『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)』(→読後録)では教養主義がテーマとなっていたが、それと並行し存在していたのが修養主義だった。『日本型「教養」の運命―歴史社会学的考察』では修養主義と教養主義の両方を分析しているので、『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)』に欠けていた修養主義について知るのに丁度良い(一応p171-172で言及しているものの、修養主義に竹内洋は重きを置いていない)。教養主義と修養主義は同じ「哲学・歴史・人文学を中心にした人格の完成を目指す態度」(『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)』 p40) であるが、広辞苑を引くと修養は「精神を練磨し、優れた人格を形成するようにつとめること」とあり、書物よりも精神の方を重視していたようである。実際、修養主義は得てして人格崇拝を伴っていた。だから半ば必然的に修養主義は宗教