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八景に関するmatsunagaのブックマーク (6)

  • 太宰治の東京を巡る(帝大時代編)

    3月 弘前高等学校を卒業 4月 郷区台町1番地小山とめ方に宿泊、 4月 東京帝国大学文学部仏蘭西文学科入学、戸塚諏訪町250番地の常盤館に下宿 6月 兄圭治死去 9月 初代、東京に出奔 11月 所柳島の大工の棟梁の家の二階に転居 11月 ホリウットで田辺あつみと親しくなる 11月28日 夜半、鎌倉郡腰越町小動崎にて心中 12月 荏原郡大崎町下大崎の北芳四郎方に滞在 12月 上旬、起訴猶予となる <郷区台町1番地小山とめ方> 昭和5年3月、太宰治(この頃は津島修治)は弘前高等学校から東京帝国大学に入学するため上京してきます。その当時の事を大高勝次郎が「太宰治の思い出」で書いています。「昭和五年三月、私たちは東京帝大受験のため上京した。津島は郷区森川町の下宿屋に宿を取ったが、わざわざ生家から、夜具類を送らせるという入念さであつた。」、当に”お坊っちゃま”だったようです。又、「太宰治に

    matsunaga
    matsunaga 2009/04/15
    東京八景
  • 太宰治 東京八景 (苦難の或人に贈る)

    伊豆の南、温泉が湧き出ているというだけで、他には何一つとるところの無い、つまらぬ山村である。戸数三十という感じである。こんなところは、宿泊料も安いであろうという、理由だけで、私はその索寞(さくばく)たる山村を選んだ。昭和十五年、七月三日の事である。その頃は、私にも、少しお金の余裕があったのである。けれども、それから先の事は、やはり真暗であった。小説が少しも書けなくなる事だってあるかも知れない。二箇月間、小説が全く書けなかったら、私は、もとの無一文になる筈である。思えば、心細い余裕であったが、私にとっては、それだけの余裕でも、この十年間、はじめての事であったのである。私が東京で生活をはじめたのは、昭和五年の春である。そのころ既に私は、Hという女と共同の家を持っていた。田舎の長兄から、月々充分の金を送ってもらっていたのだが、ばかな二人は、贅沢(ぜいたく)を戒め合っていながらも、月末には必ず質屋

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  • ポスターセッション10

  • 東京八景

  • 広重の八景物

    八景物とは、元々中国の北宋の時代(11世紀〜12世紀)に成立した画題である「瀟湘八 景(しょうしょうはっけい)」に倣(なら)った八種の風景を描いた浮世絵のことである。元となった瀟湘八景とは、中国湖南省の洞庭湖の南、瀟水,湘水とい う2つの河川が流れ出るあたりから、四季・四時に応じた八つの印象的な風景を選び取ったものであり、次の八つである。 平沙落雁(へいさらくがん) 秋の雁が鍵になって干潟に舞い降りてくる風景 遠浦帰帆(おんぽきはん) 帆掛け船が夕暮れに遠方より戻ってくる風景 山市晴嵐(さんしせいらん) 山里が山霞に煙ってかすみ見える風景 江天暮雪(こうてんぼせつ) 日暮れの河の上に舞い降る雪の風景 洞庭秋月(どうていしゅうげつ)   洞庭湖の上にさえ渡る秋の月 瀟湘夜雨(しょうしょうやう) 瀟湘の上に夜もの寂しく降る雨の風景 煙寺晩鐘(えんじばんしょう) 夕霧に煙る遠くの寺より響いてくる

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