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ブックマーク / blog.szk.cc (8)

  • これから起きる9つのトレンド

    Photo by Priscilla Du Preez on Unsplash 未来を予測するのは困難なことだ。だが人生は未来にしか続いていかず、改善は未来においてしかなし得ない。そのため僕たちは、手元の限られた材料から未来を予測し、そこから逆算して現在の行動を決定する。それは僕たちの普遍的な振る舞い方だと思うけれど、学術と実業の2つの領域に足をかけている立場からは、両者の未来予測には質的に異なる部分があることをまま感じる。学者、特に社会科学者が、できる限り確からしい情報を集め、それらを根拠に論理的に導ける、すなわち科学者ならば誰もが同じ結論に至るであろうことを述べるのに対して、実業の世界では、競合に対する競争力を発揮するために、自分しか思いつかないこと、手元の材料では言い切れないことの方に軸足を置いた予測をしがちだ。実業者に見られるこうした「暗闇への跳躍」は、イノベーションの源泉だと考え

    これから起きる9つのトレンド
  • 職住混交社会について

    「働き方改革」という政策指針が話題だ。要するに、収益は増大しても消費にお金が向かないのでは困るから、ワーク・ライフ・バランスを確保すべく残業を減らし、一方で働き方の多様性を拡大するべく、民間企業の経営者の皆さん知恵を絞りなさいということらしい。他方で「家族の問題は家族の責任で」と、家族のあり方について法制化しようとしていることとの整合性はどうなるんだろうという声もあるけど、まあ働き方改革そのもは、「大きな方向として必要だよね」というところで受け容れられているようだ。 もちろん「そんなことをしたら売上が落ちる」と危惧する声もあるのだけど、たとえば残業を減らし、私生活に割く時間が増え、それが消費にかける資源が増えることを意味するのだとしたら、市場の拡大によって企業業績はむしろ上昇する。その辺はきっと経済学者の仕事だと思うので詳しく書けないけれど、でもひとつ気になることがある。「ワークとライフっ

    職住混交社会について
  • 「考えていない」ということ

    若い子、特に男の子たちを見ていると、ほんとうに「何も考えていない」というのに出くわすことがある。頭が悪いという意味じゃない。たとえば誰かが傷ついて悲しんでいるときに、相手の感情を慮って慰めるのではなく、この場においては「はげます」コマンドが正解だ、という考え方で行動してしまうような。 直感で行動するというのも違う。考えるより先に正解の行動を探してしまうというのかもしれない。その行動が正解であるかどうかは一般論では判断できず、両者の関係やそれまでの経緯に左右されるはずだし、行為とその結果の関係も不確定だ。問題は慰めたいという気持ちはあるのに、相手について思考することを投げ出しているその点にある。 そうした傾向は言葉選びにも現れる。どんな文章も「事実」と「感想・主張」で構成されるのだけど、よく考えていない人の文章は、事実ばかりで感想がない。たまたま今朝見ていたふたつの文章が、その対比をよく示し

    「考えていない」ということ
  • なぜ、ポエムで組織はカルト化するのか〜2014年の振り返り(3)

    いつも時代の3年先というか、みんなが気がつく頃には自分の関心は薄れているようなことにアンテナを張って生きているのだけど、今年話題になったものでいうと、いわゆる「ポエム化」の話かなと思う。ブラック労働とポエムの相性がいいというのは、自分的には周知の事実だと思っていたし、だからこそクロ現の企画も受け入れられたのだと思うけれど、それにしてもあらためて映像化されて驚いたという人も多かったのだろうか。 いまの勤め先に入ってから、学生たちの関心もあって、それまで格的に手を付けてはいなかった消費社会研究に取り組むことになったのだけど、そこで見えてきたものの中には、たとえば再魔術化やディズニー化といったショッピングモール論につながる話や、以前の自分の研究とつながる話なんかと並んで、『サブカル・ニッポンの新自由主義』で扱ったサービス労働と若者の自己意識の話の延長になる、「感情労働」などの現代的なサービスの

    なぜ、ポエムで組織はカルト化するのか〜2014年の振り返り(3)
  • 質の頑張り>量の頑張り

    毎年春になると、新入生向けに何か書かないと、と思っていたのだけど、そういえば去年は何も書かなかった。10年、11年、12年と続けて書いてきて、もう特に書くことがなくなったからなんだけど。 で、今年の入学式。震災の緊張感が抜けたのか、景気回復の影響か、全体的に例年より落ち着きがない。悪意があるわけじゃなくて、いま自分がその場でどういう態度を求められているのかを理解できないという意味で、単に子どもなのだろうと思う。 そういう子たちにはもちろんそれなりの対処の仕方があるのだけど、どちらかというと気になるのは、そういう雰囲気の中で、「自分だけは違う」と思っちゃってる君みたいな人のことだ。自分はあんなチャラい奴らとは違う、まじめに勉強するために進学したんだ、と。素晴らしい姿勢だし、僕らとしてもその意欲には全力で応えたい。でも、実はそういう態度って割と危なっかしいところもある。 「量の頑張り」は見えや

    質の頑張り>量の頑張り
  • テレビといっしょ

    メディアの中の人と話をする機会がたまにある。たいてい「なぜテレビは見られなくなったのか」的な文脈で話を振られることが多いから、チャネルが増えたんだからそちらの利用率が上がれば相対的に視聴時間とか減るでしょうとか、テレビって社会的文脈の中で見られるわけだから、それが変わっちゃったんじゃないですかとか、いやそうはいっても用途によっては信頼度高いし、ネットにどっぷり浸かってコミュニケーションとか若者でも一部だし、まして大人になってからも続けられる暇人なんてそんないませんぜって返してる。のだけど、反応は芳しくない。 その一方で、高齢者の話とかには割といつかれる。というのも、彼らの中に「高齢者」ってカテゴリーがひとつか、ないし後期高齢者は別ねってくらいのカテゴリーしかないからだ。おそらく、世代と性別で区分したカテゴリーをターゲットとして設定すれば広告や視聴行動を予測できるくらいにライフスタイルが単

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  • 「盛られた」現実

    とある仕事で、20代の消費者インサイトを探るためのインタビューの分析みたいなことをしていたとき、こんなことを訊かれた。 「この人たち、どうしてこんなに『素になれること』にこだわるんでしょうね?」 実際、家族や地元の友達といるときに「素になれる」と感じるという話は、当たり前のようでありながら、そこには一種独特な言葉のニュアンスというものがある。それは、「素でない状態」をどう表現するかということと関わっている。素=「リラックス」と考えれば、素でないというのは緊張状態だし、「当の自分」と考えれば、その逆は演じている嘘の自分ということになる。だけど「素でいられる」というのは、そういう状態とは少し違うんじゃないかと思う。 結論からいうと、「素であること」の反対は「盛っていること」だと思う。「盛る」という言葉もまた微妙なニュアンスをはらんでいるけど、おおむね(1)普通よりも誇張して表現すること(例:

    「盛られた」現実
  • 「気合を入れろ」と君が言う « SOUL for SALE

    エナジードリンク市場が好調だ。リポビタンDやユンケルといった従来の「栄養ドリンク」市場に対して、黒船RedBullが乗り込んで新たな市場を拡大して以来、日コカ・コーラ社のBurn、アサヒ飲料のMonsterなど、今年に入ってこの分野が活性化しており、コンビニでは棚の奪い合いが続いている。いま僕の周囲ではチェリオコーポレーションの「ボディーガード24」が静かなブームを見せていて、大学正門前の自販機では週末に補充しても木曜日には売り切れるという人気ぶりなのだけど、こんなところにもエナジードリンクが、という感じだ。 日経トレンディの記事によると、エナジードリンクの成功の背景にはふたつの要因があるように見える。ひとつは、「疲れているときに飲む」栄養ドリンクに対して「気合を入れるために飲む」のがエナジードリンクだということ。もうひとつは、そうした飲用理由がアルコールに似ていることから、飲店でのプ

    「気合を入れろ」と君が言う « SOUL for SALE
    northlight
    northlight 2012/07/21
    「癒し」より「気合入れ」を求めるような消費者志向
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