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増田文学に関するmkyuriのブックマーク (23)

  • 旅が終わる気がする

    私の故郷はとても寒い場所にあって、そこで大人になるまで暮らしていました。 事情があって町を出てから初めて、あぁ、私はここから当に離れたかったのだなと気がつきました。 一人暮らしを始めた日は大雨警報が出ていて、ラジオからは空港で足止めになった人がインタビューを受ける声が聞こえました。 これから暮らす知らない街は嫌がらせのように道が入り組んでいて、番地の順番はひどく不規則でした。土砂降りの中、散々迷ってほうほうのていでアパートに辿り着いたとき、私は全身ずぶ濡れで、まるで服のままシャワーを浴びたかのようでした。 電気がまだ通っていなかったので部屋の中は真っ暗でした。ドアを開けると、安くて古い家特有の匂いがして、一歩進むごとに床がぎしぎし鳴りました。アパートの廊下の灯りに照らされて、自分だけの部屋に一人佇む私のシルエットが浮かぶのが見えました。 それを見た瞬間、お腹の底からわーっと力強いエネルギ

    旅が終わる気がする
  • 思い出のこと

    BPM128の4つ打ちキックは心拍音。 そんなクッソどーでもいいトリビアが、なんでかアタシの頭に引っ掛かり続ける。 ○ 「お客さん、意味分かんないよ」 あきらかにくたびれたふうのサラリーマン。下からのぞく息子のよそおいも、割と似たり寄ったりだ。 まーた面倒くさい客だよ、オーナーもいいかげん、どんだけアタシを廃品処理に回すのが好きなんだ。 客が仕切りの向こう、天井に掛かるスピーカーを指差す。 ずんどこやかましいダンスミュージュクが、アタシの脳天をゆっさゆっさと揺さぶってくる。 きっと揺さぶられすぎて、あの頃のアタシは脳しんとうにでもなってたんだろう。 「あれな。ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンって言ってんじゃん」 「それがキック?」 「そう。まぁ床を足で踏み鳴らすみたいだし、キック。そいつが1分間に128回。ダンスミュージックって、これより速くも、遅くもない」 「へー。で?」 もう全然興味わかな

    思い出のこと
  • 「行きつけのバー」のススメ

    「行きつけのバー」 男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。 僕が手に入れたきっかけは、なかなかに面白いものだった。 大学卒業後、某メーカーの営業職に就職した僕だが、 とある日の外回りで危機的な状況に陥っていた。 「ヤバイ……。う○こしたい……下痢っぽい……」 夕方を過ぎ、最後の訪問先に向かう寂れた商店街で、 僕は冷や汗をかきながらトイレを探していた。 しかし周囲はシャッターの閉じた店ばかり。 トイレを貸してくれそうな店はない。 (こうなったら路地裏でぶっ放すしかないか……) そう思った時に目の前で店のシャッターを開ける、 年の頃60位だろうか、自分の父親と同じくらいの男性がいた。 僕はなりふり構わず、その男性に 「すみません。お腹を下してしまって、トイレを貸してはいただけないでしょうか」 と、持ちうる限り最大限の丁寧さでお願いした。すると男性は、 「いいけど、なんか飲

    「行きつけのバー」のススメ
  • ネカマをやっていた頃

    俺はこれまでの人生で半年だけ無職だった時期がある。ネカマをやっていたのはその頃のことだ。26才だった。小人閑居して不善をなす。まったくその通りだと思う。つまらない人間に暇を与えるとろくなことをしない。 きっかけは2ちゃんだった。当時、俺は2ちゃんに入り浸っていた。ある日、表現規制について議論になった。その時に誰かが俺に言った。 「だから女はダメなんだ」 面らった。俺を女だと決めつける奴が現れたのだ。その時はネカマだったわけではない。向こうが勝手に勘違いしたのだ。俺はなんとなく楽しくなり、そのまま女として振る舞った。すると誰もがそういう前提で話しかけてきた。議論そのものよりそっちが楽しくなった。 それから俺はネカマに目覚めた。しばらくは2ちゃんが主戦場だったが、やがて色々な場所に書き込むようになった。ツイッター、チャットルーム、増田。ネカマをやっていていちばん驚いたのは、なんと言っても

    ネカマをやっていた頃
  • 旅行の荷造りだけをする

    趣味旅行かばんに荷物をつめている。旅行には行かない。 東急ハンズ、ダイソーなどで便利そうな道具を買う。そして旅行かばんに荷造りをする。そして便利なのかを評価する。旅行には行かない。 旅行代理店でパンフレットをもらってくる。説明は聞かない。その旅程を見て、かばんを選び、荷造りをする。旅行には行かない。 作り終わった旅行かばんを持って出かける。なにかを買うのではない。旅行かばんを手にしたり、引き歩いたりして、街を行く。これは旅行ではない。 駅で電車を待ってみる。いくつも待ってみる。空港まで行ってみる。かばんを手にして歩く。旅行じゃない。 帰宅して、荷解きをする。空になった旅行かばんをきれいにして片付ける。 まっしろなパスポートを見る。やっぱり旅行に行っていない。 いつだって、どこにでもいける。すぐにいける。その練習。あと、まだいかなくていいや、とわかるために。旅行には行かない。

    旅行の荷造りだけをする
  • なんか結婚できた

    今年の2月に結婚したのだが、そこに至るまでの経緯がかなり変わっているので、ちょっと文章に残しておこうと思う。 彼女と最初に会ったのは13年前なのだが、最近までほとんどまともに会話したことがなかった。 最初に会ったのは留学先のトロントだった。バイトしていた和レストランで、数回だけ彼女とシフトが重なった。その店は日人の留学生を積極的に雇っていた。 彼女は僕より先に帰国した。連絡先を交換することもなく、軽く挨拶だけして別れた。特に仲良くなったわけでもなかった。 数年後、彼女はマッサージ嬢になっていた。いわゆるグレーな店ってやつだ。僕はサラリーマンになっていた。会社帰りに先輩と酒を飲んで、酔った勢いで入った店に彼女がいたのだ。体のラインがくっきり見える白いワンピースを着ていた。スカートはパンツが見えるぐらい短くて、とんでもなくエロかった。お互いに顔を見合わせて、アッという顔をしたが、それ以上は

    なんか結婚できた
    mkyuri
    mkyuri 2017/08/30
    短編の練習で書いたつもりなのにみんな勝手に信じ込んで祝ってきて困惑する増田
  • 30才になってしまった。

    30才になってしまった。 つくづく思う。若さがもたらすエネルギーはすごい。10代の頃を思い返すと、とても正気だったとは思えない。 誕生日の記念に自分の人生をざっと振り返ってみたい。長くなるか、すぐに終るか、それは書いてみないとわからない。 2年前からイーストヴィレッジのセントマークスで仲間達とバーをやっている。大抵はヒップホップがかかっている。客層は黒人、日人、ヒスパニック。 日酒がメインのバーにするはずだったが、すぐにうやむやになってしまった。夏はフレンチスタイルのパナシェがよく売れる。地元の人がこれを読んだら、もう場所を特定できてしまうと思う。 大儲けとはいえないが、店はそれなりに繁盛している。僕はほぼ毎日カウンターかDJブースにいる。ちなみに趣味はボディビルで、アマチュアの大会で2回ほど入賞したことがある。 まさか自分がこんな生活を送るようになるとは思わなかった。中学生の頃は、江

    30才になってしまった。
  • 最近食べていないもの

    編 ピザ……………………1988年、デパートの大堂 冷麺……………………1989年、映画館の帰り 寿司……………………1990年、親戚の家で ハンバーグ…………1990年、ファミリーレストラン ドーナツ……………1991年、ミスタードーナツ 焼き肉…………………1992年、焼き肉店で家族と 天ぷら…………………1993年、旅行帰りの駅の堂街で ステーキ……………1994年、親戚に連れられてのステーキハウス チャーハン…………1994年、家族でのバイキング ハンバーガー……1995年、友人マクドナルドで 鍋焼きうどん……1995年、病院帰りに母と 牛丼………………………2000年、二次会明けに パスタ…………………2001年、友人の通夜帰りに ラーメン……………2002年、雀荘 焼き鳥…………………2003年、飲み会 ホットドッグ……2005年、ひとりで 懐石………………………20

    最近食べていないもの
  • 毎朝、立ち食いコロッケそばを食べている

    わたしではなく、30歳ぐらいの女性が。 しかも知り合いではなく、赤の他人だ。 わたしが毎日自宅から最寄り駅につくと、改札をくぐる前に、 朝代わりに月見そばをべる習慣が5年ぐらい続いてる。 そんなある日、 わたしと同じように、30歳ぐらいのメガネの女性が 毎朝、コロッケそばをべていることに気がついた。 遡って考えてみれば、ここ半年ぐらいは続いているだろうか。 さすがに昨年末ぐらいからは、お互いを顔見知り程度には認知しており、 忙しくそばをすすりながらも、 「あ、また会いましたね!」という感じで軽く会釈をするようになった。 ところで、わたしは毎朝月見そばをべているが、コロッケそばなるものをたべたことがない。 たまに気分を変えてもせいぜいきつねそばか、きざみそばぐらいだろう。 ただ、コロッケそばというものには興味が惹かれる。 どうやってべるのかと思い、ちらりと横でたべている彼女の様子を

    毎朝、立ち食いコロッケそばを食べている
  • 1人で初ラブホテルに行った

    初めてラブホテルに行った。ただし1人で。理由は興味位。聞いた話では、ラブホの内装の豪華さや部屋の広さはビジネスホテルの比ではなく素晴らしいという。しかも価格はビジネスホテルとさほど変わらず、宿泊せず日帰りなら「休憩」という扱いでさらに安くなる。豪華で安いとは、それだけで興味を惹かれるではないか。そんな素敵な施設たちが、どれも性行為のために建てられているというのもまた興味をそそる。では実際に行ってみようと思ったわけだ。(恋人を作って2人で行ったほうが楽しかろうということは承知しているが、恋するアテがないので1人だ。) まず地元のラブホを検索してみたが、どれも市街地から離れていて微妙に行きづらい場所にある。車があれば簡単なのだが、そのためには親の車を借りねばならない。行き先を親に尋ねられては面倒だから、やっぱりバスで行こう。早速バスに乗り、30分くらいして降りた。それからラブホまで1km以上

    1人で初ラブホテルに行った
  • 教師との恋愛という罪の告白

    先生と出会ったのは、わたしが中学生の時です。彼は大学院を卒業後、国語の非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長は10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。 当時のわたしは、授業中は寝ているか、教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生。わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。 気持ちが変わったのは、制服のシャツが半袖に変わり始めた頃で

    教師との恋愛という罪の告白
    mkyuri
    mkyuri 2017/02/12
    教師と生徒が付き合ってたパターンは何件か知ってるけど、これは流石に何故もっと創作臭を消さなかったのか
  • 宝石を食べる

    会社からの帰りにふと思い立ち、宝石を買うためにスーパーに寄った。 買い物カゴを手に取り、奥の方に進んでいくと、肉コーナーと鮮魚コーナーの間に宝石コーナーがある。 そこではルビーやエメラルドやメノウなど、だいたいの宝石が売っている。 私はそれらを品定めしながら、帰ったら宝石をどのように調理しようか考えていた。 私は、宝石の中では翡翠が一番好きである。甘いような、少し酸っぱいような味は和にもよく合うし、冷蔵庫で冷やしたものをそのままべても美味しい。 しかし、残念な事に翡翠は既に売り切れていたので、色々悩んだ結果、ガーネットと真珠とサファイアを買うことにした。 ガーネットはザクロ石という別名の通り、少し茶色がかった透き通った赤色で、球状の粒がザクロのように塊になっている。 味は酸っぱくもなく苦味もないのでべやすい。干し柿の甘さに似ている。 真珠はプニプニとした感に好き嫌いが分かれるが、今

    宝石を食べる
  • もちが禁止されてから10年が経った

    もう今では、を販売することも、自宅で作ることも所持も許されない。違反した人には、懲役3年以内の刑に処される。 禁止された理由は簡単。過去に多くの人がで喉を詰まらせ、が人を殺してきたからだ。 俺自身もまさかが規制されるとは思ってなかったが、様々な運動や事件が(規制派にとっては)うまくハマってしまい、が規制されることになった。 きっかけは、ある自治体が住民に対して、野外でのつきを禁止したことだった。 これは、表向きは集団中毒を防ぐため、とのことだったが、明らかにによる死亡事故の責任を負いたくない自治体の責任逃れだと批判が集まった。 この時の世論は、�「つきは日の伝統。できないのは残念だ」という思いがほとんどであった。 このニュースが全国ニュースで流れ、はてぶで炎上し始め、つき禁止はおかしい、伝統を守れ、という意見が流れ、抗議集会が各地で開かれることになった。 趣旨として

    もちが禁止されてから10年が経った
  • むかしむかしあるところに

    おじいさんとおばあさんと桃太郎がいました。 おじいさんは山へしばきに、おばあさんは川へ洗濯に、桃太郎は家で寝ていました。 おばあさんが川で洗濯していると、向こうの方から大きな桃が「どんぶらこ! どんぶらこ!」と流れてきました。 おばあさんはそれを見るなり川に入り、桃を見事に受け止めました。 おばあさんは大きな桃を持って家に帰り、おじいさんが帰ってくるのを待ちました。 桃太郎は寝ていました。 しばき終わったおじいさんが山から帰ってくるとおばあさんは言いました。 「じいさんや」 「なんじゃばあさんや」 「大きな桃を拾いましたぞい」 「なんじゃばあさんや」 「おいしそうな桃じゃありませんか」 「なんじゃばあさんや」 おばあさんは台所に行って包丁を手に取りました。 その時です。 寝ていたはずの桃太郎がおばあさんの手を握って首を振っています。 「それはいけない」 桃太郎は毅然と言いました。 「タイム

    むかしむかしあるところに
  • 昔くのいちを助けたことがある

    その頃東池袋に住んでいた。2008年ころのことだ。 週末の、もう土曜だったか金曜だったか忘れたが、とにかく次の日が休みの日だった。 赤羽からでた最終列車。池袋に到着。下車すれば大いなる酔客の群れ。上り階段に座り込む男。イチャイチャする初老の男女。「お持ち帰り」を狙う若い学生。 タクシー乗り場には長蛇の列。ストリートミュージシャン。人いきれ。8月末の暑苦しい夜のことだ。 喧噪を尻目に帰路につく。向原付近のビルの谷間に、くのいちがいた。正確に言うとエアコンの排気ダストの蔭にもたれ込んでいた。 あの例のお約束の、裾の短い装束。あわてて小刀を携えるが、私が一般人だとすぐに認識して警戒を解き、去るように眼で促す。 私はこの時点で此奴はコスプレでやってるんじゃあない、ガチだ、と認識した。それだけの説得力が、彼女のその少ない仕草から充分に伺い得たのだ。 読者諸君は「まさか」と思うだろう。しかし諸君のなか

    昔くのいちを助けたことがある
  • 処女とタンポン

    この世に生まれ落ちて二十数年 膣に異物を受け入れることなくこの生涯を過ごしてきた私ですが、日タンポンを経験しました もうこれほぼほぼ初体験ってことでいいんじゃない? インサイド 異物 初体験だよ 喪失といって過言でない 始めては付き合って一年目のクリスマス、歯磨きさせてよっていいながらちょっとバジルチキンの香りのするキスをしてからみたいな幻想がね ソフィのソフトタンポンスーパーに奪われましてね もうこいつとスパイシーなキスするしかないのかなってそんなことを考えてます ===== 大体想像以上にでかいんだよアレ いや初めてなのにスーパー(多い日用)をチョイスした私が悪いのかもしれないけども袋から出した瞬間「えっデカ……」ってなったわ エロ同人で時々あるじゃんノリノリビッチが主人公のパンツ下ろして「うわ、デカ…」ってちょっと引く奴 あれね男性目線ではどう思うのか処女知らないけど、あれ、気で

    処女とタンポン
  • 映画館に行った話

    よく知らないタイトルの映画だった。朝のテレビ番組とかで紹介されていたような気もするが、タイトルすら覚えていないあたり関心がなかったのだろう。それでも、叔母の代わりに私は映画館に足を運ばなくてはならなかった。 叔母はその映画自体か、或いは出ている役者だかのファンなのかは知らないが、何度も観に行くリピーターだった。だが急な仕事が入り、前売りチケットもあるだとかで、来場特典だけでも貰ってきてくれと私に頼んできたわけだ。 気乗りはしなかったが、叔母の心象を悪くしてまで断る理由を私は持ち合わせていない。叔母もそのことを分かっているから、私に頼んだのだろうけれども。こういうとき、融通のきく職業はツライと思う。 映画館に行く前日にネットで場所は調べておく。その際に映画の概要などにも目を通したが、やはり私の趣味ではないと感じた。どういうニーズに向けて作られたかは明白だったし、そこに私はいない。観てみたら、

    映画館に行った話
  • ホチキス貯金してる

    ボトルガムの箱に、ホチキスの芯を貯めている。綴じたあとに間違いに気づいて外したホチキス、上司から「以下の通り」を「以下のとおり」に修正しろといわれて外したホチキス、書類の順番が違うと経理に言われて外したホチキス、を、捨てないで、延々と溜めている。 このボトルガムの箱がいっぱいになったら辞表をだすのだ。 理不尽に電話口で怒鳴られたとき、ボトルガムの箱をみると気持ちが安らぐ。あともう少し。 ときどきとなりの席のひとが、私のボトルガムの箱に、捨てるはずのホチキス芯を入れているのを知っている。

    ホチキス貯金してる
  • 私の記憶の始まりは、田舎に向かう新幹線の途中。 全く知らないおじさんに..

    私の記憶の始まりは、田舎に向かう新幹線の途中。 全く知らないおじさんに話しかけて、遊んでもらっていた。 一緒に乗ってたのはお母さんと妹。お母さんは妹をきつく抱いて、私が遊び呆けているのを黙って見ていた。 しばらく乗って、薄暗い駅に降り立った。おじさんが迎えにきて、私たちを車に乗せた。途中、おじさんがタコの吸盤の話をし始め、その話があまりにも怖くて大人になるまでタコがべれなかった。 これは、私と、ちょっと変わったお母さんのお話です。 お母さんはほどなくして、パートを始めた。スーパーのフードコートでのアイスクリーム売りが彼女のお仕事だった。 私はその当時4歳。お母さんはずっと働きに出ていなかったから、おじいちゃんに主に遊んでもらっていた。おじいちゃんは新聞の漢字を私に教えるのが大好きで、そのおかげか6歳になるころには赤川次郎の三毛ホームズくらいなら読めるようになっていた。 絵を描くのも大好

    私の記憶の始まりは、田舎に向かう新幹線の途中。 全く知らないおじさんに..
  • 猫色素

    今日は何だか飼いの色が全体的に薄く見える 毛の色も口の中の色も薄い のことだから、その日の気分で存在の希薄さを自由に変えられるのかもしれない

    猫色素