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ブックマーク / medt00lz.s59.xrea.com (10)

  • 新しい市場のつくりかた - レジデント初期研修用資料

    最近買った新しい市場のつくりかたというの感想文。 足で書いたは面白い 今までになかった新しい商品を販売することで成功した人たちを訪ね歩いて、成功の理由、あるいは新しい商品を発送する原理のようなものを導こうとした。いろいろ参考になった これは「足で書かれただ」という印象を持った。理念ではなく、具体を重ねて論に到達するような。こうした書かれかたをしたは、読むといろんな発想が広がる。同じ具体例を作者と共有しつつ、作者とは異なった理念の衝突が楽しかったりもする 「足で書かれた」とは逆に、理念先行、論が理念を補強する「頭で書かれた」というものもある。頭で書かれたで描かれる理念は整合がとれていて、読んで「ははぁ」と頷く部分も多いのだけれど、発想はそこで閉じてしまうことも多い 個人的にはたとえば、佐々淳行の危機管理に関するは、「頭で書かれた」であるように思う。佐々の危機管理に関する

    masato611
    masato611 2012/10/17
    「nクリックを1クリックにすると商売になる。1クリックを0クリックにすると革命になる」というotsune さんの論は、産業でも同じなのではないかと思う。大きく減らすと商売になる。そこから先に進むと、もしかしたら投じ
  • 制約が楽しさを作り出す - レジデント初期研修用資料

    面白さというものは、「上手な制約の押し付け」が生み出すものなのだと思う。 ユーザーに行なってもらうのは「作業」だけれど、単純作業にルールや制約をかぶせることで、作業をした当人は、それを「判断」とか「学習」、あるいは「成果」だと錯覚する。それが「面白さ」の正体なのだと思う。 戦車の模型とジオラマの関係 小学生の大昔、戦車の模型を組み立てて、ジオラマというものを自分でも作ってみたくて、模型を前に途方に暮れた。子供なりに、模型をどれだけ一生懸命作ったところで、それはよくできた模型ではあっても、その先にジオラマは見えなかった。 田宮模型の出版物だと記憶しているのだけれど、ジオラマの作りかたを探しているうちに、「板に紙粘土を敷き、そこに戦車の模型を置いたら、それはもうジオラマなんです」という文章が目に飛び込んで、あれで前に進めた気がした。板に紙粘土を盛って、そうして作った真っ白な「地面」に模型を置い

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    masato611 2012/10/11
    まっさらな場を用意して好きにやってもらうよりも、むしろ厳密なテンプレートを準備して、「この空欄を、この制約文字数で埋めて下さい」と促すほうが、うまくいくケースが多いのではないかと思う。「楽しい」を生み
  • 不自由さには意味がある - レジデント初期研修用資料

    ネット世界の自由度は増していく一方で、テキストを書いたり検索したり、今はもうほとんどリアルタイムで行うことが出来るようになったけれど、ユーザーの自由度が増すことで、失われるものはけっこう多い。 ユーザーにある種の不自由を押し付けることで得られる効果というものがいくつかあって、そうした不自由を提案するサービスが見てみたいなと思う。 Twitter では隣が見えない Twitter みたいなテキストメディアに全文検索を行うと、目当ての話題に一瞬で到達できる。これは便利である代わり、精度が細かすぎるきらいがある。目当ての単語が定まっているのなら検索は容易だけれど、「だいたいこのあたりの話題」とか、「検索ワードの周辺の会話を探したい」とか、あるいは「今盛り上がっている何か」を探すことが難しい。 テキストメディアに比べると、セカンドライフみたいなアバターを用いたコミュニティはとても不自由に見える。バ

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    masato611 2012/08/31
    ユーザーにある種の不自由を押し付けることで得られる効果というものがいくつかあって、そうした不自由を提案するサービスが見てみたいなと思う。
  • 集まりや盛り上がりを支えるもの - レジデント初期研修用資料

    エジプトの市民革命は、ピーク時には数万人もの人々が広場に集まって、集会は20日間近く続いて、大統領を退陣に追い込んだ。 ああいう大きな人の流れは、もちろん政府当局に対する市民の怒りがあったのだろうけれど、あれは「数万人規模の人々を20日間、広場で生活してもらう」という、イベント運営の側面もあって、兵站や補給の側面から今回の革命を見直すと、とてもよく考えられていたなと思う。 エジプトのデモ広場を案内する記事を見ると、水場やトイレどころか、病院から幼稚園まで準備されていた。テレビで放映されたデモの映像には、人々が集まった真ん中に正円形のテント村が写っていて、集まった人がなんとなく作ったものにしてはずいぶん整った形をしていたのだけれど、実際に現場で行われていたことは、想像をはるかに超えていた。 べて休まないと動けない 学生時代に手伝い要員として参加したイベントでは、集まった学生を「生活させる」

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    masato611 2012/02/15
    ネットで緩くつながった人たちが、ただ集まって盛り上がっただけではこうはならなくて、運営する能力を持った誰かを持たない人の集まりは、「革命」でなく「暴動」になってしまう。
  • 問題と向き合う態度について - レジデント初期研修用資料

    それが勉強であっても遊びであっても、何かの問題に対峙したときには、まずはその問題とどう向き合っていくのか、自分の覚悟というか、計画を「これ」と定めておかないと、努力を積むときの効率がずいぶん変わってくる。 人間の先を超えた人 難しすぎて、人間には攻略不可能なんじゃないかと言われていた「怒首領蜂 大往生 デスレーベル」をクリアした人のインタビュー記事 が興味深くて、未だによく読み返す。 ゲームを攻略するときには、「リソース管理」と「クリア計画」という考えかたがあって、自分にはとても新鮮なものたに思えた。 <引用> クリアの計画とは普通のシューティングゲームを攻略する場合に使う大局的な考え方で、コンティニューしても何でも良いのでとりあえず1回ラスボスを拝むところまでプレイした後に、ラスボスを倒すためには何が必要かを見積ります。 具体的には、まずラスボスを確実に倒すためには残機が何機必要で、ボム

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    masato611 2011/09/05
    「学んだ知識が役に立った」という体験は、学習に対する報酬になって、勉強が長続きする。勉強が修行であった人は、ある問題を乗り越えて以降、もしかしたら勉強を放棄してしまう。努力して免許を取って、それ以降の
  • 出会いの効用 - レジデント初期研修用資料

    何かを探すのと、出会うのと、そこに到達する手段が異なると、自身が受ける影響もまた異なってくる。 偶然の出会いを期待するのに比べれば、探すやりかたは圧倒的に効率がいいけれど、ランダムな何かを摂取することは、効率以上に重要であることも多い。 屋さんの平積みは面白い インターネットでは、自分に興味のある何かを検索して、ほしい情報に到達する機会が多い。ネットを通じて何かを探索していると、好ましいもの、自分の文脈から見て違和感のないものはいくらでも手に入るのだけれど、これを繰り返していると、初めて読むのに「読む」というよりも「思い出す」ような印象を持つ文章ばかりが目に入るようになってしまう。 はてなブックマークや Tumblr は、自分の興味によらない、ランダムな読み物に行き当たる機会を提供してくれるけれど、文章は短くて、誰かの嗜好に合わせた情報が選りすぐられて提示されるから、やはりこう、効率がよ

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    masato611 2011/08/24
    偶然の出会いを期待するのに比べれば、探すやりかたは圧倒的に効率がいいけれど、ランダムな何かを摂取することは、効率以上に重要であることも多い。
  • 悪い知識は大切 - レジデント初期研修用資料

    道徳は大切だけれど、道徳的な人間を生み出そうと思ったときに、道徳だけを教えたのでは片手落ちなのだと思う。道徳というものは、不道徳な「悪い知識」を土台にすることで、初めて堅固な力を持てる。 道徳の効用 理念や道徳というものは、「手続きに従えば簡単に扱える人間」を作る手段として役に立つ。 道徳を、道徳単体として「正しいものだ」と習った人は、道徳的に基づいて何かを促されると逆らえないし、よしんば法律に違反するようなことを命じられても、それが「道徳的なのだ」と強弁されると、高い可能性でそれに従ってくれる。 他人を陥れる方法や、欺瞞を運用して誰かに特定の振る舞いを強要する方法を教わった人は、人を操作するための手続きを見破ることができる。こういう知識を持った人は、運用された道徳から自由でいられて、結果としてたぶん、道徳や理念はどういうものが好ましいのか、自分の頭で考えられる。 どちらの人間がより好まし

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    masato611 2011/07/07
    信者の作りかたと教祖の作りかたは全く異なって、信仰が熱心になるほどに、逆説的に、教祖の椅子は遠ざかっていく。新興宗教だけでなく、あらゆる業界に、「教師から学ぶ人」と、「教師を見て学ぶ人」とがいて、学び
  • 法律というカードの切りかた - レジデント初期研修用資料

    「プロ法律家のクレーマー対応術」というの抜き書き。 法律の専門家である弁護士が、「自らの有効な使いかた」を指南してくれる、 おもしろい立ち位置で書かれている。 あくまでも「弁護士に相談できる」という状況でしか役に立たないけれど、 何というか読むと「勝つ予感」がしてくる。 意味のない責任回避が顧客を怒らせる 単なる責任回避は、交渉の成功に何ら貢献しない 企業側が、意味のない責任逃れをする態度を見せることで、「怒れる顧客」が「悪質なクレーマー」へと変貌してしまう 代理店の過失を、たとえば社に持ち込まれたとして、 それを「代理店の問題だからうちは関係ない」といった対応を行ったところで、 その責任逃れは、「社の人」を慰撫する役には立っても、顧客の不満解消には、全く貢献しない メディアを騒がす不祥事などでも、たとえば企業の代表者が「報告を受けていなかった」であったり、 「あれは現場の判断であ

    masato611
    masato611 2009/01/25
    相手から言質を取られないコツは、「自分には決裁権はないが、事実調査については自分が責任者である」という 立ち位置を貫いて、事実関係の確認に集中するということに尽きる
  • レジデント初期研修用資料: 癌の人がこれから困るかも

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 大昔。研修していた病院の夜間外来。がんセンターからの患者さんが紹介されてきた。 体中ドレーンチューブだらけ。山のような麻薬系鎮痛剤。 「末期○○癌の患者様を紹介させていただきます。 貴院でのご加療を希望されています。ターミナルケアをお願いします」 小さな紹介状一通。医療不信と主治医への恨みに満ち満ちた患者さん。 うちにかかったこともない患者さんだったし、研修医風情がこんな人を受け持てば、 絶対トラブルになるからお断りしたけれど、そのあとどうなったんだか。 がんセンターの医師だって人間。トラブルには巻き込まれたくないだろうから、 当はもっとていねいな説明があったはず。 たぶん、病院を去る時点では「今までありがとうございました」の 上っ面の挨

  • 「話が見える」ためには記憶の想起が必要な件 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 話が見えない理由 「先生、403号室の○○さんの検査のことなんですが…」 病棟からのPHS が鳴って、その「○○さん」の件が全く分からなくて、 「話が見えません」と聞き返すことしばしば。 その患者さんの主治医は自分。検査をオーダーしたのは、もちろん主治医。でも「見えない」。 なんでなんだろうと思っていたら、「記憶の想起」のしかたというのが、 職種ごとに違うためなんだと気がついた。 医師は、患者さんを経過で記憶するから、「病名」と「今までの出来事」で想起する 看護師さんは病棟の住人だから、患者さんを「名前」と「部屋番号」で想起する 医師は人につくけれど、看護職の人は場所につく。 時間軸を重んじる歴史的な理解のしかたと、属性や部屋番号のような地理

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