こういう隠語を使ってる人って本人はカッコイイつもりなんだろうけど、すごく中二くさいよね
はてなブックマークを使い始めてもうすぐ10年になります。最初に使ったのが2006年2月1日。最初にブクマしたのは(テストのためにmozdevのページを入れてみたのは別として)コレッタ・スコット・キングさんの訃報でした。 http://b.hatena.ne.jp/nofrills/20060201 以降、「読んだ記事・読みたい記事をメモしておくツール」としてはてブを便利に使っています。2012年以降、はてな社が不誠実にも、こっそりとトラッキングを仕込んできたのでしばらく使用を中断していましたが、最近、Twitterの利用頻度を減らしたので、その代用として、またはてブを使うようになっています。 しかし、もうやめようと思うことがありました。 「読んだ記事・読みたい記事をメモしておくツール」のログを公開の形にしておくことは、私にとってはネットを使う上で疑問の余地のない前提です。「公開性」という概
staff.hatenablog.com の株式会社はてなの発表の通り、著作権の違反しているはてなダイアリーの管理者に対して、削除依頼メールが1/12~15のうちに出され、返答がない場合、そのダイアリーは公開停止処分になります。 著作権違反をしているものを是正するということですので、この運営の行動は正当であり、それに対して不満は全くありません。 今から話す話はただの感傷ですので。 今、もう更新を停止しているはてなダイアリーがかなりの数があります。そのIDの人自身がはてなからいなくなって今どこで何をしているのか不明だったり、何かの理由で更新がずっと止まってしまっていたり。そして、そういうサイトは2000年代、まだ著作権の考え方が甘かった頃から運営されていたりして、文章の中や、サイトのタイトル、プロフィールの中に歌詞を引用していたりしていたのが多かったです。 今、そういう更新を停止しているサイ
なんというか、僕は、所謂ブロガーにはなれないんだなあ、って思う。 世間でブロガーとして認知、人気がある人の素質というものが、リアルで必要とされる能力と、とても似てきていると思う。 それは共感能力であったり、空気を読む能力であったり、コミュニケーション能力であったり、人を不快にさせない能力であったり、政治力であったり、人を元気にさせたり元気づけたり、ポジティブにさせる能力であったり、器用さであったり、要領のよさであったり、物事を始める時の勘の良さであったり、何か、面白いものを見つける嗅覚であったり、行動力であったり、新しいものに対する好奇心であったり、視野の広さであったり。などなど。 著名ブロガーの人たちはリアルでも多分有能 たくさんのPVを集めて、たくさんのフォロワーを持っているブロガーの人たちは、これらの能力や才能にあふれてる人が多い(ような気がするし)多分、ネットを介さないリアルの世界
僕はブロガーになれない - orangestarの雑記 新年早々、「僕はブロガーになれない」と来ましたか。 ブログを更新する人をブロガーと定義するなら、私もid:orangestarさんもブロガーの端くれですが、そういう事を仰りたいわけじゃないですよね。 世間でブロガーとして認知、人気がある人の素質というものが、リアルで必要とされる能力と、とても似てきていると思う。 それは共感能力であったり、空気を読む能力であったり、コミュニケーション能力であったり、人を不快にさせない能力であったり、政治力であったり、人を元気にさせたり元気づけたり、ポジティブにさせる能力であったり、器用さであったり、要領のよさであったり、物事を始める時の勘の良さであったり、何か、面白いものを見つける嗅覚であったり、行動力であったり、新しいものに対する好奇心であったり、視野の広さであったり。などなど。 僕はブロガーになれな
2015年のインターネットを振り返って、お互い反目しあい、貶しあい、誰かにNoを突きつけあう風景ばかりを思い出した。異なるルールや価値観を信奉しあう個人と個人、グループとグループが理解しあう――せめて相手の存在を許容しあう――ツールとしてtwitterやSNSやブログが使われた風景は稀だった。2015年のインターネットは、わかり合えない人間同士のディスコミュニケーションを映し出す道具だったと思う。 もちろん、ルールや価値観をシェアする者同士は、自分(達)を肯定するために「いいね」の輪を広げあっていた。だが所詮は「わかっている者同士の「いいね」」であり、「自分の似姿に対する「いいね」」であって、自分と違ったルールや価値観に対する「いいね」ではなかった。 社会には、異なるルールや価値観を信奉している人間やグループが無限に存在している。昨今のインターネットは、そのことをよく教えてくれると思う。
はてブで、よくまとめサイトの批判が上がってるが。 はてブからその声が上がるのがおかしいんだよ。 まとめサイトってのは、パクリコンテンツのくせにアフィリをペタペタ貼ってるアフィカスってのが腹が立つんだって。 では、はてブは? ヤフーとかのニュース配信サイトは、配信先と契約してるから配信記事には金を払ってるんだよ。 金を払って載せてるニュースサイトがまとめサイトなわけがないよな。 企業サイトってのは、こういうふうに契約して記事配信するわけ。 では、はてブは? 全く契約してない記事ばかりを勝手に載せて羅列しているのが、はてブだよな。 それで、金を稼いでいるわけよ。 はてブは、勝手に記事を載せて金を稼いでいるわけだから、はてブに載った個人サイトにも金を払うのか? 絶対に、払わないよな。これって、まとめサイトが記事をパクってアフィリしているのと何が違うわけ? いや、はてブのほうが最悪だ。 何でって、
いまやもうネットではモテないほうがマジョリティでクリスマスは皮肉ばかりなので、クリスマスは彼女ととっておきのレストランでデートでイエー!みたいな話が読みたい。— 林 雄司 (@yaginome) 2015年12月8日 1990年代のネット黎明期から活躍されている林雄司さんがこのように書かれていて、共感しました。 私は2003年から2011年にかけて、クリスマスを女1人で過ごす様子を記事にしてきました。03年当時は「女が1人でクリスマスを過ごす様子を記事にする」ことそのものが珍しかった記憶があります。 ITmedia +D PCUPdate:やっぱりキミは来なかった 「線メリ」と過ごすひとりきりのXmas 当時のインターネットは、社会のはじっこにあって、「クリスマスは1人」であることがしっかり自虐的でしたし、1人のクリスマスを過ごす日は、恋人や家族と過ごせる人を羨ましく思っていました。 でも
ブログに「死ね」とコメントを書かれて自殺した女子高生に関して ブログの「死ね」というコメントを苦にして女子高生が自殺するという事件が起きた。 ネット規制よりもユーザーによる制裁を - 池田信夫 blog この引用は恣意的過ぎるなぁ。恐らく北九州の事件を指しているのだろう。ちょっと調べた限りでは、池田先生の主張に関してこの例を出すのは印象操作だよね。 「ブログに中傷つらい」と遺書、北九州の高1女子自殺 : 週間ニュース : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) 高1自殺:ネット上に「死ね」と書かれ苦に 北九州 - 毎日jp(毎日新聞) 福岡県北九州市の高1女子自殺――ホームページに「死ね」書き込みを確認/教育ニュース - 教育情報サイトeduon! 同校は自殺の発覚後、同学年の生徒や同じ中学校の出身者を中心に、カウンセラーを通じて調査を実施。うち1人が「26日から27日に『死
id:inumashさんのお誘いによって今年も行ってきました反省会。 中身については既に参加されたみなさんの内容に詳しいので割愛。ともあれ、inumashさんの華麗な進行がなければ20名弱の会合がとりとめのないものになっていたことでしょう。ありがとうございました。 id:kanoseさんもそうだし、その他の人の何人かもそうだけど、業界事情的な話が出てくると普段そういう界隈にいなかったり、イマイチ踏み込んで話をしない自分としては結構新鮮ではありました。「みんな知っていると思いますが」的な前フリから出てくる話が半分くらいしかわかんないww 個人的には非常に何もやっていない感の強い一年だったんですが(なにぶん仕事がアレだけに…)、それにしても、こういう集まりに出た時に強く感じるのはこれが訓練された結果なのかどうかというところですね。みなさん少なからず「匿名ブロガー」であることに自覚的であって(な
土曜日、二日酔い。ふらふらと出掛けて御徒町へ向かい、『厳選洋食さくらい』にてオムライスやらカキフライやらいただきました。美味い 美味しそうなものの写真で厄払いをした上で、さて、はてな村反省会2015であります。 昨年は7月に開催されたはてな村反省会でありましたが… 今回は、はてな村!というよりも、2015年のネット界隈を振り返る、という様相を呈した。反省会を名乗りながら、参加者、それもはてな利用暦の長い参加者諸氏に、自らを省みるつもりがないところは、海軍反省会とさも似たり。 いま見たら、zaikabouのuが抜けてる! とにかくinumashさんの司会進行とまとめが秀逸で、さすが界隈、目配りがよく出来ているひとだなあ、と。そしてシロクマ先生のリアル『言及しましたね!』が目の前で見られたのも僥倖であった。 で、もろもろ、本年に発生した事件の振り返りをしたわけだけれど。ネットで起こる事件を見回
一気書き怪文書こゎぃ というわけで、ネット特有のスラングやネタ等が含まれるため、そういったものが苦手な方は ブラウザバックか注意して読まれることをおすすめします。某手書き劇場じゃないけども。 24歳、学生です(大嘘) え~、ネット歴が10年で、ニコ厨歴が8年(SP1)です。 そんなこんなで人生を歩んできたわけだが、一種の詰みという状態になっているわけだ。 具体的にどんな詰みなのかは、ここでは言及を避けておく。避けておくが、借金で首が回らない等の絶望的な感じではない。 感じではない、が、それだけに、ぬるま湯から少しづつ熱湯へと変わる水に気づかないで茹でられてしまうカエルのような、そんな最悪な気分であり状況であることは言及しておく。 そんな状況になったのも、色々な問題から逃げてきたせいだと思う。世の中すべてが自己責任なのだ。全ては自分のせいであり、他に原因を求めても仕方ないのだ。 思い返すに、
―――ああ、今日も疲れた。 自分と同じスーツ姿の会社員と肩を並べ、電車に揺られながら思う。 大学を卒業し、そのまま入社した会社は人付き合いが面倒極まりない。仕事も全く楽しさを見出せず、ただ疲れるばかりだ。 毎日朝起きて、身支度し、会社へ向かって仕事をし、定時が過ぎたのを時計で確認しながら、仕事、仕事、仕事。 ようやく家に帰り、一杯のビールを飲んで気分をリフレッシュ。 そんな毎日が続くと、『俺って何の為に生まれてきたんだろう』なんて哲学じみたことを考えるようになる。 このままでは会社に、社会という閉じ込められた檻に、自分の一度しかない人生を捧げることになる。 そんなのは嫌だ、と思っていた矢先、俺はあるサイトと巡り逢った。 『小説家になろう』 それは、数多くの小説達が集った小説投稿サイトだった。 書籍化したものもあるようだが、読んでいるとそれと同じくらい面白い作品も、中にはある。 俺はいわゆる
■2005 大きな話からしましょう。2005年は「Web 2.0」の年でした。旧来からある送り手と受け手が固定化した一方通行の情報流通ではなく、誰もが情報を発信できる双方向の状況に移ったことを示す宣言です。 静的から動的へ。傍観者から参加者へ。2005年からの5年間は、インターネットの主役が「人々のコミュニケーションを促進するコンテンツ」であり、「それを支えるサービス」へ移った時代でした。 次に小さな話をすると、インターネットの風景を変えたのは2005年に登場したYouTubeです。 それまで動画を観る習慣は、おもしろFlashを除き、ネットユーザーにはありませんでした。初期の動画サイトは違法アップロードされたものも多かったですが、次第に企業はその広告力に注目し公式チャンネルで動画を配信するようになり、個人もオリジナルの動画でアクセス数を競い合う世の中へと変化していきました。ニコニコ動画/
荒らしが好きだ 祭りが好きだ ヲチが好きだ 陰口が好きだ 釣りが好きだ 晒しが好きだ 悪口が好きだ 煽りが好きだ 成済ましが好きだ このネット上で行われるありとあらゆる炎上騒動が大好きだ 戦列をならべたvipperのf5連打が絶望と共にサイトを落とすのが好きだ ニコニコで金儲けを始めた者が嫌儲に叩かれだした時など心がおどる twitterで調子こいてる犯罪者を晒すのが好きだ 悲鳴を上げて荒らされた巣から凸してきた信者を馬鹿にした時など胸がすくような気持ちだった 足並みをそろえたなんJの尖兵がクソコテを蹂躙するのが好きだ 情弱が既に終わった祭りの被害者を何度も何度も死体蹴りしている様など感動すら覚える 敗北主義者の必死チェッカーを晒し上げていく様などはもうたまらない 泣き叫ぶ信者達が ゴミ共の適当な煽りを食らい 発狂しながら罵ってくるのも最高だ 哀れな抵抗者達が
オリンピック・エンブレムを巡る剽窃問題は、佐野氏の辞退によって、ひとまずの終わりになるだろう。組織委員会の、問題の本質がまだ理解されていないような会見は、更に油を注ぐようになったが、これ以後、新しいパクリ作品が指摘されても、状況的にはそれほどのインパクトを与えないだろう。 僕たちは、今回の問題で、この「複製芸術の時代」における「オリジナルな表現」とは何かという、本質的な問題に向かいあえる契機を得たのだと思う。そのことを、特に、表現に関わっている人達は、各人が、徒党を組むことなく、個人の問題として向かい合うべきだ。 8月15日のnoteに以下を書いた。 「デザイナーとは、そもそも画家でも写真家でもないわけで、画家の作品をよりよく見せるというのが任務である。オリジナルな作品を作るとしたら、それは、作家になるしかないわけだ。今回は、ネットの素材を使ったわけだが、本来なら、イラストレーターやカメラ
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