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リビアと*newsに関するkurumigiのブックマーク (4)

  • ワニの「カダフィ」、リビア情勢で改名か

    イスラエルが占領する中東ゴラン高原(Golan Heights)にあるワニ園で飼育される、ワニの「ムアマル・カダフィ(Moamer Kadhafi、2011年8月23日撮影)。(c)AFP/CROCODILE FARM 【8月24日 AFP】リビアの反体制派が首都トリポリ(Tripoli)に攻撃を仕掛ける中、イスラエルが占領する中東ゴラン高原(Golan Heights)にあるワニ園では、飼育員たちがリビア情勢を見守っている――このワニ園にはリビアの最高指導者と同じ「ムアマル・カダフィ(Moamer Kadhafi)」という名のワニがいるからだ。 このハマト・ガデル(Hamat Gader)ワニ園では、2004年11月にパレスチナ解放機構(PLO)のヤセル・アラファト(Yasser Arafat)元議長が死去した数週間後に、アラファト議長の名をつけられていたワニが息絶えた。 今のリビアの状

    ワニの「カダフィ」、リビア情勢で改名か
    kurumigi
    kurumigi 2011/08/24
    ……正直どこから突っ込んでいいか分からない。
  • 中東諸国に走る社会的亀裂――リビア、バーレーンの大規模デモで何が起きるか | Foresight

    エジプトの政権崩壊によって雪崩を打って波及する中東の激動は、まずペルシア湾岸のアラブ産油国の中で最も脆弱な君主制国家であるバーレーンに及んだ。首都マナーマ中心部の「真珠広場」を、エジプト革命の中心部となったタハリール広場になぞらえて集結したデモに対して、バーレーン政府は2月16日深夜から17日にかけて、治安部隊の実弾射撃で弾圧した。さらに治安を安定させるという名目で軍の戦車部隊まで首都中心部に展開し、鉄の弾圧を実行した。しかしこれはバーレーンの金融センターとしての信用を決定的に傷つける手法だった。 インターネットによって弾圧が動画で中継・録画され広まっていく現代においては、公開の場での弾圧は政権にとっては自傷行為に等しい。国際的非難を受けたバーレーン政府は治安部隊を撤退させ、真珠広場は反政府抗議行動の場として定着した。2月22日のデモには10万人が集まった。バーレーンの国籍保持者は約50

  • どうなる「カダフィ後」のリビア、国民国家と部族の間で揺れる未来

    リビア東部トブルク(Tobruk)で、カダフィ体制以前の旧リビア王国の国旗を掲げる反体制デモ参加者(2011年2月25日撮影)。(c)AFP/MARCO LONGARI 【2月28日 AFP】反体制派が勢いを強めるリビアで、最高指導者ムアマル・カダフィ(Moamer Kadhafi)大佐による独裁体制が終焉(しゅうえん)を迎えれば、国は体制移行期に入る。若者たちやオイルマネーで潤った富裕層は自由と民主主義を求めているが、リビアは統治機構がぜい弱で国家としての結束も弱いため、体制の移行には多くの困難が待ちかまえている。 リビアはエジプトやチュニジアとは異なる、と指摘するのは、作家で政治コンサルタントのハリル・マタル(Khalil Matar)氏だ。1998年に英スコットランド(Scotland)ロッカビー(Lockerbie)上空で起きたパンアメリカン(Pan Am)航空103便爆破事件の犯

    どうなる「カダフィ後」のリビア、国民国家と部族の間で揺れる未来
    kurumigi
    kurumigi 2011/03/01
    独立当初は「リビア連合王国」だった訳だし、キレナイカ・トリポリタニア・フェザーンに分離してもそれほど驚かないな…。
  • 「中東の狂犬」 カダフィ大佐 写真特集:時事ドットコム

    1/16 スクロールで次の写真へ リビアの最高指導者カダフィ氏の若き日の姿。リビアは1951年にイタリアから王国として独立。69年9月、カダフィ大尉(当時)率いる青年将校団が無血クーデターで権力を奪い、当時27歳のカダフィ氏が革命指導協議会の議長(大佐)となった。写真は権力奪取直後に首都のトリポリで撮影。カダフィ大佐はその後40年以上、独裁体制を敷いた。 カダフィ大佐は故レーガン米大統領から「中東の狂犬」と呼ばれ、88年の米パンナム機爆破事件など国際テロの黒幕とみられていた。米政府は79~06年、リビアをテロ支援国に指定。国連安保理は制裁を科していた(1969年09月27日) 【AFP=時事】

    「中東の狂犬」 カダフィ大佐 写真特集:時事ドットコム
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