外国と日本を対比して、日本にあるものとないものを検討すると、いくつかの違いがあると考えている。 まず日本には自我がない。特にデカルトから始まってフランス革命のころにいわれた「近代的自我」がない。これは欧米と比較したときの違いである。 ヨーロッパに自我があるのはなぜか。ヨーロッパにも本当にどこまで自我があるか分からないが、ともかく人々は、それがある振りをしないといけない。デカルト以来「我思う、故に我あり」で通る社会だから、「思っていない」などということはできない。思った主体が「我」だから、投票をする権利がある。個人主義や民主主義の根本には、自我がなくてはならない。 それに対して、日本人には自我がない。一番よく表れているのが、最近、無宗教の葬式というのが流行していることだ。無宗教の葬式では、故人は昔こういう趣味に凝っていました、こういうスポーツでこれだけのことをしましたといったよう
2004年9月18日、ソウル大学校ジェンダー研究所と社会史研究会共催のセミナーでおこなった報告の原稿に、2005年6月12日に「追記」を付加した。 日本軍の慰安所政策について 永井 和 (京都大学文学研究科教授) この報告は、永井和「陸軍慰安所の創設と慰安婦募集に関する一考察」『二十世紀研究』創刊号、2000年をもとに、一部補足したものである。 はじめに 問題の所在 Ⅰ.警察資料について Ⅱ.陸軍慰安所の創設 Ⅲ.日本国内における慰安婦募集活動 1.和歌山の誘拐容疑事件 2.北関東・南東北での募集活動 Ⅳ.地方警察の反応と内務省の対策 おわりに 補論:陸軍慰安所は酒保の附属施設 追記(2005年6月12日記) 注 はじめに はじめまして、永井和と申します。日本の京都大学で日本現代史を教えております。しばらくの間、おつきあいをよろしくお願いいたします。まず、この研究会にお招きいただき、報告す
【写真】「加害者も犠牲者も極楽往生」 韓国、中央日報の日本語版の(写真)記事です。 米バージニア工科大銃乱射事件の犠牲者のための33の灯りがソウル曹渓寺(チョゲサ)の大雄殿前にかけられた。灯りは死者の極楽往生を祈るもの。犠牲者らの名前と犯人チョ・スンヒ容疑者の名前も見える。 33個の石 関連記事(中央日報) 「私たちが先にスンヒに手を差し伸べていれば」 −−チョ・スンヒに手紙を書いた理由は。 2日前にもここへ来たが、特にスンヒの追慕石だけさびしそうだった。「スンヒも加害者と同時に犠牲者」という気がした。彼にも私たちのような魂がある。母にも相談したが同意してくれた。それで昨日、手紙を書いてここに置いた。今日来てみたら手紙や花がたくさん置かれていてうれしかった」 −−犯人の銃で死んだ人々と犯人をまったく同じように追慕することはいきすぎだという批判はないか。 「泥沼にはまって『助けてくれ』と叫ん
本当に「縄文時代の記述はなくなった」のか 小学校6年生の社会科教科書を読む 縄文時代の記述がない!? ぼくが漫画評を書かせてもらっている「しんぶん赤旗」の「学問・文化」欄で、4月17日付(2007年)を読んでいたら、「小学校教科書 消えた旧石器・縄文時代」という学者の執筆記事があったのでびっくりした。「えー、今あの時代は教えられていないのかあ」と。 ぼくは歴史好きのコドモで、最初に戦国時代、次に南北朝時代と愛好する時代区分を移動させていき、歴史を初めて勉強する小学校6年生のときには、「縄文時代」に異様な関心をもつようになっていた。 担任の教師の影響だった。 実は地元は縄文遺跡が多いところで、しかも歴史学上も重要な出土品が少なくない(たとえば家から少し離れた貝塚では人骨とともに埋葬された犬の骨が見つかっている)。自転車でいくつも校区をこえて出かけた貝塚は畑の中にあり、大量の貝と土器片がそのま
ちゆのごあいさつ はじめまして。私は、仮想世界に生きる“電子の妖精”ちゆといいます。実体を持った女性よりも空想の美少女が好きだ!という二次元コンプレックスな方のために生まれた新しい形のネットアイドルです。どうかよろしくお願いします。(バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳) 80年代、オカルト雑誌『ムー』の文通相手募集欄を見ると、 「戦士、巫女、天使、妖精、金星人、竜族の民の方、ぜひお手紙ください」 「前生アトランティスの戦士だった方、石の塔の戦いを覚えている方、最終戦士の方、エリア・ジェイ・マイナ・ライジャ・カルラの名を知っている方などと」 といったお手紙がたくさん掲載されていました。 この発生時期について諸説あったので、簡単にまとめてみました。
2000年度 現代日本経済史 夏学期 4単位 武田晴人 講義の内容等についての質問は、電子メールを利用して下さい。随時答えるようにいたします。 序論 4/11 0 成長の長期的概観 4/15 1 日露戦後の日本経済 −−−歴史的前提 4/18 2 転換期としての第一次世界大戦 1920年代 4/22 3 1920年恐慌と慢性不況 4/25 4 都市化と不均衡成長、産業の組織化 4/28 5 労働者と農民 5/2 6 資本輸出と植民地支配 恐慌の時代 5/9 7 金融恐慌 5/12 8 昭和恐慌 1930年代 5/16 9 高橋財政と景気回復 5/19 10 財閥の転向と産業構造の重化学工業化 5/23 11 農業恐慌と中国侵略 戦時経済 5/30 12 日中戦争と円ブロック 6/2 13 生産力拡充と総動員 6/6
Warning: file(/home/sites/lolipop.jp/users/main.jp-nakano/web/cgi/mt/mt-config.cgi) [function.file]: failed to open stream: Permission denied in /home/sites/lolipop.jp/users/main.jp-nakano/web/cgi/mt/php/mt.php on line 199 Unable to open configuration file /home/sites/lolipop.jp/users/main.jp-nakano/web/cgi/mt/mt-config.cgi
「神の存在」や「死後の世界」を信じているかどうかについて、「信じている」、「信じていない」、「わからない」の割合を対象となっている世界77か国について図示した。国の順番は「信じている」の割合の大きい順である。 (神の存在を信じるか) まず「神の存在」についてであるが、「信じている」の割合は最も高いエチオピアの99.9%から最低である中国の16.9%まで大きく異なっている。神の存在感は国によってまことに様々であることが分かる。 それにしても図を見て、まず、目立っているのは、神の存在を信じている国民の多さである。90%以上の国民が「神の存在」を信じている国は36か国と半数近くにのぼっており、95%以上に限っても26か国もある。 95%以上と国民のほとんどが「神の存在」を信じている国を見るとイスラム圏の国が12カ国と最も多く、カトリック国が9カ国、それ以外の途上国が5カ国となっている。 主要先進
米国が主導する国際月探査「アルテミス計画」で、日本人の宇宙飛行士2人を月面着陸させることで日米両政府が合意する方針を固めたことが18日、関係者への取材で分かった。ワシントンで4月10日に予定される日米首脳会談で宇宙分野の協力を確認し、盛山正仁文部科学相と米航空宇宙局(N…
『菊と刀』注解 目次 ©森 貞彦 「『菊と刀』注解」は、2005年5月17日にスタートしたホームページ・シリーズです。そこでは『菊と刀』(英文)の各段落に詳細なコメントが施されますが、それはすべて筆者の創見であり、すでに誰かが述べたことを無批判に受け入れることは一切していません。「日本人とは何か」という問題に関心のある方はぜひご一読ください。 06年11月7日、いよいよ第11章「修養」の注解に入りました。「禅」の思想を通じて日本人の人生観の深い所にメスが入れられ、それがインド人や西欧人のものとどう違うかが追究されます。ご期待ください。 07年2月16日から第12章「子供は学ぶ」の注解が行なわれています。日本人の心の底に日本人らしさが刷り込まれていく過程は、これまで考えられていたよりずっと厳しく深刻なものです。それが解明されていくのを見るのは、しばしば背筋の凍るような感じのするおぞましいこと
就業人口統計なので総人口とは異なりますが、ソースを当たるのが面倒(失礼)なので大差ないだろうと割り切って使うなら、農業人口は8,320×0.45=3,744から9,828×0.23=2260になったことになり、人口比で見れば約6割に減少したということになります。6割に人口が減って収入が4倍であるなら、一人当たり収入は6.67倍ということで、同時期の一人当たり名目GNPの伸び率7倍に満たない程度にしか伸びていないのです。小作料の負担がなくなったから得だというのも短絡的な話で、農地保有の機会費用が小作料よりも高かったのであれば、むしろ小作人でいた方がよかったということになるわけですし。 #これは農業に甘い推計ですので(例えば、(1)世帯数は減少していないという前提に結果的になっている、(2)就業人口はベビーブーマーの労働市場参加により総人口以上に増えていることの影響を除いている、等)、実際には
「独り者」に優しい日本の社会(上) 2006年3月 3日 コメント: トラックバック (0) Momus 2006年03月03日 今年はバレンタインデーのことなどすっかり忘れていた。滞在先の大阪で郵便局に行き、窓口の職員にちょっとした贈り物――ミニチュアの赤い郵便ポスト――をもらうまでは。 企業のキューピッドが顧客の心に愛の矢を打ち込むようなこの光景は、コンビニエンスストアでも繰り返された。買い物の後で箱を差し出され、くじの付いたキャンディーを選んでくださいと言われたのだ。私は、こうした優しさに励まされたと同時に、個人ではなく公共機関や企業が愛を告白していることを面白いと感じた。 私は、誰かに励ましてもらう必要があったわけではないし、バレンタインデーだからといって特別何かをする必要もなかった。恋人のいる人間として、私は聖バレンタインには毎日敬意を払っていたいと思っている。2月14日の私のブ
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