J-WAVEで放送中の『GOLD RUSH』のワンコーナー「東京感動線 WONDER CIRCLE STORIES」。6月5日(金)のオンエアでは、ワールドワイドに活躍するギタリスト・MIYAVIが登場。山手線沿線で思い入れのある場所と、そのストーリーを語った。 ■ライブハウス「高田馬場AREA」での思い出 MIYAVIは「元気ですか? 新型コロナで大変ですけど頑張っていきましょう」と挨拶。そして「昔は山手線にガッツリ乗っていました」と、特に思い入れのある高田馬場駅について話した。 MIYAVI:僕は17歳で上京してきて、そこからDué le quartzというビジュアル系バンドに加入したんです。そのとき、「高田馬場AREA」というライブハウスでひたすらライブをしていました。どこに行ったとかはあまり覚えてないんだけど、そのライブハウスの隣の道がめっちゃ坂だったのをすごく覚えています。お金も
この秋、SUGIZOは中東を旅した。9月下旬から約2週間かけてイラクとヨルダンの難民キャンプを回り、自身のソロプロジェクト「COSMIC DANCE QUARTET(C.D.Q.)」や難民キャンプ専用3人組ユニット「BABAGANOUJ(ババガヌージュ)」によるライブを通して、難民たちと交流した。 「お客さんのなかには、ステージに上がってきて、僕の横で写真を撮ろうとする若い子もいました。彼らにはまだエンターテインメントを楽しむ上でのモラルがない。でも、かつて若者が革命を求めていたような60年代から70年代のロックって、ああいう制御不能のエネルギーで盛り上がっていたんだと思います」
プロレスラー齋藤彰俊にとって、それは経験のない感触だった。 バックドロップは、相手を担ぎ上げる瞬間、初動で一番パワーを使う。 勢いがついてしまえば、あとは最高点から角度をつけて落とすだけ。 そのはずが、最高点の手前で、相手の体がわずかにグッと重くなった。 一瞬のことだが、その感触は今もはっきりと思い出せる。 ただ、それでフォームが乱れたわけではない。練習から、何千回と繰り返してきた技だ。いつものように決めた。 まだ立ってくる。相手はプロレス界でも最高の「受け」の達人だ。 そう確信して、身をひるがえしたところで、異変に気付いた。 三沢光晴さんは、立ってこなかった。身動きひとつとらなかった。 普通ならフォールなどにいく齋藤の動きに先んじて、レフェリーが慌てて駆け寄る。 「試合を止めろ」と小さく告げたのを最後に、三沢さんは呼び掛けに反応すらしなくなった。 2009年6月13日、広島県立総合体育館
横井軍平氏は、ゲームボーイなどを開発した任天堂の技術者。その海外のゲームファンにも知られている伝説の開発者が、実は任天堂を退社した直後に『文藝春秋』に手記を寄せていた。横井氏は、この記事の掲載の約1年後に交通事故で帰らぬ人となったが、いまもその思想は受け継がれている。 【写真】「ゲーム&ウオッチ」のインターフェイスはニンテンドーDSにそっくり 任天堂アーカイブプロジェクト代表・山崎功氏による解説「 横井氏が任天堂に残した、玩具メーカーならではのDNA 」も末尾に掲載。 出典:「文藝春秋」1996年11月号 ◆ ◆ ◆ さる8月15日、30年以上勤めた任天堂を退社しました。大学を出てからずうっと任天堂で玩具作りにかかわってきたのですが、55歳を区切りに自分のアイデアをもっと自由にいかせる仕事をしようと考えたのです。 もっとも、新しい門出に、いきなり洪水のような報道が襲ってきました。 退社する
植田 夕方の4時は仕事が一段落するんですよ。「コボちゃん」の原稿を取りに来るオートバイが毎日3時半に来るので。 ―― 毎日「コボちゃん」を受け取りにバイク便が来るんですか? 植田 そうです。土日もです。まあ、新聞は年に10日ほど休刊日があるから、それ以外は毎日ですね。 ―― 今日渡したものは、いつ頃掲載されるものなんですか? 植田 明日の朝刊ですよ。 ―― えっ、明日載るものを前日に渡しているんですか! 植田 基本的にそうです。その日描いたものを、次の日載せてもらう。 ―― とはいえ「コボちゃん」以外の連載もたくさん持っていますよね。毎日締切りとはすごい……。先生の一日はどんなスケジュールなんですか? 植田 一日の前半は「コボちゃん」に専念しています。朝は10時半ぐらいに起きて、そのまま仕事場に。で、仕上げ終わるのが14時とか14時半。それから、まぁ朝食というか、その日初めての食事をします
本日3月10日は、ヴィジュアル系シーンとは切っても切れない存在のベーシスト、KISAKI氏の誕生日。おめでとうございます。 ヴィジュアルシーンを見ている者として祝わずにはいられず、そして自分自身でもヴィジュアル系の歴史を振り返る意味でも、今日はKISAKI氏というアーティストのバンド経歴について振り返りたいと思います。 LUNA SEAがメジャーデビューを果たしたり、黒夢がインディーズで絶大な人気を誇っていた頃である1992年、SCARE CROWというバンドのスタッフとして音楽シーンに携わり始めたKISAKI氏。 当時は”ヴィジュアル系”という言葉はなく、ポジパンやグラムロック、ハードロックと呼ばれるジャンルから次第にメイクをしてステージに立つアーティストを”お化粧系”と呼び始めた時代。 その後1993年9月、彼はLeviaというバンドを結成した。 初ライブから解散までわずか7ヶ月という
ワシントンD.C.の中心部に広大な敷地を持つ、スミソニアン博物館。そこには、世界で最初に動力飛行を実現したライト兄弟の飛行機、アポロ16号が持ち帰った月の石、あるいは持ち主が不幸になることで知られる「呪いのダイヤモンド」 まで、実に様々な人類の「宝」たちが収蔵されている。 そこに1998年、日本人が開発した“とあるゲーム”が収蔵された。その名は――「バーチャファイター」。そして、この開発者こそが『アウトラン』や『スペースハリアー』などの「体感ゲーム」でセガを世界的企業に押し上げ、現在も欧米の開発者から高い評価を受ける、鈴木裕氏である。 この連載では、日本のゲーム業界黎明期のクリエイターを取材してきた。だが、鈴木裕氏はその巨大な業績に比して、今ではあまり語られなくなった人物だ。日本ではその名前は、ドリームキャストの「シェンムー」シリーズの続報が聞こえなくなった頃を境に、ゲームファンの間から消
2年ぐらい前つんく♂が「JALスペシャル アイドルポップ・クロニクル」ってタイトルで、JALの機内だけで聴ける、アイドルについてトークする番組をやってたんだよね。それを一生懸命メモしたのんが出てきたので、文章にして残しておきます。 なんと言うか……こんな時期だから。つんく♂の声で楽しい話聞きたいなぁとか思って。 ─────────── ここ数年音楽シーンでは「アイドル戦国時代」という言葉があるくらいアイドルが盛り上がりを見せている。僕、つんく♂もモーニング娘。をはじめとしたたくさんのシンガー、女性アイドルを世に送り出してきた。そんな僕がのめりこんだ、1980年代から現在に至るまでのおよそ30年にわたるアイドルの歴史を、その時代を語るために重要な1曲、あるいは僕のこだわりの曲とともに振り返っていきたい。 One,Two,Three/モーニング娘。 青い珊瑚礁/松田聖子 1980年代に入ってか
アメリカ大使館×クーリエ・ジャポンの討論企画において実施された、YOSHIKIさんの特別インタビューが素晴らしかったので書き起こしてご紹介。YOSHIKIさんにとっての「働くこと」についての考えが凝縮されています。海外で働くとは? 日本人であることとは? そして最後は"ロック"で締め。仕事に行き詰まっている人は必見です。 YOSHIKIが海外を拠点にした理由 堀: 堀です。今日はありがとうございます。 Y: こちらこそ。 堀: いやあ、まさかYOSHIKIさんにこうしてお会いすることができるなんて、中学生のときの僕に自慢したいです、本当。ははは(笑)。スーパースターですから。よろしくお願いします。 Y: どうもよろしくお願いします。 堀: YOSHIKIさんのお話っていうのは、いろんな場面で聞くことが多いんですけれども。今日は「働く」とはいったいどういうことなのか。もうずばり、そこのお話を
与沢翼公式ブログ 本人による公式のブログです。 ブログトップ 記事一覧 画像一覧 あらさーちゃん、峰・・・ » 『ご報告』 2014年04月26日(土)NEW ! テーマ:成功の条件 皆様、こんにちは。 与沢翼です。 最近フェイスブックを更新しておりませんでした。 その事情を、お伝えしなければならなくなりましたので、ここにご報告致します。 何もご存知ない方は、驚かれることと思います。 ご容赦下さい。 誠に愚かすぎて、弁明の余地もない状況です。 【概略】 2013年8月期決算の法人税、住民税、及び事業税2億5千305万の支払いのうち約1億1千万円並びに2012年8月期の修正申告分の税として8940万7200円を追加で計約2億円支払い、並びに2014年8月期決算予定納税の一部を支払い、フリーエージェントスタイルの資金が完全にショートしました。 そのため、今日時点において、既にフェラーリ、ロール
ラジオ番組『おぎやはぎのメガネびいき』(2011年04月14日放送)で、おぎはやぎがタモリさんのカッコよさについて語りました。 【スピーカー】 おぎやはぎ 【動画もぜひご覧ください!】 http://youtu.be/2zL1XMNGg0w 矢作(以下、矢):ラジオネーム・振り逃げホームラン。「おぎやはぎさん、こんばんは。芸能界の酒豪ナンバーワンを教えて下さい」 小木(以下、小):酒豪!? 酒豪かー。俺、あんまお酒飲みに行かないから分からないけどねー。矢作も、この間飲みに行ったでしょ、2人で。矢作ほら、久々にゲロ吐いてんじゃん。一緒に飲みに行って。 矢:そうだ! 小:あの人そうなんじゃない? 久々に聞いたもん、矢作がゲロ吐いてるって。酒飲みすぎて。 矢:先週の土曜日か……。タモリ倶楽部の終わりでさ、タモリさんと俺サシで飲みに行ったんだよね(笑)。 小:すごいよね、サシでね(笑)。 矢:
この夏スタートしたドラマが中盤戦を迎えるなか、初回視聴率を上回る数字を打ち出し、話題を呼んでいるのが日本テレビ系で放送中の『Woman』だ。「不幸すぎて観ていられない」という意見も多いが、それでも視聴者を惹きつけてしまうのは、主人公を演じる満島ひかりの存在感だろう。 関連情報を含む記事はこちら 演技力への評判が高まる一方の満島だが、じつは文章も独特の世界があって、魅力的。そこで今回は、満島が寄稿している『ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ』(スタジオジブリ/文藝春秋)から、彼女の“文章力”を紹介したい。 寄稿文のタイトルは、「遅く起きた頭のがんがんする朝に」。ナウシカとどのようにつながるのかが見えない不思議な題名だが、まずは満島とナウシカの出会いを取り上げよう。 満島がナウシカを最初に観たのは、子どものころ。そして「成人する前くらいに、漫画のボックスを買って読んだ」のだという。「あま
清水亮という男がいる。ネットのidはshi3z。 本当に嫌な奴で、だいたい飲み会の席で同席すると喧嘩になる。 4年ほど前にもこんなことがあった。九州大学工学部大学院の『高度ITCリーダーシップ特論』という授業の講師として招かれた我々は講師陣の飲み会で口喧嘩を始め、shi3zさんは私に捨て台詞を吐いてその場を退席したのだった。リーダーの見本たるべき私達が飲み会の席で喧嘩別れし、しかもその直後からTwitterなどの公の場で互いに罵り合う姿を見て、「自分はこんなリーダーにだけはなりたくない」と思った学生も少なからずいただろう。この授業の本質が、ダメなリーダーを反面教師的に間近に見ることで受講生の意識改革を促すことにあったのだとしたら、そこまで見越してコーディネートした楠さんの深謀遠慮には敬服の意を表さざるを得ない。 shi3zさんの昨日のエントリによれば、小野和俊、すなわち私という人間は、慶応
「アウト×デラックス」の小林よしのりには腹抱えて笑わせてもらった。 「アウト×デラックス」とはナイナイ矢部浩之とマツコデラックスによるトーク番組で「アウト軍団」と呼ばれる何かしら「やばい」人たちが集まっている。そんなやばい人たちのやばい生態を笑う番組である。 そこに登場したのが「AKBの仕事だけは受ける」と言って憚らないゴーマニスト小林よしのり。言わずと知れた「おぼっちゃまくん」「ゴーマニズム宣言」の作者の漫画家である。自分も幼少時から「おぼっちゃまくん」を嗜み、そして10代の多感な時期に「ゴーマニズム宣言」および「戦争論」あたりを読んで衝撃を受けた世代である。自分の文章の根幹には「どんな(屁)理屈でも筋道さえ通ればそれなりに読ませる力がある」というゴーマニズム宣言的な思想がある。それが正しいかどうかは別にして。 そんな小林よしのりこと「よしりん」はAKBについてまあ熱くキモく語るわけです
ゲーム作家・ゲーム研究者遠藤雅伸のブログです。 ゲームに関する話題を、ビジネス、アカデミック両面からも取り上げます。 飯野賢治君の思い出を、一次情報として書き留めておく。 ◆ Dの食卓 飯野君を知ったのは、やはりこの作品をプレイしたからなのだが、当時遠藤はこの作品を日本人が作った物だとは思っておらず、エンディングのクレジットで日本製だと知って、なかなかセンスのある作品だなぁと感心した。でも、そこに登場する飯野君の写真は、かなり日本人離れしていたから「オオカミウオみたいな人」として認識していたのだね。 まぁ、ゲームの作り方にしても、クレジットロールの写真にしても、洋ゲーかぶれのええ恰好しぃ程度にしか記憶していなかったわけだけど。 ◆ 初対面 イベントのゲストとして同時にブッキングされていたのが最初で、多分ゲーム系のトークショーだったんじゃないかな。広い会場で事前に打ち合わせなどもなく、突然檀
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