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思想に関するmasato611のブックマーク (4)

  • 『ゼロ・トゥ・ワン』対談 賛成する人がいない、大切な真実とはなにか。 ピーター・ティール Peter Thiel × 糸井重里 Shigesato Itoi

    糸井 まず、ぼくがここにいる理由について、 簡単にご説明いたします。 ぼくはこの『ゼロ・トゥ・ワン』というを 去年読んだんですけど、 そのころ、状況にちょっと退屈してたんですね。 いろんな物事の進化に びっくりするようなことがなくなって、 ちょっとずつ、ちょっとずつ、 あらゆることがぜんたいに親切になってる。 「ぜんぶ、やっておいてあげますよ」 っていうものばかりが進歩してるんだけど、 でも、それ、ほんとうは進歩って いわないんじゃないかなぁ、って思ってたんです。 インターネットの世界なんて、 とくに親切のかたまりなんですけど、 それがものすごくうれしいことかっていうと、 ぼくにとっては、そうではない。 いま、ティールさんが講義のなかで Googleがスタートしたときの話を されてましたけど、ぼくらの前に Googleという検索エンジンが登場したときは、 みんな「速いっ!」ってびっくりし

    『ゼロ・トゥ・ワン』対談 賛成する人がいない、大切な真実とはなにか。 ピーター・ティール Peter Thiel × 糸井重里 Shigesato Itoi
    masato611
    masato611 2015/04/28
    世の中にはこれまで、  いろいろな新しい考えが出てきているが、  どれも、まず書くことからはじめたから、  十分に掘り下げられたんだと思う
  • 右傾化する人達が根本的に分かっていない一つの事実

    太平洋戦争アメリカ軍による日への空爆は、最初は軍事施設や軍需工場だけをターゲットにしたものでした。しかし日側がなかなか音をあげないために、民間人の家屋も空爆の対象に加えました。アメリカ軍は日の木造家屋を燃やすための焼夷弾と呼ばれる爆弾をわざわざ開発しました。そうやって意図的に、非戦闘員を街ごと焼き殺した行為が罪でないとはどうしても思えません。 従軍慰安婦の話も同様です。日軍の従軍慰安婦制度には一部で軍関係者による関与があったことは間違いないでしょうし、それはもちろん罪です。しかし第二次世界大戦当時、軍隊が性犯罪をまったく犯していない国はありません。慰安所という仕組みを作ったのは日ドイツ等の一部の国に限られますが、慰安所を作らないかわりに兵士の強姦を見て見ぬフリで済ませていた国々には罪がないなどと言えるでしょうか?にも関わらず、戦勝国側の性犯罪について触れることはタブーとなって

    右傾化する人達が根本的に分かっていない一つの事実
    masato611
    masato611 2014/05/26
    現代の世界は「欧米を中心とする偏った価値観が幅をきかせている世界」であり、「第二次世界大戦の戦勝国側が第二次世界大戦から得た利益を手放そうとはしない程度の野蛮な世界」なのです
  • 報徳思想 - Wikipedia

    二宮金次郎の像(静岡県掛川市) 報徳の教えとは、二宮尊徳が独学で学んだ神道・仏教・儒教などと、農業の実践から編み出した、豊かに生きるための知恵である。神仏儒を究極的には一つにいたる異なる道に過ぎないと位置づけ、神仏儒それぞれの概念を自由に組み合わせて説かれている。そのため報徳の教えを報徳教と呼ぶことがあってもそれは宗教を意味するものではない。 報徳の教えの中心的概念は大極である。この大極にそった実践を行うということが報徳教の根幹をなす。二宮尊徳はこの大極を『三才報徳金毛録』のなかで円を描くことによってしめしている。この円を分けることにより、天地・陰陽などの区別がうまれる。つまり、大極とは、すべてのものが未分化な状態、一種の混沌状態をさす。 大極はつねにそこにあるものであるため、人間が何をしようがつねに大極とともにある。しかしながら、人間は我であるため、つねに大極と何らかの関係をとらなければ

    報徳思想 - Wikipedia
    masato611
    masato611 2013/10/04
    報徳思想(ほうとくしそう)は、二宮尊徳が説き広めた道徳思想であり、経済思想・経済学説のひとつ。経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説く。たらいの中
  • 悪い知識は大切 - レジデント初期研修用資料

    道徳は大切だけれど、道徳的な人間を生み出そうと思ったときに、道徳だけを教えたのでは片手落ちなのだと思う。道徳というものは、不道徳な「悪い知識」を土台にすることで、初めて堅固な力を持てる。 道徳の効用 理念や道徳というものは、「手続きに従えば簡単に扱える人間」を作る手段として役に立つ。 道徳を、道徳単体として「正しいものだ」と習った人は、道徳的に基づいて何かを促されると逆らえないし、よしんば法律に違反するようなことを命じられても、それが「道徳的なのだ」と強弁されると、高い可能性でそれに従ってくれる。 他人を陥れる方法や、欺瞞を運用して誰かに特定の振る舞いを強要する方法を教わった人は、人を操作するための手続きを見破ることができる。こういう知識を持った人は、運用された道徳から自由でいられて、結果としてたぶん、道徳や理念はどういうものが好ましいのか、自分の頭で考えられる。 どちらの人間がより好まし

    masato611
    masato611 2011/07/07
    信者の作りかたと教祖の作りかたは全く異なって、信仰が熱心になるほどに、逆説的に、教祖の椅子は遠ざかっていく。新興宗教だけでなく、あらゆる業界に、「教師から学ぶ人」と、「教師を見て学ぶ人」とがいて、学び
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