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平安に関するkurumigiのブックマーク (2)

  • 平安京の条坊図をGoogle Mapに重ねて遊んでみなはれ。(スマホ対応・GPS機能付き) - 歴史雑談録

    平安京の概要 ご存知のとおり、794年に造営・遷都された京の都。平安京。 桓武天皇によって遷都決定され、葛野の地に、東西4.5km、南北5.2kmの長方形に区画造営された都城でございます。 その平面区画は、中国の洛陽・長安の条坊制にならっており、碁盤の目のように道路が張り巡らされました。 中央に、最も大きな大路である「朱雀大路」が南北を貫いており、この朱雀大路の東側が「左京」、西側が「右京」と呼ばれました。その朱雀大路の北端、平安京の最北部には、天皇の在所となる内裏、それを含む政治官庁がある大内裏があります。 また、先の都である長岡京は洪水の難が多かったため、平安京では仏法による王城保護の思想を取り入れ、「東寺」「西寺」を設置しています。五重塔で有名な東寺は、弘法大師・空海に下賜され、真言密教の根道場となりました。 ちなみに、この地が「山城国」となったのは、平安京遷都に際し、桓武天皇が「

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  • 武蔵国司館跡か、府中で大型の建物4棟発見 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    古代に武蔵国の国府があった東京都府中市の市街地で、8世紀頃のものとみられる大型の掘っ立て柱建物跡が4棟見つかった。 構造や配置などから、公的な機能を持った国司の館ではないかと専門家は見ている。 発掘は民間調査会社「共和開発」が行った。発見された建物跡のうち、主屋とみられる1棟は東西11・4メートル、南北7・4メートル。南北にひさしがあり、柱穴の直径は約1メートルあった。建物跡の配置は陸奥国の国司の館跡とされる館前(たてまえ)遺跡(宮城県多賀城市)と似ている。現場は、JR府中町駅前で、江戸時代には徳川家康が鷹(たか)狩りに用いた府中御殿があったとの伝承が残っている。 佐藤信・東京大教授(日古代史)の話「大きさや規則正しい配置から、国司の館の可能性が高い。これだけ整然とした建物跡は、陸奥国府でしかみつかっていない。国司の館の機能を研究する上で貴重な発見だ」

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