「急に、地獄の蓋が開いたようになって。歌いながら泣いて、床でティッシュに囲まれながら、鼻水と涙を拭いて」 Page1 「急に、地獄の蓋が開いたようになって。歌いながら泣いて、床でティッシュに囲まれながら、鼻水と涙を拭いて」 宇多田:特に『Fantôme』からは、個人的な体験と直接的に結びついた歌詞になればなるほど、歌詞のフィクション性が高まってる。むちゃくちゃ私の、個人的な体験から来てることなのに、歌詞にキャラ設定が生じたりする。五十代くらいの女性が、こういう過去の体験をもって、今こういう風景を見ながら、こういうことを思っている、という設定が同時に出てきたり。「真夏の通り雨」もそうだし。「花束を君に」もすごくパーソナルなところから来ているのに、娘の結婚式で感動してる父親、という設定もあったりして。そういうのって、フィクション性だと思う。なんでだろう、不思議だよね。相反するものに思えるのに。