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ブックマーク / blog.livedoor.jp/gegenga (6)

  • かめ?:寛容さ=優しさ。ではない - livedoor Blog(ブログ)

    漠然とした毅然 を書いたあたりから、ずっと考え続けていることをツラツラと。 わしは、ヘタレである。 どのぐらいヘタレかというと パニック映画の最初のほうで、一人だけ助かろうとしてみんなを裏切って逃げ出して、結局はそのせいで最初に死んじゃうキャラクター みたいなタイプだと、自己分析 orz だから、ニュースを見ていると 「あぁ、なんて卑怯で情けないヤツ。 うぅぅ、私もやりそうだぁ」 と思うことが多い。 たとえば、ひき逃げ。 夜中の道路で誰も目撃者がいなかったら わしも逃げちゃうかもしれない と、いつも思う。 そういう意味では、逃げた犯人の 「気持ちは分かる」。 でも、個別の事件に関して、逃げた犯人の 「気持ちは分かる」とは、決して言わない。 だってさ、この「気持ちは分かる」を被害者や遺族、関係者が目にしたら かなり腹が立つと思うから。 「加害者を擁護するわけだな。 じゃあ、こっちの気持ちはど

    nagonagu
    nagonagu 2009/09/11
    “差別者を許す「寛容さ」は、全然「優しくない」”と、オイラも思う。
  • かめ?:ハンドルだったら、どうなんだろう? - livedoor Blog(ブログ)

    nagonagu
    nagonagu 2008/10/02
    馬鹿げた騙りをする連中もいる。被害者がさらに不利益を被るのはおかしいに同意。
  • かめ?:次は北区をターゲットにしますか? DV防止法に反対する人たち - livedoor Blog(ブログ)

    人命よりも家族という「制度」が大切な人たちが 「DV防止法は家族制度を破壊する悪法だぁ、 女に離婚を勧めるための法律だぁ、 ジェンダーフリー推進派の陰謀だぁ〜、キイキイ」 といっているのを見て、失笑していたのだが。 碧さんからいただいたトラックバックで、そんな人たちの「抗議」にヘタレた自治体があることを知った。 あちらのコメント欄でもちょっと書いたんだけど パートナーにシェルターに駆け込まれた時点で、関係は崩壊しているんじゃない? それは別れを望まない側にとってはつらく哀しいことではあるだろうが 自分と共にいることをいやがっている相手を、結婚という「制度」でムリヤリつなぎ止めておこうとする。 その考え方自体が暴力的だと、わしは思う。 もしかして、パートナーにシェルターに駆け込まれてしまった側は 「DVなんかじゃない。 ちょっと怒鳴ったり、ちょっと手をあげてしまったことはあるが それはよく

    nagonagu
    nagonagu 2008/01/27
    さぁて、これは戦いだ
  • かめ?:すごい「文化」だ! - livedoor Blog(ブログ)

    nagonagu
    nagonagu 2008/01/26
    トンデモ民俗学者とサンケイ
  • かめ?:サミットなんて、やめちまえよ - livedoor Blog(ブログ)

    わしは以前、東京でサミットが行われ時(中曽根さんが首相の時だよ。大平さんの時じゃないからね!)に大学生だった。 わしの通っていた大学は、政治の中枢機関やら、天皇のお住まいやらにわりと近い場所にあったため、すごい警戒だった。 最寄り駅にはジェラルミンの楯を持った警察官があふれ、大学の周囲にまでやってくる。 植え込みは棒で突いて徹底的に検査され、近所の公園でソフトクリームをなめながら優雅に読書をしていた美しい文学少女(わしじゃ!)にまで 「お嬢さん、お一人ですか?」と、職務尋問だかナンパだか分からない声が掛けられる始末。 極めつけは。 大学が封鎖された。 そう、そんな素晴らしい場所にあるわしが通っていた大学は 一方では、政治の中枢機関やら天皇のお住まいやらに攻撃を仕掛ける恐れあり、と、公安が徹底マークしているグループの活動拠点でもあったのだ。 これは、むかついた。 封鎖を要望する側にも、封鎖し

    nagonagu
    nagonagu 2008/01/24
    サミット テロ 先進国 テロとの戦争
  • かめ?:「言語」を用いた表現行為について - livedoor Blog(ブログ)

    私のblogは、主に言語を用いた表現行為である。 なぜ「私の」とつけたかといえば、世の中には写真や絵、音楽や映像などで表現行為を行うblogも存在するからである。 そして「主に」とつけた理由は、このblogでも写真を用いた表現を行う場合があるからである。 私の場合、写真や絵、デザインに関するセンスが著しく欠如しているために、写真で表現できているかといえばかなり心許ないのであるが、それでも、誰かに何かを伝えようとする限り、それは「表現」といえるであろう。 ここで表明したとおり、私は言語以外の表現についてはかなり不得手なので、ここでは(こちらも得意とはとても言えないのだが)「言語」を用いた表現について考えていきたい。 それぞれの段階で、そこには「自分」が入る。 「自分」という言葉を用いたが、ここには説明が必要だろう。 この場合、私は「自分」という言葉を 個人がそれまでの人生で積み重ねた経験を基

    nagonagu
    nagonagu 2008/01/17
    gege的「影との戦い」
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