監督新城卓 脚本&製作総指揮石原慎太郎大元帥閣下 公式サイト 新城卓ってイマヘイの弟子なのね。イマヘイの門下生が慎太郎の指揮下でこんなキチガイ映画を作るっていうんだから世も末だな。 冒頭、伊武雅刀演じるところの大西中将が特攻作戦の意義を説明する。 「日本は負ける。だが日本の国体を守るためにはただ負けるわけにはいかない。日本が白人の手から東南アジアを解放するために戦ったという信念を示すためには、国家の名誉のために若い者に死んでもらわなければならない!」 これ意味わかる? いくら考えても意味がわからない。負けるってわかってるんだったらできるだけ損耗を少なくして負ければいいじゃないか。 だいたい特攻作戦が無意味だってことは最初からみんな知ってるわけ。効き目があったのは最初だけで、新兵をボロ飛行機に乗せて飛ばすようになったら、特攻はお ろかひたすらグラマンに叩きおとされるだけになる。飛行隊の指揮官
http://d.hatena.ne.jp/shimasemi/20061202/1165077104 この文章に触発されて、いろいろ思考が沸いてきたので、ちょっと書いてみようかと。 「東西冷戦が終わってスパイ映画は作りにくくなった」 という話を書いている人がよくいます。ソ連、ひいては共産主義という悪役を失ったから、つまり大きな物語は死んだわけで、その他もろもろ。 さて、たとえば007シリーズを観てみましょう。007の敵は共産主義だったでしょうか。もちろん違います。スペクターだったり大金持ちだったりブードゥーだったり、そのバリエーションはさまざまですが、ソ連自体が悪役の007映画はほとんどありません。 確かに、50年代に書かれた原作小説はソ連が「敵」でした。ところが、ケネディとフルシチョフの「雪解け」がはじまった60年代に制作がはじまった映画では、ソ連が悪役の座には着いていないのです。00
「ガンコン」という自主映画コンテストがある。月刊GUNという銃オタ(の中でも割と実銃思考というどマイナーな方向性の)雑誌でやっている、劇中に銃が用いられていれば何でもオッケーという作品を募集するコンテストで、まあアクション物が多かったりする。審査員には押井守の名前もあって、毎年秋にロフトプラスワンでやる授賞式にはちゃんときて講評をしゃべったりする。それが割と充実したしゃべりなので、ミーハーな押井ファンの僕は出品者でもないのにその授賞式に行って、押井さんの講評を聴く。 なんか前置きが長くなりましたが、去年だったか、ある作品のあるカットに対して、押井さんはこう言ったのだった。 「あれはカットを割るべきです。虚構なんだから」 それがどういうカットかというと、レプリカントがものすごい跳躍をワンカットでする、というのを真横から捉えた映像で、CGを使って実現していた。ぼくは結構、おおっ、となったのだけ
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