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ブックマーク / katukawa.com (2)

  • 水産物の放射能汚染から身を守るために、消費者が知っておくべきこと - 勝川俊雄 公式サイト

    IAEA のレポート http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/TRS422_web.pdf 物連鎖を通じた放射性セシウムの移動(捕者への時間遅れの汚染蓄積) チェルノブイリ事故で汚染されたキエフの貯水湖では、餌となる小型魚(上)のセシウムの値は事故の後すぐに上がったのですが、捕魚(下)のセシウムの値は翌年になって跳ね上がりました。物連鎖を通じて、上位捕者に時間遅れで放射性物質が伝わったのです。Chernobyl’s Legacy: Health, Environmental and Socio-Economic Impacts チェルノブイリの事故後で、日近海の表層海水の汚染のピークは1月後、スズキの汚染のピークは半年後、マダラの汚染のピークは9ヶ月後でした。(海生研ニュース No.95 p7より引用)。 福島周辺海域では、植

    mannin
    mannin 2011/05/04
    海流に乗って流れる分がどっちに行くのかちょっと気になっていた。あと生物濃縮についてはこれから当分考えないといかんよなあ。気が重い。
  • 我々日本人が、捕鯨について議論すべき事 - 勝川俊雄公式サイト

    我々、日人が、今、議論すべき事は、「調査捕鯨を続けることが日の国益に適うかどうか」である。シーシェパードへの感情論とは切り離して、調査捕鯨を継続するかどうかを、日の問題として判断する必要がある。 調査捕鯨の歴史 南氷洋の捕鯨について簡単におさらいをしよう。戦後、糧難を緩和するために、日は米国の協力を得て、南氷洋捕鯨を国策として推進した。極洋、ニッスイ、大洋という3つの大手企業が参入したが、南氷洋のクジラが減少したことと、日で鯨肉が売れなくなったことで、収益が悪化した。3つの会社の捕鯨部門を統合して、共同捕鯨という会社をつくったのである。 その後、南氷洋モラトリアムによって、日は商業捕鯨を継続できなくなった。商業捕鯨再開を目指す日は、鯨類研究所を設立し、共同船舶(共同捕鯨が名前を変えた)に調査を委託するという形式で捕鯨産業を守ったのである。この辺の歴史については、いくらでも資

    mannin
    mannin 2011/02/23
    捕鯨船の更新する予算はさすがにどこにもないだろうな。しかし南氷洋から手を引くときのコメントは神経の使いどころ…
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