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シンデレラガールズとtloPに関するleggiero600のブックマーク (4)

  • アニメシンデレラガールズもう一つの楽しみ方

    錦織氏が監督したアニメアイドルマスターも構図や演出が非常に凝っていて、画を読み解くのが楽しい作品でした。そして高雄氏が初監督を勤めるアニメシンデレラガールズも非常に面白い事をしている様子です。ここで様子ですというのは、一見して丁寧だという事がわかるこの第1話があまりに計算され尽くされているのでデコードしきれない為です。そうです全編において画に意図がある「はず」です。 切り口は多いと思いますがとりあえず、プロデューサーとアイドルの立ち位置から読み取ることにしてみましょう。尚、今回の記事はツイッター上でのガラクタ氏とのやりとりを元にしています。 まずは凜とPの出会いです。交番で事情徴収を受けた後のやりとり Pが右から、左にいる凜に名刺を渡そうとしますが拒否されて凜は右に去って行きます。ここで注意したいのは右左の立ち位置に、単純にトミノ式を当てはめる事は出来ないと言うことです。これは卯月とPが対

    アニメシンデレラガールズもう一つの楽しみ方
    leggiero600
    leggiero600 2015/01/12
    「全編において画に意図がある「はず」です。 切り口は多いと思いますがとりあえず、プロデューサーとアイドルの立ち位置から読み取ることにしてみましょう。」
  • シンデレラガールズとミリオンライブにおける音楽性の違いについて

    従来アイドルマスターというコンテンツにおいてはその楽曲は主にバンダイナムコ社内の内製に頼っていたが、2013年サービスを開始したミリオンライブにおいては楽曲制作をランティスに委託する形を取っている。 そのミリオンライブにおける最初のアルバムシリーズLive The@ter Perfomanceですでに従来のいわゆる「アイマス曲」には無かったサウンドが話題となったが、第2シリーズLive The@ter Harmonyではその傾向がますます強くなっている。 一方バンダイナムコ内製のシンデレラガールズ曲においても「杏のうた」に代表されるように従来の「アイマス曲」どころかアニメキャラソンという枠組みで見ても先鋭的な楽曲が提供され続けている。 従来のアイマス曲からの逸脱という点ではシンデレラガールズとミリオンライブも同じだが、一聴すれば分かるとおりその方向性はあまりに違う。その違いをバンダイナムコ

    シンデレラガールズとミリオンライブにおける音楽性の違いについて
  • 劇場版アイドルマスター感想

    かな子は標準体重。いいね? ・評論部 「春香が/自己を/再確認する」というテーマの映画だったように思える。 これは北沢志保と衝突のあった後、カフェで千早から告げられる言葉に明確だ。すなわち「リーダーとしてで無く、天海春香が何をしたいのかが大事」だと。 そして春香は「ファンも、765プロの仲間、スタッフ、そしてバックダンサーのみんなも、全員がいなければ今の私はいない。だから欠かすことはできない」と答える。ここの春香の語りかけが映画のクライマックスであったに違いなく、ギレンの演説に匹敵する見事なアジテートすばらしいシーンだったと思う。 「私は天海春香だから」 この台詞のこのカットの構図、春香の横顔その後方に大きな空間が空く。視線の後ろの空間を空けるこの構図は過去や人生、背負ってきているものを暗示させる時に使われる。まさしく「ファン、仲間、スタッフ、出会ってきた人すべて」を「天海春香」は背負って

    劇場版アイドルマスター感想
  • おでことおなか

    プラットフォーム毎に同じタイトルのゲームを発売するのはゲーム屋の生存戦略であって、ファミコン時代から続く定石だ。だから携帯ゲームの2大プラットフォームにそれぞれ、アイドルマスターというゲームタイトルが進出してるのは驚くに値しない。 「シンデレラガールズ」と「ミリオンライブ」 1年前に「シンデレラガールズ」が始まった頃、P達には戸惑いが有ったと思う。「ゲーム性が無い」「課金な」「歌って踊らないアイドル」などいろいろな理由の中に「世界観」を挙げるPもいた。いきなり100人に増えたアイドル候補生。「モブ感がひどい」と彼らは言っていた。 しかし「ミリオンライブ」がスタートして、その「モブ感」こそがシンデレラガールズの質である事に気づいた。 ミリオンライブの舞台は765プロだ。そして登場する50人のアイドルも全て765プロの所属。自己紹介には揃いのステージ衣装。彼女たちは既に「アイドル」なのだ。実

    おでことおなか
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