 1691年(元禄4年)3月23日、自邸に芭蕉を招いた際に彼の弟子(伊賀蕉門)となった。 『芭蕉翁全伝』は、この日、芭蕉が詠んだ「万乎が別墅一折」の前書がある《としどしや桜をこやす花の塵》の句を伝える[4]。 万乎の発句の初出は『猿蓑』である[5]。『猿蓑』に入集された万乎の句《田のへりの豆つたひゆく蛍かな》については、向井去来の『去来抄』に見える次の逸話がよく知られている。この句はもともと、芭蕉の添削が入った野沢凡

    万乎 - Wikipedia
    ktakaki
    ktakaki 2009/03/06
    松尾芭蕉の弟子らしい。名は「まんこ」と読むそうだ。/なぜわざわざ項目が出来ているのか。なぜわざわざ僕はブクマするのか。深い理由は聞かないで欲しい。
  • 天草の歴史

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    ktakaki 2009/02/24
    今日ちょっとしたことから天草に観光した人の話を聞いてブクマ。数々の受難を受けた歴史、改めて自分で調べてみて合掌。
  • 大飢饉と大殺戮の恐怖 - クメール・ルージュの大虐殺

    雲一つない炎天下に広がる朽ち果てた白骨の群れ。殺伐とした荒野には、直径3メートルほどの穴が幾つも並び、その中に数十体の白骨化した遺体が、無造作に投げ込まれている。緑色の汚水にまみれて累々と積み重ねられた腐乱死体からは、ものすごい臭気が漂っている。そこら中、死者の白骨とカサカサになった衣類の切れ端が散らばり、頭上には、人間の毛髪でつくられたと見られる鳥の巣が潅木の茂みに見える・・・この世のものとは思えぬ壮絶な地獄の風景に全身総毛立つ思いをした方も多いのではなかろうか? しかし、これは、映画の中だけの話ではない。豊かで恵まれた農業国と言われ、インドシナの平和のオアシスとうたわれた国で、現実に起こった出来事なのである。ポル・ポト時代のカンボジアでは、まさに、戦慄すべき地獄がこの世に現出したのである。わずか、4年間でこれほど多くの人間が殺され、破壊と憎悪が吹き荒れた国はないだろう。生き残った人々で

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    ktakaki 2008/12/23
    ポル・ポトの話。政治的スタンスの左右が問題ではなくイデオロギーが一方向に偏り暴走しすぎたゆえの悲劇といえる。この悲劇を繰り返さないために……バランス感覚を常に持つべきという教訓を感じた。
  • 夜と霧~ナチ強制収容所での心理学者の記録~ - 大飢饉と大殺戮の恐怖

    ポーランドの首都ワルシャワから南西に250キロほど行ったところに小さな町がある。ポーランド以外では名も知られていない辺鄙で荒廃したその場所に、当時、最大のユダヤ人絶滅収容所があった。その名をアウシュビッツ強制収容所・・・戦時中、そこで悪魔でさえなし得ない残虐行為の数々が行われた。 アウシュビッツは、平らな盆地の底に位置し、その周囲を大小の濁った沼に囲まれていた。そのため、湿気が多く悪臭に充ちて疫病が流行る最悪の条件が揃っていた。それは、あたかも何千年も生に身放されたような不吉な場所と言ってよかった。実際、死神が招き寄せたかのごとく、この地に、殺人工場とも言える最大の絶滅収容所が建設されたのであった。そして、ここで300万を下らぬユダヤ人が虫けら同然に虐殺されたのである。かくして、アウシュビッツの名は、おぞましい血塗られた地名として、人々の頭に永久に刻み込まれることになるのである。 この地獄

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    ktakaki 2008/12/03
    今の我々にも語りかけてくるものがある。どんな極限状況でも希望を失わずに生きていくことの大切さ。僕が死にたいときに読むと、生きる強さを得られた。自殺防止には生きる希望が大切なのだと痛感。
  • 『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル - 読書ノート

    読書ノート 『夜と霧』 フランクル 『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル/みすず書房)を少しずつ読んでみることにします。その中からヒントをいただいて私が考えたことを書くことにします。 1 心理学者、強制収容所を体験する 2 第一段階、ショック 3 空想でも希望 4 心の元気が必要 5 人間は慣れる存在 6 第二段階、感情の消失 7 何もなくても幸せになれる方法 8 心を動かすもの 9 ユーモア 10 苦痛をまぬがれる幸せ 11 苦悩も生きることの一部 12 内面的な勝利 13 自分の未来を信じる 14 逆転の発想 15 行動で答えを出す 16 解放-現実感の無さ 17 どうして耐え忍ぶことができたのか 18 高い代償で得られるもの 『夜と霧』のテーマの一つは、「希望」ではないかと思います。 1 心理学者、強制収容所を体験する 『夜と霧』は、原題「心理学者、強制収容所を体験する」の通りに

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    ktakaki 2008/12/03
    アウシュビッツの強制収容者の心理をまとめた本の概要+α。非常に参考になる。希望という言葉が繰り返し出てきて「どんなときでも希望を持つことの大切さ」を痛感させてくれる。
  • ヌルハチ - Wikipedia

    ヌルハチ(努爾哈赤、満洲語:ᠨᡠᡵᡤᠠᠴᡳ, nurgaci[3][4]、ᠨᡠᡵᡥᠠᠴᡳ、nurhaci[5])は、後金の創始者。清の初代皇帝とされる。 名称[編集] 君主としての称号は満洲語でゲンギェン・ハン (ᡤᡝᠩᡤᡳᠶᡝᠨ ᡥᠠᠨ, genggiyen han)、モンゴル語でクンドゥレン・ハーン、廟号は太祖、諡号は高皇帝 (ᡩᡝᡵᡤᡳ ᡥᡡᠸᠠᠩᡩᡳ, dergi hūwangdi)である。 なお、明の文献では童奴児哈赤・佟奴児哈赤と呼び、朝鮮の文献では老乙可赤・奴児哈赤と呼び、そして清の文献では弩爾哈斉・弩爾哈奇と記載されている。 生涯[編集] 生い立ち[編集] 女真族の愛新覚羅氏出身でヘトゥアラ (ᡥᡝᡨᡠ᠋ ᠠᠯᠠ, hetu ala)に生まれた。ヌルハチが生まれた頃の女真は、建州女真五部・海西女真四部・野人女真四部に分かれて、互いに激しく抗争していた。これを利用して明は、朝

    ヌルハチ - Wikipedia
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    ktakaki 2008/11/24
    語感が面白い名前というだけでブクマ。漢字で書くと「努爾哈斉」(他の表記もあり)すごいな。そういえば、この名前の店がVOWで取り上げられていた。
  • 宮武外骨 - Wikipedia

    新聞・雑誌: 『頓智協会雑誌』 『滑稽新聞』 『スコブル』 『公私月報』など多数 書籍: 『奇態流行史』 『賭博史』 『面白半分』 『アメリカ様』など多数 宮武 外骨(みやたけ がいこつ、1867年2月22日〈慶応3年1月18日〉 - 1955年〈昭和30年〉7月28日)は、日のジャーナリスト(新聞記者、編集者)、著作家、新聞史研究家、明治期の世相風俗研究家。 明治・大正期にはジャーナリストとして、政治家や官僚、行政機関、マスメディアを含めた権力の腐敗を言論により追及した。日における言論の自由の確立を志向し、それを言論によって訴えた。また、活字によるアスキーアートを先駆的に取り入れた文章など、様々な趣向を凝らしたパロディや言葉遊びを執筆した。関東大震災以降は風俗史研究に活動の重点を移し、東京帝国大学(東京大学)に明治新聞雑誌文庫を創設した。 生涯[編集] パロディから反官僚へ[編集]

    宮武外骨 - Wikipedia
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    ktakaki 2008/04/26
    ジャーナリズムという硬派な世界で、人を笑わせることに余念がなかった人。一世紀も早く「縦読み」手法を発明していたのは痛快。反逆精神というより『いたずら心』の先行する精神、僕も大切にしていきたい。
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