ブックマーク / hiiragi-june.hatenadiary.org (19)

  • 「幕間」の本来の読み方 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第154号、通巻174号) 来年4月の公演を最後に建て替え工事が始まる東京・東銀座の歌舞伎座。「さよなら公演」と銘打って今年初めから名作の出し物が続いているが、横浜から貸し切りバスで行く格好の観劇ツアーがあったので、話のタネに、と参加してみた。全体的にはなかなかいい企画だったのだが、気になったのはバスガイドの案内。歌舞伎座でのスケジュール説明で、再三再四「まくま」という言葉を繰り返したのだ。漢字で書けば「幕間」。来は「まくあい」と発音すべき芝居用語である。 「幕間」のことを「まくま」と誤解している人は少なくない。その傾向が最新刊の辞書にも反映し、規範意識の高いことで知られる『岩波国語辞典』第7版に「軽演劇や映画などで俗に〈まくま〉とも言う」と条件付きながら採録された。この記述はしかし、今のところでは突出した例外的な扱いだ。『大辞林』第3版(三省堂)や『現代国語例解辞典』第4版(小学館)

    「幕間」の本来の読み方 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    mojiura
    mojiura 2009/12/21
    幕間(まくあい)、山間(やまあい)、谷間(たにあい)、間着(あいぎ)、間服(あいふく)、間駒(あいごま)、間の手(あいのて)など。なるほど、意味と合致してる。
  • 「形容詞+です」を言い換える工夫  - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第133号、通巻153号) 前回の「形容詞+です」は出張先のホテルで書いたので電子辞書など2、3の参考文献にしか当たることができなかったが、横浜の自宅に戻ってから改めて調べてみると、「形容詞+です」に対する認識は辞書によって相当大きな違いがあることが分かった。 『広辞苑』の扱いについては前回も簡単に触れたが、『三省堂国語辞典』第6版は新語の収録に重点を置き過ぎているせいか、「です」についての説明はわずか4行で済ましている。「断定『だ』の丁寧語。『そうです・いいでしょう』(『であります』は、より丁寧でかたい言い方。『でございます』は、ひじょうに丁寧な言い方)」とあるだけだ。 同じ三省堂の辞書でも中型の『大辞林』第3版になると、語義を一通り説明した後、「語感」にまで踏み込んで以下のように記述している。 [ 形容詞の終止形に付く「楽しいです」「おもしろいです」は現在かなり広がっているが、多少ぎ

    「形容詞+です」を言い換える工夫  - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    mojiura
    mojiura 2009/07/24
    形容詞+です、の問題に対する、具体的な書き換え事例が載ってます。重宝するかも。
  • 2009-07-15 - 言語楼−B級「高等遊民」の戯言|「形容詞+です」表現の是非

    (第132号、通巻152号) 横浜から山形へ。今回のブログは出張先の山形からの発信である。山形新幹線の車中で、数日前に刊行されたばかりの別宮貞徳著『裏返し文章講座 翻訳から考える日語の品格』(ちくま学芸文庫)を読んできたところなので、その感想の一端を題材にした。 別宮氏といえば、英語の欠陥翻訳の指摘を長年続け、その内容を著作に発表してきている英文学者・翻訳家である。こんどの新著は、悪訳にみる日語論とでもいうべき内容のだ。 俎上(そじょう)にあげられた翻訳者は、アダム・スミス著『国富論』の水田洋氏、ジョン・K・ガルブレイス著『不確実性の時代』の都留重人氏やD・H・ロレンス著『チャタレイ夫人の恋人』の伊藤整氏、E・ブロンテ著『嵐が丘』の阿部知二氏といったそうそうたる学者、作家である。ここまで手厳しく批判して大丈夫なのか、とこちらが心配するほどの鋭い筆法なのだが、別宮氏が指摘しているのは正

    2009-07-15 - 言語楼−B級「高等遊民」の戯言|「形容詞+です」表現の是非
    mojiura
    mojiura 2009/07/16
    「うれしいです」の、うまい言い換えが見つからない件。やはり見つからないんだ、と妙に安心してしまう小市民。
  • 「世間ずれ」した人同士だと話も「なし崩し」に「煮詰まる」? - 2009-04-08 - 言語楼−B級「高等遊民」の戯言

    (第118号、通巻138号) 「煮詰まる」という言い方がある。元々の意味は、「煮えて(鍋など容器の中の)汁・水分がなくなる」ことだ。「汁が煮詰まったところで火を止める」などと使われる。その原義が比喩的に転用され、「会議、交渉、話し合いなどで議論が出尽くして論点が絞られ、問題が解決に近づく」の意で「議論が煮詰まった」「計画が煮詰まる」などと用いられることも多い。 この「議論が煮詰まった」を、近年は「行き詰まる」と、逆の意味に解釈する例が目立ってきたという。「議論が煮詰まってしまって、いい考えが浮かばない」、「討論が煮詰まって堂々巡りになり、出席者の頭も働くなくなった」などというのだ。ネットのYAHOO辞書『大辞泉』では、「1950年ころの使用例があるが、広まったのは2000年ころからか」との見方を示している。ほとんどの辞書が認知していない中で、新語・新語法の採録に積極的な『三省堂国語辞典』第

    「世間ずれ」した人同士だと話も「なし崩し」に「煮詰まる」? - 2009-04-08 - 言語楼−B級「高等遊民」の戯言
    mojiura
    mojiura 2009/04/09
    「済し崩し」(借金返済)、「世間擦れ」など。
  • 「慣用読み」に“寛容”でも逸脱し過ぎると… - 2009-01-14 - 言語楼−B級「高等遊民」の戯言

    (第106号、通巻126号) 言葉を題材にこんなブログを書いていると、緩急自在に言葉を操る人間と思われがちだが、私の場合は逆である。たった今、文脈を少々無視して「緩急(かんきゅう)」という言葉を強引に使ったが、学生時代にこの漢字を「だんきゅう」と発音して友人に笑われたり、社会人になってからは「奇(く)しくも」のつもりで「きしくも」と口にして上司から注意されたり、言葉にまつわる失敗は少なくない。このブログはそうした過去の反省にたって始めたものでもある。 漢字のこうした読み方の誤りを揶揄して「百姓読み」とか「田舎読み」とかいう言い方があるが、侮蔑的な響きがあるので、ここでは「我流読み」と名付け、おおざっぱに3種類に分けて取り上げたい。 まず「矜持」型。きのう13日の衆院で第2次補正予算案が採決されたが、焦点だった「定額給付金」をめぐって麻生首相は昨年、高額所得者が給付金をもらうことを「さもしい

    「慣用読み」に“寛容”でも逸脱し過ぎると… - 2009-01-14 - 言語楼−B級「高等遊民」の戯言
  • 「一段落」の正しい読み方 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第99号、通巻119号) 11月22日の夜7時のNHKテレビのニュースを見ていたら、元厚生次官宅連続襲撃事件にからんだニュースの中でアナウンサーが「〜が一段落したら」という個所を「ひとだんらく」と読むのを耳にした。「普通は〈いちだんらく〉と発音するのではなかったろうか」。すぐに手近の小型国語辞典にあたってみたところ、やはり「ひとだんらく」の見出しは載っていなかった。視聴者からクレームがあったのか、NHK内部での指摘なのか、他の項目のニュースに移ってしばらくしてからアナウンサーが、「一段落」の読み方を間違えていました、と訂正した。 このエピソードは、身近な言葉の読み方の変化をめぐる面白い例と思われるので、今回は「一段落」に絞って少々詳しく調べてみた。 正統的な読み方は、もちろん「いちだんらく」である。文化庁が平成7年3月に発行した『言葉に関する問答集 総集編』でも「現在出版されている17種

    「一段落」の正しい読み方 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    mojiura
    mojiura 2008/11/28
    「一段落」の読みかた。正統の「いちだんらく」に対し、「ひとだんらく」派が徐々に勢力を広げている様子。私はあんまりこだわらないほうが良いような気がするので、「ひとだんらく」派の台頭はちょっとだけ嬉しい。
  • 「君子豹変」。本来はいい意味だったのだが… - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第66号、通巻86号) 「君子は豹変す」と言えば、どんなことを思い浮かべるだろうか。プラス的なイメージとマイナス的イメージとの二者択一なら、大半の人がマイナス的イメージの方を選ぶのではあるまいか。 「君子」は、「聖人君子」という熟語があるように「学識、人格共に優れた徳の高い人」という意味だ。現代風に分かりやすく言い換えれば、社会的な地位が高く教養豊かな紳士、といったところか。また、「豹変」は、「性行や態度、意見などががらりと変わること」。そういう二つの語から成り立つ「君子豹変」は、立派な人が機をみて態度や考えを安易に変える、あるいは、突然、性を現して恐ろしい人物に一変する、という否定的な意味で使われることが多い。 しかし、各種の辞書類にあたってみると、上述の用法は来の意味とはどうも違う《注》。例えば『明鏡ことわざ成句使い方辞典』(大修館書店)の説明はこんな具合だ。「君子豹変す、という

    「君子豹変」。本来はいい意味だったのだが… - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    mojiura
    mojiura 2008/04/09
    この場合は「誤用」が「定着」してるとされる。「役不足」や「気が置けない」との違いがどこにあるのか、ちゃんと考えている人はどのくらいいるのだろう。
  • 「役不足」のミステリー - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第63号、通巻83号) 半年前から勤め始めた私の「第二の職場」の周辺は、街並みがしゃれているせいか、しばしばTVドラマのロケ地になる。つい2週間ほど前には、テレビ朝日の「赤川次郎ミステリー4姉妹探偵団」(最終回)の撮影が行われ、そのロケ・シーン入りのドラマが1週間後に放映された。普段は見ない番組だが、ロケで興味をそそられていたので途中から見始めたところ、台詞に「役不足」という語を使った言い回しが何回も出てくるのに気付いた。前回のブログで予告していたように、私が次に取り上げるつもりでいた題材だ。 偶然にもその「役不足」という言葉がドラマのキーワードになっていたようなのだが、「君が(交際)相手じゃ○○には役不足だ」、「あんたこそ○○さんには役不足だよ」などという使い方にどこか違和感があった。 「役不足」とは、『明鏡国語辞典』(大修館書店)の語釈を借りれば、「その人の力量に比べて与えられた役目

    「役不足」のミステリー - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    mojiura
    mojiura 2008/03/24
    誤用は正反対の意味だから重大、とみなが言うわりには、この誤用が原因で致命的な問題が発生したのを見たことがない。どちらかというと誤用云々より、「役不足」という文化価値観そのものの衰退のほうが問題かも。
  • 一人で大笑いしても「爆笑」とは言わない - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第61号、通巻81号) 前号で当ブログの5万pv突破を報告したばかりだが、実はまた記録が生まれた。先週の水曜日の更新から今日3月5日の更新までの1週間のpv数が2300を超えたのである。これまでは週平均1000前後、多くても1600台だったから、地味な当ブログとしては1週間のアクセス数が2300台とは信じられぬ数字だ。つい一人ほくそ笑んでしまう。 笑うといえば、5日付け朝日新聞朝刊の「ひと」欄に、「笑い測定機」なる愉快な装置を開発した大学教授の紹介記事が載っていた。以下はその書き出し部分だ。 〈 人間の笑いを数値化し、アッハ(aH)という単位で表す装置を開発した。「笑いを測定するなんて、アホな機械でしょ? ウハハハハッ」。笑うのが大好きだ。映画館でも面白いシーンには大爆笑。「まわりのお客さんから、白い目で見られます。大学の教授会でも、笑いすぎて怒られちゃった」 〉 この記事にある「大爆笑

    一人で大笑いしても「爆笑」とは言わない - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    mojiura
    mojiura 2008/03/08
    ここで問題にしてる「爆笑」とかは、そもそもジャンクな用法として使ってるわけだから、辞書の意味と違うのが当たり前では?、と思う。辞書と違うからジャンクなニュアンスが出てよいのでは?、と思う。
  • 「雨模様」とは、降っているのか、いないのか - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第59号、通巻79号) 文化庁の「国語に関する世論調査」(平成15年度)には「雨模様」の意味を尋ねる質問もあった。設問に添えられた例文は「外は雨模様だ」というものだ。この文の回答は、1)「小雨が降ったりやんだりしている様子」45.2パーセント、2)「雨が降りそうな様子」38.0パーセント、3)「分からない」1.1パーセントだった。文化庁が、来の意味、としているのは、2)の「雨が降りそうな様子」である《注1》。 現実にはどんな使い方をしているか。試みにインターネットで「雨模様とは」を検索してみたところ、「前日(昨日)までの雨模様とはうって変わって青空が……」という表現が枚挙にいとまないほど出てくる。ほとんど定型化しているといってもよい。また、「雨模様」を対象にした検索では、「昨日とは一転、朝から生憎の雨模様……」などと「今、現に降っている」という意味での言い回しが目立つ。 各種の辞書を引

    「雨模様」とは、降っているのか、いないのか - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    mojiura
    mojiura 2008/02/20
    そういわれると、たしかに、あいまいな意味で使っています。なるほど。
  • 「さわり」は、話の「出だし」か「聞かせどころ」か「要点」か ?! - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第58号、通巻78号) 前回のブログは、予想外に反響が大きかったので、今回も引き続いて文化庁の「国語に関する世論調査」(平成15年度)の結果の中から興味を引きそうな語句を一つ取り上げてみたい。 調査の内容を紹介した記事には「さわり」という語句もあった。「話のさわりだけ聞かせる」の例文を挙げて、1)話などの最初の部分のこと、2)話などの要点のこと、3)分からない、の3種類の回答の割合を示している。1)は59.3パーセント、2)は31.1パーセント、3)4.8パーセントという結果で、調査した文化庁によれば、来の意味は、2)の「話の要点」としている。 たしかに、「話の最初の部分」というのは間違いである。『現代国語例解辞典』第4版が、「曲や話の出だしの意で用いるのは誤り」とわざわざ注記している通りだ。しかし、文化庁が来の意味とした「話の要点」という解釈も、私に言わせれば必ずしも正しいとは思え

    「さわり」は、話の「出だし」か「聞かせどころ」か「要点」か ?! - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    mojiura
    mojiura 2008/02/15
    「出だし部分」だと信じていました。違ってたとは……。人生死ぬまで勉強です。
  • 「綺羅(きら)星」という星はあるのか - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第48号、通巻68号) 「外野には『青バット』の大下弘。そしてベンチの知将、三原脩。そこに鋼の腕が加わる。野武士軍団のきら星が、男の子たちを午後の空き地に走らせた」。鉄腕投手と言われた稲尾和久さんの死を悼んだ11月14日付け朝日新聞朝刊の「天声人語」の一節だ。この中の「きら星」という単語を目にしてなにかひっかかりを覚えた。 はるか昔の高校時代、国語の授業で「綺羅星の如く」という言葉は「綺羅、星の如く」と「綺羅」の後を区切るのが正しい、と教えられたことを思い出したからだ。『明鏡ことわざ成句使い方辞典』(大修館書店)を開いてみたところ、次のような説明が載っていた。 [1.華やかな存在の人々や、立派な実力者がずらりと並ぶさまを形容して使う。「綺」は綾織りの絹布、「羅」は透けるように薄い絹布。「綺羅」は美しく、華やかな衣装をいう。2.「綺羅星」という星はない。「綺羅、星の如く」のように切るのが正

    「綺羅(きら)星」という星はあるのか - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    mojiura
    mojiura 2007/12/06
    「300年以上も前から使われていた」ことを根拠に「簡単に『誤用』と決めつけるわけにはいかない」とある。そもそも 300 年前も含めて誤用では?、という思い付きを、どうしたらいいだろう。
  • 「木枯らし1号」はあるが「2号」「3号」はない - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第46号、通巻66号) 春先に最初に吹く強風を「春一番」というのに対して、冬の訪れを告げる強風は「木枯らし1号」。「一番」ではなく、なぜか「1号」という。今年の「木枯らし1号」は、東京地方、近畿地方とも3日前の11月18日に観測された。東京は昨年より6日、近畿は11日遅いという。 木枯らしとは、その名の通り、木々を枯らしてしまうような寒風を指す。「凩」とも表記するが、気象庁の「基準」によれば、以下の条件を満たした最初の日の風が「木枯らし一号」として発表される。 1)10月半ば頃から11月末日までの間に 2)気圧配置が西高東低の冬型になっている条件下で、 3)風力5以上(風速8メートル/秒)で吹いた北寄り(北から西北西)の強い季節風。 「春一番」の定義をひっくり返して、冬向けバージョンにした感じの内容だ。しかし、春には「春二番」「春三番」《注1》と“後続”の風にも名があるのに、晩秋から初冬

    「木枯らし1号」はあるが「2号」「3号」はない - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    mojiura
    mojiura 2007/11/21
    言われてみると、確かに、ない。
  • ハリウッドを「聖林」と書くのは誤訳 - 言語楼?B級「高等遊民」の戯言

    (第45号、通巻65号) 11月も半ばになると、師走商戦をあおるようにクリスマス・ソングが聞こえてくる。つい、「聖夜」という言葉が思い浮かぶ。その連想で次に出てくる言葉がなぜか「聖林」だ。映画の都と言われた米国のハリウッドを指す当て字である。 近頃は、映画よりカリフォルニアで相次ぐ山火事のニュースの方で見かけることが多くなった地名だ。英語では‘Hollywood’だが、あえて漢字で書く時は「聖林」とするのが日では定着している。一見、なるほど、と思わせる訳ではあるが、実はとんだ誤訳なのである《注1》。 ‘Holywood’なら‘holy’が「神聖な、聖なる」という意味の形容詞だから「聖林」と訳して自然だが、実はハリウッドの英語地名の前半は‘holy’ではなく、‘l’が一つ多い‘holly’である。日語にすると、木のヒイラギ(柊)のこと《注2》。したがって漢字で表記するなら「柊林」とでもす

    ハリウッドを「聖林」と書くのは誤訳 - 言語楼?B級「高等遊民」の戯言
    mojiura
    mojiura 2007/11/14
    「《参考》 ハリウッドに、セイヨウヒイラギが格別多く生育しているわけではないようだ」とのこと。なるほど。
  • 言語楼―B級「高等遊民」の戯言 - 「立ち上げる」はパソコンから生まれた新語?!          

    (第35号、通巻55号) パソコンが普及するにつれ、様々な新語が生まれた。インターネット、インストール、ソフト、Eメール、フリーズ、マウス、クリック…。今ご覧いただいている『言語郎』という珍妙なタイトルのブログ。この「ブログ」という用語自体も一般に広まってからまだ10年もたっていない新参者だ。 パソコン、もっと広げてI T 関連の新語というと、英語から日語に入ったカタカナ語がほとんどすべて、と思われがちだ。しかし、数はそれほど多くないものの、昔からある日語の語彙にも影響は及んでいるのである。 中でも注目すべき例は「立ち上げる」という動詞だ。単に「パソコンを立ち上げる」と使うのが一般的だが、最近は他の分野にも転用され「ベンチャー企業を立ち上げた」とか「チームを立ち上げる」とか、なにか大きな企画、事業を始める時に使われるようになった。 ところが、この「立ち上げる」という語そのものが“新語”

    言語楼―B級「高等遊民」の戯言 - 「立ち上げる」はパソコンから生まれた新語?!          
    mojiura
    mojiura 2007/11/14
    「立ち上げる」は(注にあるような妙に古いのではなく近代国語にも)あると思うのですが、どうなんでしょう。辞書は基本的に「まゆつば」だと思ってるので、ちょっと気になりました。
  • 「先斗町」と「有平塘」の意外な共通項 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第41号、通巻61号) 標題にある「先斗町」は、改めて言うまでもなく京都の有名な花街であり、代表的な観光スポットでもある。もう一つの「有平糖」は飴菓子の一種だ。一見、互いに関係なそうなこの二つの語の間に、実は隠れた共通項があるのである。 有平糖を製造販売している菓子店は全国各地にある。だから、先斗町ならではの銘菓というわけではない。結論を先に言えば、どちらもポルトガル語由来の日語ということである。 それを知るきっかけになったのは、「第二の職場」で、はるか年下の女性スタッフがつぶやいたひと言だった。リタイア後、思わぬ巡り合わせから突然再び「通勤定期」を使うことになって間もないある秋の日の午後のこと。差し入れの「おやつ」のお相伴にあずかった。おやつの袋に小さく印刷してあったのが「有平糖」という3文字だった。「これ、なんて読むのかしら」。 「ありへいとう」「あるへいとう」「ゆうへいとう」。最

    「先斗町」と「有平塘」の意外な共通項 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    mojiura
    mojiura 2007/10/18
    「有平糖」の読み。諸説あるみたい。
  • 「天地無用」は「上下」だけの問題なのか  - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第40号、通巻60号) 通信販売で購入した家電製品が先日、宅配便で届いた。段ボールの外側に「天地無用」とあった。もちろん、これは人気アニメのタイトル『天地無用!』の方ではなく、引っ越し荷物などの外側によく張られているラベルのことだ。上下逆さまにしてはいけない、という意味だが、よく考えてみると、なんとも分かりにくく、“無用”の混乱を招きかねない言葉だ。 若い人たちの中には、「上も下も関係ない」、「逆さにしても構わない」と完全に逆の意味に解釈する向きもある。来はどういう意味なのか疑問を抱く人が多いと見えて、インターネットの“教えてサイト”《注》でもずいぶん取り上げられている。 この熟語、「天地」と「無用」の2語に分解できる。まず「天地」。天は上、地が下を意味するのは言わずもがな。次の「無用」という語については、たいていの辞書が語義を三つに分けて説明している。たとえば、『現代国語例解辞典』第

    「天地無用」は「上下」だけの問題なのか  - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    mojiura
    mojiura 2007/10/11
    こういう視点で言葉を分析し始めると、かなりの言葉で矛盾が見つかると思う。「言葉というのは矛盾を含まざるを得ない」という結論の向こうに、作者のかたは何を見出そうとしてるんだろう。
  • 言語楼―B級「高等遊民」の戯言 - 続・「立ち上げる」はパソコンから生まれた新語?!

    (第37号、通巻57号) 前々回の「立ち上げる」(9月5日号)は、予想外に反響が大きかったが、意を尽くせなかった部分もある。逆に筆が滑った個所もある。その後の知見も加え「続編」として二、三補足したい。 「立ち上がる」は昔からある言葉だ。この語に、「機械類が起動する」「機械に電源が入る」という意味が加わったのはそう古いことではあるまい。文法的に言えば、「起立する」「身を起こす」という伝統的な意味で使う場合と同じく自動詞(5段活用)である。「救援活動に立ち上がる」という用法になると、他動詞的な感じが少し加わるが、それでもあくまで自動詞であることに変わりはない。 国語学者の金田一春彦氏によれば、他動詞として使いたい時は「立ち上がらせる」というように言った、という。たとえば「母親が子供の手を取って、立ち上がらせた」というように使ったのである、と用例を示している《注1》。 この用法から「立ち上げる」

    言語楼―B級「高等遊民」の戯言 - 続・「立ち上げる」はパソコンから生まれた新語?!
    mojiura
    mojiura 2007/09/19
    英語翻訳も関連してくるのですね。新語の由来って、つまり、広い意味では「語源」の問題だと思います。十分に資料がある現代語の語源でもこんなに難しいのだから、ましてや古くからある語は……。とか思った。
  • 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第328号、通巻348号) 「とても」という副詞を「全然」との関連でブログに取り上げたのは6年前のことだが、正直に言えば、とても、が来は打ち消しを伴う一種の“予告副詞”だということをそれまでは深く認識していなかった。だから、『日国語大辞典』第2版(小学館)に芥川龍之介が『澄江堂雑記』(1924年)で 「『とても安い』とか『とても寒い』と云う『とても』の(が)東京の言葉になり出したのは数年以前のことである。(一部略)従来の用法は『とてもかなはない』とか『とても纏(まと)まらない』とか云うように必ず否定を伴ってゐる。肯定に伴う新流行の『とても』は三河の国あたりの方言であらう」と書いているのを知って“とても”驚いた。 今回は“予告副詞”の焦点をしぼるつもりだが、その前に、「とても」の辞書的な意味・用法を調べよう。 『広辞苑』(岩波書店)や『大辞林』(小学館)などの国語辞典には、「とてもか

    言語郎−B級「高等遊民」の妄言
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    mojiura 2007/09/06
    「立ち上げる」は(注にあるような妙に古いのではなく近代国語にも)あると思うのですが、どうなんでしょう。辞書は基本的に「まゆつば」だと思ってるので、ちょっと気になりました。
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