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ブックマーク / klov.hateblo.jp (17)

  • CAMP:TALK:1203 「アートと公共性」  あるいはChim↑Pomについて- No Hedge!

    を聞きに行ってきた。「アートと公共性」というタイトルだったのだが、僕はアート方面はからきしなので、「公共性」の方にアクセントを置いたつもりで話を聞いてきました。 ……というのも半分当、半分冗談で、この場にいた大半の人がそうであったように、例の「ピカッ」事件の当事者である「Chim↑Pom」のリーダーが卯城氏が来るということで、半分は野次馬根性でした。 あと以下の文章で僕が使う「アート」というのは、このトークイベントのコンテクストからするとおそらく(言ってる人がおそらくというのも変だが、知識がないので)現代アートのことを指しているのだと思ってください。 純朴な「対話」への意志 http://ca-mp.blogspot.com/2008/11/talk-1203.html 共同体と“開かれた”アート 〜アートと公共性の関係〜 第一夜:アートは、何とどうやって関わっていくのか <ゲスト>

    CAMP:TALK:1203 「アートと公共性」  あるいはChim↑Pomについて- No Hedge!
    morutan
    morutan 2008/12/27
    <ヒロシマ>とか<アート>とかいった規定から逃れたい、って意欲はわかるけどそんなの被爆者は関係ないからなぁ。やっぱ子供っぽいよ
  • 『サブカル・ニッポンの新自由主義―既得権批判が若者を追い込む』 - 絶倫ファクトリー

    サブカル・ニッポンの新自由主義―既得権批判が若者を追い込む (ちくま新書) 作者: 鈴木謙介出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/10メディア: 新書購入: 11人 クリック: 168回この商品を含むブログ (103件) を見る どちらかというと、「社会学者・鈴木謙介」の著書というより、「Life パーソナリティ Charlie」の著書と言った方がいいのかもしれない。ある程度社会科学的な分析を交えながらも、最終的に彼が目指すのは極めて実存的な問題へのコミットである。彼の著書にはそういう面が多分にあるが、書はそうした傾向が最初から最後まで通呈している。 書の概要―既得権批判者が自らを窮地に追い込む理由 書で一貫して議論されるのは、「既得権批判」という、いまや右も左も大好きなキーワードとなったロジックが、時にその批判する側を更なる窮地へと追い込んでしまう、逆説的な状況である。

    『サブカル・ニッポンの新自由主義―既得権批判が若者を追い込む』 - 絶倫ファクトリー
    morutan
    morutan 2008/10/18
    つまり「対赤木本」、と。メリトクラシーにハマってミイラとりがミイラになるって話
  • 我々は何を隠してきたのか、あるいは「不可能性」の変遷 - 絶倫ファクトリー

    不可能性の時代 (岩波新書) 作者: 大澤真幸出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/04/22メディア: 新書購入: 14人 クリック: 179回この商品を含むブログ (162件) を見る 大澤真幸『不可能性の時代』を読み返していた。つらつらとメモ程度に。 不可能性―現実と反現実の乖離 東浩紀や木原善彦が、大澤の(元は見田宗介の)命名法を援用して「理想の時代」「虚構の時代」に続く現代を「動物の時代」「現実の時代」と名づけていた。だがそもそもこの見田―大澤の「〜の時代」という命名法は「現実」の対義語としてどのような言葉が参照されているか、という考察に基づいているものであり、その考察を省略した命名法はオリジナルの意図には反するものである。(東については大澤との対談で直接指摘されていたようだ。) 大澤は、隠された「現実」を捜し求める「現実への逃避」と、ジジェクのいう「カフェイン抜きのコ

    我々は何を隠してきたのか、あるいは「不可能性」の変遷 - 絶倫ファクトリー
    morutan
    morutan 2008/07/29
    まだ読んでる途中なのでチラ見程度に。でも<自己>ってのはびみょーかも。理想の時代は「アメリカを担保とした「経済」を信奉した」ってあったけど<自己>なんて戦中も戦前もあったかどうかわかんないし
  • 情報の複雑化と望まれる「マスメディア」 - 絶倫ファクトリー

    シロクマ日報 > ニュースは現実ではない : ITmedia オルタナティブ・ブログ via kwout 仰るとおりで。……といいたいけれど、事態はそれほど容易なレベルではなくなっている。「それはどのような経路で伝えられてきたのか」「なぜ伝えられてきたのか」といったメタ情報が必要になるということ、それはマスメディアによって伝えられる情報の一意性が疑義にかけられ、その正当性を担保する審級が既に失われていることを意味する。そしてオブジェクトレベルの情報の真偽を決定する審級が喪失している以上、メタレベルの情報の真偽を決定する審級ももはや一つには定められない。地球温暖化に関する論争などその典型例である。温暖化の証拠とその反証といわれる有象無象の「一次情報」が飛び交い、それを取り扱う「専門家」「識者」の言説がまた飛び交い、その言説についての言説もまた世に溢れている。 そしてあまりにメタレベルの情報の

    情報の複雑化と望まれる「マスメディア」 - 絶倫ファクトリー
    morutan
    morutan 2008/07/27
    MLの辺りとかけっこう同意。初期にMLやってるときに思った(「けっきょく国語じゃん」みたいなの) 情報が氾濫する世の中でこそマスメディアが求められるはびみょー。そうではあるだろうけど形は変わりそう
  • 形式への没入と予告.in - 絶倫ファクトリー

    葬儀と資主義―形式への没入 先日、大叔母の通夜に出てきた。よくある郊外型葬儀施設に入り親族席に座りながら、棺を囲む、葬儀会社の用意したありがちな葬儀用ガジェット(シュミラークル?)について思いをめぐらさせていた。 式が始まる前、親族に向かって葬儀会社の担当者がこう言った。「お焼香のやり方についてですが、流派に拠って異なりますが今回はお焼香は一度きりにしてください。というのも普段皆さん三回お焼香やられると思うのですが、それを意識するあまり手を合わせる時間が短くなってしまう傾向があります。なのでお焼香にかける時間は短く、手を合わせる時間を長く取れるように、そうしてください。」 魂胆としては単にお焼香にかかる時間の短縮、プログラムどおりの進行をしたいだけなのだろうが、「手を合わせて目の前にいる死者に思いを馳せるほうが大事」と言われれば確かにそうなのかもしれない、と思ってしまう。 そのとき、葬儀

    形式への没入と予告.in - 絶倫ファクトリー
    morutan
    morutan 2008/07/19
    池田センセのとこのエントリに「民主主義以前に法律があった」って話があったけど http://tinyurl.com/6jyyvo そんな感じでなんかのシステムを作る場合はプロトコルの統一(普遍化)が必要なのかなぁ
  • 報道というプロペラは誰が回すのか トークラジオ「LIFE」の秋葉原事件特集についての違和感 - 絶倫ファクトリー

    報道という行為の循環構造 6月22日「秋葉原連続殺傷事件」Part2 (文化系トークラジオ Life) いつもpodcastで聞いているこのラジオ、先月22日の放送は6月8日の秋葉原通り魔事件についてだった。 その中で、サブパーソナリティの1人、IT音楽ジャーナリスト・津田大介氏が事件とメディアの関係、端的に言ってしまえば現場にいた人がモバイルPCを使って動画でライブ中継するという行為について見解を述べていた。だがそれを聞いていて、個人的にはなんともいえぬ賛同と違和感の入り混じった複雑な感想(津田氏自身も微妙な言いよどんだような違和感を表明している)抱いた。 津田氏は、事件の当日、現場の様子をUstreamというツールを使いウェブ中継するという行為が行われたことに対し、「原始的で個人的な違和感」を表明している。そしてまたそうしたインターネットを使った個人の中継配信を従来の報道機関による報

    報道というプロペラは誰が回すのか トークラジオ「LIFE」の秋葉原事件特集についての違和感 - 絶倫ファクトリー
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    morutan 2008/07/02
    ジャーナリズムというもの、マスメディアの権威性や正当性というものはきわめてアモルフなもの(だからこそそれを大事にすべき)、と。林香里「マスメディアの周縁」を想わせる
  • 「フォト・リテラシー 報道写真と読む倫理」 - 絶倫ファクトリー

    フォト・リテラシー―報道写真と読む倫理 (中公新書) 作者: 今橋映子出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2008/05メディア: 新書購入: 6人 クリック: 84回この商品を含むブログ (48件) を見る 1952年、後に写真史上にその名を残す写真集、『決定的瞬間』が出版される。フランス人写真家カルティエ・ブレッソンの手によるこの写真集は、しかし原語のフランス語から外国語に翻訳される際、名前を書き換えられていた。英語名は「The Disicive Moment」。日語名「決定的瞬間」もこの和訳からとられた。所謂重訳である。だがフランス語の名前は「Image a la sauvette」、著者の訳によれば「かすみ取られたイマージュ」であった。 誰が何故このような書き換えを行ったのか。何が「かすみ取られた」のか。この写真集の持つ真の意味はなんなのか。ここから数々の名写真に秘められた

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  • 「昭和三十年代主義」という夢想、もしくは勝ち逃げの思想 - 絶倫ファクトリー

    昭和30年代vsポストモダン―定常型社会への回帰 昭和三十年代主義―もう成長しない日 作者: 浅羽通明出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2008/04メディア: 単行購入: 7人 クリック: 181回この商品を含むブログ (60件) を見る オビ裏には「日人が昭和レトロ・ブームにハマったのには理由があった!」と煽ってあるが、このにおいては昭和30年代レトロブームの分析は単なる入り口でしかない。基的にこのは様々な映画小説をアナロジーにした「昭和30年代的社会/個人」と、「ポストモダン的社会/個人」*1の対立で論が進んでいく。 昭和30年的社会/個人 「Always 三丁目の夕日」に代表されるような社会。定常的社会とも呼ぶ。 社会全体のスケールが小さく、人々は自分が認知出来る範囲の生活空間の中だけで生きていた。 不便ではあったが、ゆえに人々は様々な「必要」に縛られ、その「必要」

    「昭和三十年代主義」という夢想、もしくは勝ち逃げの思想 - 絶倫ファクトリー
    morutan
    morutan 2008/06/04
    「ポストモダン」という区分けは浅羽さんによるものではない、とのこと。 あとコメント欄のお話が興味深い
  • 「アイデンティティ」という魔窟 - 絶倫ファクトリー

    行為と意識を結びつける難しさ ゼミ論や卒論用にを読んだり文を書いていてよく思うのは、「アイデンティティ」というのはかなりパンドラの箱に近い言葉だ。これほど現代の社会を表すのに多用され、かつその意味が統一的でない用語もない。もちろんそれなりに学者による定義はあるが、人によってかなり異なる。 先月22日に東工大で行われたシンポジウムに関し、東浩紀は事前のブログでのエントリでも当日の発言でも、「アイデンティティとかの話はしないでいいよ」という趣旨を述べていたが、そう言わせるほど「アイデンティティ」という言葉の持つ磁力はコントロールしがたいものがある。 アイデンティティとは何かをここで議論しているとおそらく一冊が書けるし既に無数の書籍がそのために出版されているので、その話はしない。ただ自分が所属している都市社会学のゼミでは、よく個人があるコミュニティに所属する際の意識として、アイデンティティと

    「アイデンティティ」という魔窟 - 絶倫ファクトリー
    morutan
    morutan 2008/02/23
    「富の再配分」って端的に言うとお仕事にも繋がるわけで「お仕事=自分の存在意義」ってなってる人もチラホラいるんだけどステータスかっていうと居場所みたいなもんかなぁ、とか。nation, stateとアイデンティティも
  • 「ゆるふわ愛されポストモダン」 - 絶倫ファクトリー

    「現代思想的なポストモダニズムで、男を誘惑する10の方法を大特集」 1.授業の席で、構造主義に乗せた手をそのままゆっくりとリオタールの「ポストモダンの条件」のほうに持っていっちゃえ! 2.無知のヴェールを口にくわえてさりげなく頭から落としちゃえ!男の子が「原初状態!」って言ったら、強引に首元に思考実験しちゃおう!! 3.男の子と二人っきりになったら、「○○くんって権力を内面化してるよね」って言って視線をかぷっとべてしまおう。「パノプティコン!」っとなって、男の子は自然と規律訓練型権力な気分になっちゃう 4.男の子にフェミニズムの読ませすぎは注意!あそこが、ふにゃふにゃになってしまうから。程よい量だったら問題なし。むしろ、手の届かないような保守主義者から抱かれてしまうかも(笑) 5.彼氏が中々積極的になってくれない貴方は、動物化するポストモダンにチャレンジにしてみよう。部屋の中で二人っきり

    「ゆるふわ愛されポストモダン」 - 絶倫ファクトリー
    morutan
    morutan 2008/02/19
    予想以上の食いつきにちょっと嫉妬。どんどん注目を集めてまたしてもあらぬ方面から怒られたりよくわからない本を薦められたりするklovの姿が見えるよw
  • 「不安型ナショナリズム」の疑問点 - 絶倫ファクトリー

    不安型ナショナリズムの時代―日韓中のネット世代が憎みあう当の理由 (新書y) 作者: 高原基彰出版社/メーカー: 洋泉社発売日: 2006/04メディア: 新書購入: 2人 クリック: 119回この商品を含むブログ (75件) を見る 「不安型ナショナリズム」を読んだ。日中韓の戦後の政治・経済構造の変遷がよく分かるであった。筆者は現在の若者の右傾化を、後期近代における社会の流動化が生んだ「不安型ナショナリズム」であるとし、前期近代に見られるような国家・企業主体の「高度成長型」ナショナリズムとは別物である、と論じている。 不安型「擬似」ナショナリズムでは? ところで、読み終わった後にはたと気づいたのだが、僕が探した限りではこののタイトルにある「不安型ナショナリズム」が「どのようなナショナリズムなのか」が書かれていない。 「不安型ナショナリズム」が起こる背景は書いてあるのだ。経済の構造変

    「不安型ナショナリズム」の疑問点 - 絶倫ファクトリー
    morutan
    morutan 2008/02/16
    「昨今の若者の右傾化の背景は前期近代的な高度成長型ナショナリズムとは違い経済不安などが引き起こしているもの」、と。不安型ナショナリズムとはなにか?どうしてバックラッシュするのか?については荒いらしい
  • コンテンツの評価方法―数的評価か質的評価か - 絶倫ファクトリー

    昨日、一昨日のエントリに絡んで、Twitterでm_um_u氏としゃべったことからサルベージして思考をまとめる。 確かに東浩紀の言葉を借りるまでも無く、インターネットの普及でコンテンツの「作り手の数>読み手の数」という図式に近づきつつある。そうした変化の中で「文化」の読み方を変えろという主張も、もっともだと思う。 ただそうだとするなら、それはコンテンツに対する評価の手段の議論と切っても切り離せない。携帯電話の普及で誰もがケータイ小説を書けるようになっても、ニコ動やyoutubeのおかげで誰もが映画監督になれても、ブログの普及で誰もが評論家になれても、それらのコンテンツを評価する手段は未だ数的評価によって為されている。どれだけの人数に読まれたか、どれだけの部数が売れたか、どれだけの回数再生されたか。だから現状がもしも「作り手の数>読み手の数」(もしくは=でもいいけど)だったとしても、「成功者

    コンテンツの評価方法―数的評価か質的評価か - 絶倫ファクトリー
    morutan
    morutan 2008/02/16
    「けっきょくいまのところ数的評価(どのくらいの人がみたか)が優勢だねぇ。質的だとニコニコがあるぐらい」、と。質的評価による繋がりを見直す必要。この辺、ロングテールとかミドルテールとかにも繋がりそう
  • コンビニについて―感想 - 絶倫ファクトリー

    日曜日、サークルの仕事をほっぽりだしてCSFに参加した。今回はコンビニ特集。ほとんど僕は話を聞いてるだけだったのだけれど、いくつか気になったことがあったので書いておく。 店員/客の結節点としてのPOSシステム コンビニを社会学的に捉える、としたときに、まず始めに「労働の場」としてのコンビニと「消費の場」としてのコンビニは分けて考える必要があるのではないか。昨日の議論の中でも、それぞれの立場で非常に興味深い話が展開されたのにも関わらず、それらが綺麗にクロスする点が見つからなかった。(ちなみに僕は労働の場としてのコンビニは体験したことがなく、知識もないので、専ら消費者の側から見たコンビニについて書かせていただく。) 働く側と消費者側が交わらない、というのは何も言説の上だけでなく、実際のコンビニにおいてもそれは顕著である。というかそれがコンビニをコンビニたらしめる要素の一つでもある。コンビニの店

    コンビニについて―感想 - 絶倫ファクトリー
    morutan
    morutan 2008/02/16
    感想はついった http://tinyurl.com/2r8fy6 http://tinyurl.com/38da3m http://tinyurl.com/34sjjz | あと、現代日本の象徴的だなぁというか郊外化とかマクドナルド化とかまぁいろいろ。日本人は外国でコンビニに安心感を持つのかなぁ
  • 「タテマエ」というコミュニケーションコード - 絶倫ファクトリー

    いわゆる「タテマエ」ってのは、立場の違う人間がとりあえず定められたコミュニケーションコードに乗っかることで、トータルのコミュニケーションコストを縮減するためのものだと思う。そしてそうまでしてコストを下げて、摩擦をなくし、コミュニケーションを図ろうとするからには、それなりにコミュニケーションの結果としてのベネフィットが想定されているはず。双方(かどうかは分からないけど)が違う立場に居ながら同じベネフィットを求めるとき、障害となる作法や形式の違いを乗り越えるために、統一的なコミュニケーションコードに則る。これが「タテマエ」であり、最終的に目指すベネフィットが「ホンネ」であると思う。 逆に言えば、コミュニケーションコストを下げていない「タテマエ」は、存在する意味が無い。何のためにわざわざ統一的なコードに則ってやり取りしてるのか。「ホンネ」と「タテマエ」があるのは良いんだけど、何故それが必要でどう

    「タテマエ」というコミュニケーションコード - 絶倫ファクトリー
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    morutan 2008/02/12
    形式の前面化の話。それに対して形式を使うに至った理由(経緯)を思い出そう、と。大体似た感想なので特に言うことないけど全員が全員再帰的に振り返れるものかなぁ、とか思った。
  • 何故男女で会話がかみ合わないのか - 絶倫ファクトリー

    まずはテキストの引用から。 W(女)が胸に手術の跡が残ったために胸の形も悪くなり、憂だとH(男)に訴えた後の会話 H:傷を隠してもとの形にするような整形手術すれば? W:これ以上手術する気はないわよ!胸の形が変で悪かったわね! H:別に僕はなんとも思ってないよ。 W:じゃあ何で整形手術しろなんていうの? H:だって自分で自分の胸の形が嫌だって言ったんじゃないか。 (Tannen,Deborah.1990.You just don't understand) とある夫婦の会話なんですが、見れば分かるとおり全然かみ合ってません。女の方は、手術のせいで胸に傷が出来たと。形も悪くなってすごい憂!と男に訴えたんですが、男の方は同情するふりもなく、解決方法を提示。当は女は「そうか、かわいそうに」と共感を得て欲しかったんでしょうけど、男はただ単に解決策を示しただけ。 こうした、女性の共感を得て欲し

    何故男女で会話がかみ合わないのか - 絶倫ファクトリー
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    morutan 2008/02/11
    Rapport talkってルーマンの「伝達」やないか。id:klovは知ってて書いたの?つか、これに男女差があるということは「情報」-「伝達」-「理解」の過程が一般化されない、ってことになるな 事例:http://tinyurl.com/2jrp3v
  • 「ウェブ炎上」と「嗤う日本の『ナショナリズム』」 - 絶倫ファクトリー

    このカテゴリでエントリ書くのは久しぶり。読んでいなかったわけじゃないというか、むしろ最近では今が一番読んでるんですが、うまいことまとめられない。 ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書) 作者: 荻上チキ出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2007/10メディア: 新書購入: 16人 クリック: 274回この商品を含むブログ (165件) を見る さてこの「ウェブ炎上」、著者の荻上チキについては彼の実名を某学者がバラしただなんだで彼自体が炎上気味という、洒落にならない事態もあったがそれはさておき。 内容自体は、そこまで斬新で重厚なことを言っている訳ではない。帯にある「ネット時代の教養書」というコピーが全てを表している。ウェブ上における人々の行動原理を、社会学やマーケティングの用語を駆使しながら、概論的に解説している。「社会学やマーケティング」の言葉は別にネットが出てくる前

    「ウェブ炎上」と「嗤う日本の『ナショナリズム』」 - 絶倫ファクトリー
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    morutan 2008/01/09
    『荻上も北田も、2ちゃんねる的コミュニケーションがもはやネタ/ベタの区別の付かない次元にあるという点では一致している』が、相対化を作法(意図)として見るか力学としてみるかの違い、と。cf.データベース消費
  •  NHKスペシャル 「五年一組 小皇帝の涙」を見た。 - 絶倫ファクトリー

    昨夜のNHKスペシャルの番組。一人っ子政策下の中国で、小学生の頃から苛烈な学歴競争に巻き込まれる子供たちとその親に焦点を当てている。 苛烈な学力重視 とにかく驚いた。日学歴主義なんか蜂蜜のごとく甘い。とにかくクラスの中で重視されるのは成績。「将来就きたい職業」を言わせても、医者、証券トレーダー、国家主席(!)など、成績が良い人がなる、とされているものばかり。極めつけは、成績のよくない子供が「医者になりたい」というと、担任の先生が「医者は成績がよい人間がなるもの。頭の悪い人がなっていいものではない」と全否定。子供涙目。 さらにクラスの学級委員を決める投票には、親も参加する。クラスメートとその親の前で、立候補した子供たちはそれぞれ自己PRをする。成績が良い、やる気がある、綺麗好きだ、などなど。そして投票は、横一列に並んだ立候補者の前に置かれた箱に、子供や親が投票する。箱といっても浅く蓋の無

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