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2013年2月14日のブックマーク (12件)

  • Amazon.co.jp: 社会学と歴史学: ピーターバーク (著), 敬一郎,森岡 (翻訳): 本

    Amazon.co.jp: 社会学と歴史学: ピーターバーク (著), 敬一郎,森岡 (翻訳): 本
  • 歴史学と社会学のあいだ

    kamomé @goeland_argente ④吉川先生が『学歴分断社会』で主張するように、学歴は日社会の分割原理の一つであることは間違いない。そうすると、経済資と(文化ではなく)学歴が、日社会を分割する主要な2つの原理になるのか。これは、まだ分からない。いずれにしても、日版『ディスタンクシオン』の研究が必要 2012-06-16 20:29:35 Koji Yamamoto 山浩司 @Koji_hist @naokimed 今日は。連続TW勉強になりました。ブルデューのhabitusの概念に関連してお尋ねしたい事が一点あるのですが、少し連続twしてもよろしいですか? 2012-06-17 15:01:18 Koji Yamamoto 山浩司 @Koji_hist @naokimed ありがとうございます!奥深いですね。僕が考えていることはhabitusとは関係ないか

    歴史学と社会学のあいだ
    negadaikon
    negadaikon 2013/02/14
    歴史学者から見たブルデューの応用?
  • 社会学と歴史学 | 歴史の諸問題

    いくつかの大学では文学部の中に社会学科と史学科が今でも置かれています。そうした大学で史学科にとっての問題となっていることは、進学の振り分けのさいに社会学科に優秀な学生が殺到して、史学科には優秀な学生が進学してこないことです。いわるる論壇で活躍する若い社会学者が多いのに対して、そうした場に登場する若い歴史研究者が少ないのは、そのためかもしれません。もっとも多くの歴史研究者は、社会学者の意見は表層的、現象論的なものでしかないとしてそれを軽視する傾向があります。 しかし、歴史学と社会学の関係という問題についての自分の考え方は、理論的には歴史学よりも社会学のほうが優れたものとなりうる可能性が高いというものです。その根拠は常識的なものです。歴史学でもそのことは問題となりますが、理論の精緻さを根拠づけるものは、その材料として用いられるデータの量と、その正確性です。そう考えれば、取り上げられうるデータと

    社会学と歴史学 | 歴史の諸問題
  • 歌うたいのバラッド - ChordWiki : コード譜共有サイト

    BPM=75  -:8分音符 >:アクセント D----Gdim(/D)----|D----Gdim(/D)----|D----Gdim(/D)----|D---- ----| D嗚呼 唄(うGdim(/D)た)うことDは B7難B7/D#しいことじゃEmない----Em7/D----| たC#m7-5だ声(こF#7え)にBm身をまかBm/G#せ 頭(あGたま)の中をかGmらっぽにするだけ D嗚呼 目Gm/Dを閉じれDば---- ---D/C#-|B7胸のB7/D#中に 映(うEmつ)る----Em7/D----| 懐(なC#m7-5つ)かF#7しい Bm思い出Bm/G#やあGなたとのA毎日D---- ----| Gm当のことDはGm歌の中にあDる いA/C#つもならBm照Bm7/AれくさくE7て 言えなAsus4いことAも 今日DだってあGなたAを思(おF#7も)いながBmら 歌(うB

    歌うたいのバラッド - ChordWiki : コード譜共有サイト
  • 説 複 合 的 な 思 考 - 丸 山 美 男 の 場 合 (二 ・ 完 ) は じ め に 一 思 想 家 論 ・ 歴 史 像 に 見 ら れ る 複 合 的 な 思 考 1 思 想 家 論 2 歴 史 像 (歴 史 構 造 論 ) (- ) 重 層 構 造 の 把 �

    negadaikon
    negadaikon 2013/02/14
    丸山のポパー批判
  • 丸山眞男の現実主義 - 花・伊太利

    8/29付け朝日新聞・夕刊の論壇時評は「丸山眞男の現実主義」と題するものだった。その中である論文を引きながら、丸山眞男に見られる「現実主義者」としての面と、「理想主義者」としての面に言及している。そして、この両者を結ぶものとして「理想と現実、主体と環境、目的と手段の往復という高度なプラグマティズム」の契機があり、「現実主義」と「理想主義」との間で生産的な対話が行われていた、とする見方を紹介している。この記事を読んで思い出したのは、丸山眞男が法制史学者の世良晃志郎との対談、「歴史のディレンマ」(岩波書店刊「丸山眞男座談8」所収)で、カール・ポパーの‘Piecemeal’の思想について語った言葉だ。‘Piecemeal’とは言うなれば、「グランドセオリーを唱えるのではなく、小改善を積み重ねて世の中を良くしていきましょう」という立場である。その‘Piecemeal’について、丸山眞男はこう述べて

    丸山眞男の現実主義 - 花・伊太利
    negadaikon
    negadaikon 2013/02/14
    丸山のポパー批判について
  • リンク先を別ウィンドウ(タブ)で表示させることはアクセシビリティ上どうなのか。 | kzakza

    ということが、ちょっと前に私の周りで議論になりました。 なんとなくよくなさそうな気がしますが、実際のところどうなの?というあたり、それを説明できる文書や説明を当時はうまく見つけることができませんでした。しかし、改めて時間をおいて調べてみると、(意外とあっさりと・・)いろいろと出てきましたので今回は、 リンクを別ウィンドウ(タブ)で開くことをユーザーに強いることはアクセシビリティ上どうなのか。 について考えてみたいと思います。いつものようにW3CのWCAG2.0関連文書を参照しました。 結論からを申せば ユーザーが想定していない形でリンク先を別ウィンドウ(タブ)で表示させることは、基的にアクセシビリティ上望ましくはないようです。リンク先をどのように表示させるかはユーザーの選択に委ねるべきということです。 リンクを別ウィンドウ(タブ)で開くことについて、デメリットを考えたことはあるでしょうか

    リンク先を別ウィンドウ(タブ)で表示させることはアクセシビリティ上どうなのか。 | kzakza
    negadaikon
    negadaikon 2013/02/14
    そうなんだ。自分がhtml書くときにはしょっちゅう使ってたな<target_blank>…。(そっちのが見やすいから)
  • 実証主義 - 哲学的な何か、あと科学とか

    実証主義 「科学的な命題・仮説・理論は、 経験的事実に基づいて構成されるべきである。 提示された命題・仮説・理論は、事実と照らし合わせ、 その真偽が検証されなければならない」 ようするに、 「経験された事実として確認できるまで何も信じませんよ!」ってことだ。 実証主義者によれば、「直感や超越的な感覚」など、信じるに値しない。 たとえば、はるか昔から、人間は、 「自分にとっての10分は、他人にとっても10分に決まっている」 「自分にとっての10cmは、他人にとっても10cmに決まっている」 という「絶対時間、絶対空間」を直感的に考えていた。 ようは、 「10cmは、いつでも、どこでも10cm。そんなの当たりまえ!」 ということだが、 そんな当たりまえも、実証主義者に言わせれば、 「ふ〜ん、で? それは実証されたの?」と、 絶対にそれを受け入れてくれない。 実証主義者のマッハは 「絶対空間?そ

  • 木下長宏の土曜の午後のABC

    F ミシェル・フーコー 1 ボクがミシェル・フーコーを知ったのは、1960年代の終り頃、全共闘運動の火がつく直前です。 大学院の哲学科美学専攻生として博士課程に在籍していたとき、ぼくはヘーゲルの美学を修士論文のテーマに選び[当時刊行されていたヘーゲルの美学のテキストは、正確には「美学講義録」で、それも晩年の聴講生のノートからまとめたものでした。つまり、ヘーゲル自身の手によって書かれたものではない。手稿は序文がちょっと遺っているだけで、あの厖大な「講義」は、かれの死後講義ノートを集めまとめ、そのさい、目次を立てる枠組は、ヘーゲル最晩年の「哲学体系」に従って作ったものでした。しかし、ヘーゲルは早くから美学の講義をしており、晩年の哲学体系の枠組でかれの美学を考えた場合、その初期の頃の美学思想(その体系)はうかがうことはできません。かれの哲学体系に関する思想自体、『精神現象学』(かれが37歳、定職

  • 本の記事 : 新書大賞に小熊英二氏 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    書店員らの投票で決まる第6回「新書大賞」(中央公論新社主催)は、小熊英二『社会を変えるには』(講談社現代新書)に決まった。2位以下は(2)早野透『田中角栄』(中公新書)(3)坂野潤治『日近代史』(ちくま新書)(4)平田オリザ『わかりあえないことから』(講談社現代新書)(5)阿川佐和子『聞く力』(文春新書)。

    本の記事 : 新書大賞に小熊英二氏 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
  • 第18回勉強会のお知らせ

    関西圏の図書館関係者(館種問わず)を中心にした、図書館史の勉強会(読書会)です。2010年3月発足。図書館史に関連する情報なども随時掲載(したい)。 下記の日程で、第18回の勉強会を開催いたします。 御多忙のところと存じますが、ご参加をお待ちしております。 今回は長尾が、日図書館の展示について、明治以来のあゆみを振り返りつつ、取り上げます。発表者自身が担当した展示会経験を踏まえて、図書館の「展示」活動というのはどういう風にしたらよいだろうということをみなさまと共有させていただけたらと思っております。 日時:2013年3月9日(土) 14:00~17:00 会場:京都商工会議所 第一会議室 発表者:長尾 宗典(国立国会図書館関西館) タイトル:「図書館“展示”の歴史について」

    negadaikon
    negadaikon 2013/02/14
    会場確定しました。
  • おじーちゃん、どのくらい図書館に行くの? - まだ書きさしの

    父方の祖父(87)と母方の祖母(72)が健在です。祖母はコーラスにジムに写経にとあちこちでかけて楽しそうにしています。祖父は、耳が遠くて年相応に弱ってきているもののまだ達者。畑仕事料理読書趣味です。この間、祖父と図書館の話をしました。忘れないうちにここにとっておこうと思います。 祖父は昼のあとにいつもを読んでいます。バーコードがついているので、いつも図書館のようです。図書館は歩いて4~5分のところに、14年くらい前に建ちました。先日、久しぶりにふたりきりでお昼だったので、何か話題がないか[*1]と思ってふってみました。 「いつも、どのくらい図書館に行くの?」 ―― 2週間に1回で、借りるのは2冊。いつも2冊。読むのは歴史小説ばかり。他のものはおもしろくない。新しいと、どんどん変わってしまってわからないから。捕物帖がいい。黒岩重吾や澤田ふじ子。池波正太郎はええな。この間は、藤堂

    おじーちゃん、どのくらい図書館に行くの? - まだ書きさしの