2011年3月の東日本大震災翌日に震度6強を観測、村民3人が災害関連死と認定された長野県栄村で地震から10年となった12日、追悼の式典が行われた。JR森宮野原駅前に雪を約8メートルの高さに盛り、雪の中に掘った穴に子どもたちがキャンドルを並べ「3.12栄村きぼう」の文字を浮かび上がらせた。 栄村の地震は、12日午前3時59分に発生。村内の住宅約200棟が全半壊し、当時約2330人だった人口は、震災後の転出や高齢者死去などにより今年1月時点で約1750人に減少した。
00年代にインターネットでその名を馳せたアンサイクロペディアというサイトがある。 言わずと知れたネット百科事典であるWikipediaのパロディというコンセプトで、「誰でも編集できる自由気ままな百科事典」を謳っているサイトである。それがとうとう最終局面を迎えている。 かつてのアンサイクロペディア かつては[[あああああああああ!]]や [[1=2]]など外部で取り上げられるような記事も多く生まれ、10年ほど前にインターネットをやっていた人間なら必ず一度は覗いたことがあるだろう。 2005年の日本語版開設以来順調に規模を拡大し、07年に5000記事、08年には10000記事を達成するなど00年代の終わりに全盛期を迎えていた。 この頃には単なる世相の風刺に留まらず、旬のアニメやエロゲに関する記事など、オタクの総合百科事典としてのちのニコニコ大百科やピクシブ百科事典のような機能も備え、隆盛を極め
仮設住宅を訪れ、子供たちと言葉を交わす天皇、皇后両陛下=長野県栄村で2012年7月19日、小出洋平撮影 天皇、皇后両陛下は19日、東日本大震災の翌日に震度6強の地震があった長野県栄村を訪れ、仮設住宅の住民らを見舞った。昨年から慰問が検討されていたが、天皇陛下が11月に気管支肺炎で入院したことなどからこの時期となった。 両陛下は上越新幹線で新潟県を経由して車で同村に入り、約100人が生活する横倉農村広場仮設住宅を訪ねた。自宅が損壊したという山岸克己さん(58)が「地震の時は死ぬかと思いました」と話すと、天皇陛下は「ご無事でよかったですね」といたわった。島田五十三(いそみ)さん(67)が「ご病気大丈夫ですか」と気遣うと「どうもありがとう。みんな心配してくれて。去年来ようと思ったんですけど、病気でね」と話した。 皇后さまは山岸文子さん(65)に「こちらは豪雪地帯ですから大変でしょう。お体お大事に
■待望の生鮮食料品店オープン 栄村はきょう12日、長野県北部地震から1年を迎える。地震の爪痕が村内に色濃く残っているなか、JR森宮野原駅前に仮設の生鮮食料品店「がんばろう栄村 駅前店」がオープンした。日々の買い物に苦労することが多かったが、店ができたことで村民の負担は大きく減った。課題もあるが、栄村の復興に向けた象徴的な存在になっている。 ◇ 店を経営しているのは村内でキノコの販売などをしている「田舎工房」の社長、石沢一男氏(62)。石沢さんの母親のマサさん(89)と弟の幸男さん(60)が村内で生鮮食料品店を経営していたが、地震で大きな被害を受けて壊れてしまい、店を閉じざるを得なくなった。 ◆再開要望相次ぐ 多額の資金が必要なことから一時は店の再建は難しいとの見方もあったが、店の常連客から「再開してほしい」との要望が相次ぎ、駅前商店街や村役場の後押
栄村大震災(さかえむらだいしんさい)とは、2011年3月12日午前3時59分に発生した、長野県と新潟県の県境を震源地とするマグニチュード6.7、震源の深さ8キロ、最大震度6強[1]という大地震と、その地震による災害のことである。 概要[編集] 栄村とは、長野県北部下水内郡に属する人口2300人あまりの小さな村である。長野県と新潟県との県境に位置し、主な産業といえば農業と林業しかなく、特筆すべき施設と言えばダムしかないような栄村に、2011年3月12日、震度6強の地震が発生する。この段階で、地方自治体としてはもはやどうしようもないレベルである。しかも、本震発生から1時間あまりのうちに、同じ震源域内で震度6弱の余震が2度繰り返される。これは、北信濃の鄙びた寒村に過ぎない栄村に、新潟県中越地震以来の近年まれにみる大災害が訪れたことを意味した。 そして、短時間にわたって繰り返された激しい揺れは栄村
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